親切な人と意地悪な人の話
魔導院から一番近くの酒場についた。
まだ明るいせいもあり、人の数は少ない。
酒場には街の住人からの様々な依頼が寄せられる。
それは個人的なことが多く、それゆえ街の憲兵などには頼めない仕事。
それを傭兵や冒険者と呼ばれる個人に仲介するのが酒場の仕事の一つでもある。
食器を磨いている老店主の前に歩いてきて、胸を張る。
「仕事はある? 今なら優秀な契約士の手が空いているんだけど」
銀の髪の少女は最初が肝心だと、自分を売り込む。
「――ないよ」
店主は、手を止めていた食器磨きを再開する。
――言い方が悪かったのかしら。
「あの、仕事はありませんか? こう見えても一人前の契約士なんですけど」
「――ないよ」
今度は磨く手が止まることはなかった。
――ここは酒場。注文の一つもしないでこれはぶしつけだったのか。
「ん、ん」
今度こそはと喉を整え、気持ち高めの声で。
「これは失礼。そうね、まずは一杯貰えるかしら?」
「――ないよ」
カレンの額に青筋が浮かぶ。
酒場に酒がないとは、とんだ笑い話である。
でもカレンは笑わない。
「――そう、それは随分な酒場だこと。歓迎されていないようね。イラ、他の酒場に行くわよ!」
肩を怒らせて、ずんずんと歩いて行く。
その後姿を見ることはなく、やはり店主は食器を磨いていた。
●
夕刻、最初の酒場の前で、カレンがへたり込んでいる。
あれから四つの酒場を回ったわけだが、そのどれも年若いカレンを馬鹿にした嘲笑を浴びせてくれた。
ひどいとこなど、一刻も身の上話につき合わせた挙句『なんでまだいるの? 用がないなら帰れば』とのこと。
一番最初の酒場の店主がもっともましな対応だった。
古今東西の魔術を扱う中の一つ、契約士。
これを修めれば、食いっぱぐれることはないと思っていたのに現実は違うのか。
「お腹すいたなあ。今夜の宿も決まってないし、どうしましょうか?」
『野宿?』
――それは、女の子として許せない。
旅の途中しかたなくとかならともかく、街中でなんてまるで物乞いみたいだ。
それに温かい湯がほしい。
湯に浸かるなど贅沢は言わない。
まだ一日目なので大丈夫だが、体を拭いて清潔にしたいだけなのに。
せめて仕事のあてくらいは確保するつもりだった。
完全な無収入者。
選ばれし魔導院生から、わずか一日で急転直下。
慰めといえば、外気の寒さを一人で味合わずにすむことくらいか。
「――不甲斐ない契約士でごめんね。こんな寒空の下、あなたにまで我慢させてしまって」
情けなくなり謝罪する。
『問題ナイ。影ノ下、快適』
どうやら、寒さを味わっているのは自分一人らしい。
釈然としないものがある。
お腹のそこがふつふつと熱くなった。
それでも野宿出来るほどではないし、そこいらで寝て、襲われないとも限らない。
立ち上がり安い宿を探して歩き出す。
そんな少女に声をかける者がいた。
「あーれ、こんな若い子が黄昏れちゃって、どうしたの? おばさんにちょっと話してみんさいよ!」
恰幅の良い老女。
お金がなく野宿をしようとしていてと訳を話すと、カレンの手を引いて、目の前の酒場に入っていく。
「ああ、ただいま! ちょっと、なにか食べるものはないかい? この可哀想なお嬢ちゃんに食べさせてやりたいんだけど」
年齢的に老店主の妻だろうか。
彼女は、カウンターからパンと温めたスープを持ってきて、カレンが案内されたテーブルに置いた。
「あの、おいくらですか?」
「良いよ、どうせ残りもんだし、お金ないんでしょ? 二階で小さな宿もやっているから、今夜は泊まっていきな。何そっちもお代は結構だよ。――あんたみたいな若い子見てると、娘を思い出してね。放っておけないんだよ」
老女の人好きする笑みに、慌て礼を言う。
カレンは朝から何も食べておらず、掻き込むようにパンとスープを胃袋に収めた。
食欲が満たされると、はしたないことだが欠伸が出た。
急速にまぶたが重くなっていく。
――限界だ。申し訳ないがここで眠ってしまおう。
カレンの新たな人生。
その一日目は、とても意地悪な人間と、とても親切な人間の両方に出会った。
『ははっ、スープに混ぜた睡眠薬が効いてきたね。これで明日の出荷には間に合いそうだ』
とても意地悪な人間とは老女のこと。
『なあ、こんなこと、いい加減やめにしないか』
『おだまりよ! 稼ぎが少ないあんたのせいで、私が苦労してるんじゃないか! 黙って、身包み剥いじゃいな!』
『はあ、こうならないように、わざと冷たくしていたのに、なんで戻ってきたんじゃ』
そしてとても親切な人間は老店主。
だが、カレンがそれを知るのは目覚めた後のこと。
――少女の影の中から、規則的で静かな寝息が響いてきた。