扉に喰われた話
それは何の変哲もない公園の中にあった。
朝日が差し、ジョギングする中年女性は、首を傾げながらも横を通り過ぎ。
日課の散歩をこなす老人は、怯えてたように『それ』に向かって激しく吠える小型犬を引張、歩いて行く。
休日ではない、忙しい朝の時間。
そこにぽつんと存在している『それ』を、不審に思っても、わざわざ調べたりする暇人はいない。
それは鉄製のいかめしい門。
門だけがポツンとそこにあり、建物は付随していない。
つまり入り口でも出口でもなく、何の役割も果たしていないのだ。
誰かが無許可で勝手にそこに放りだしたのか。
その内、誰かが警察などに通報し、撤去されるのだろう。
だが、それが行われる前に興味を持ってしまった愚か者がいた。
――昨日の帰り道にはなかったはず。
それは何処にでもいそうな男性だった。
青のビジネススーツに身を包んだ中肉中背の青年。
ネクタイはキッチリと締められ着こなしには清潔感が、飾り気のない眼鏡の鋭く細い瞳が更に細くなり、歳相応ではない、傲岸不遜な印象を受ける。
――開いてもいいのかな。
だがそんな印象とは裏腹に、青年の内心は好奇心で溢れていた。
触らぬ神になんとやら。
皆が避けている門をノックしたり、材質を確かめるようにベタベタと触ってみたり。
裏側に回ってこれまた同じことを繰り返したり。
代わり映えのしない日常に、現れた突然の異常。
もちろん、これが日常を壊すほどのものかと、問われればそうではないのだろうが。
話の種にはなる。
――そろそろ離れなければ、就業時間に間に合わなくなる。
最後にドアを開け、そこから覗く景色と自分を、携帯で撮影することにしよう。
そう思い、ドアノブに手をかける。
彼はその時初めて気づく。
ドアノブの横にある不規則な模様が淡く光っていることに。
――綺麗な模様だ、いや違う。
徐々に光る部分が増えていき、それが模様ではなく細かな文字であることが分かった。
だけど、青年の知識、経験の中には存在しない。
現代的な日本文字よりも、どこか直接的な絵に近い形。
――なんて書いてあるのかな。
当然、読めるはずもない。
『この門を開きし者、契約を繋ぐ。心を姿、力に変え世界を渡り、使命にその魂を捧げよ』
だが読めてしまった。
それは、光る文字のその上、日本語の振り仮名が浮かび上がってきたからだ。
『おーい、まだですかぁ? 美味しくて可愛い生け贄は揃っていますよぉー。もう、早く、召喚されてください――もしかして失敗したのかな?』
そして誰も居ないはずの、門の向こうから、女性の甘く誘う声が響いてきた。
――新手の都市伝説だろうか。
ありえない状況に呆けていた青年は、頷いた。
――うん、会社に行こう。
契約という言葉はあまり良い印象がない。
それに魂を捧げるというのも御免こうむる。
加えて、青年の頭のなかにあったのは、昨日テレビで摘発されていたぼったくりバーの報道映像。
この不気味過ぎる扉を開くなど、それこそ馬鹿のすることだ。
幸運なことにそこまでの愚かさはなく、青年はその契約を別の者に譲ることにする。
――だけど不幸なことに、それを扉は許さない。
ドアノブから手を放して、青年は背を向けようとした。
だがおかしい、一向に青年の手がドアノブから放れないのだ。
――鈍く光る鉄製のノブは、変形し、青年の手に絡みつく。
青年は声にならない悲鳴を漏らした。
力を込めているが、ドアノブは手錠となり、固定され変化しない。
『契約は繋がれた』
響いているのは硬い重低音。
「いや、まだ扉は開いていないではない、か――」
青年の指摘に構わず、今度は扉ごと変化し、彼を捕食するように、歪み包み込む。
その一部始終を目撃しているものはおらず、そこにあったはずの扉らしきものをいつの間にか消えてしまった。
――これが精霊と少女の物語が始まる前の話。




