260 間違えたでは済まされない
「酔っ払い無罪ってのはないよなー?」
「ない」
「それは重畳」
いつにない冷酷な表情で満足を言葉にするカナンに、日頃同調を嫌う二人は思わず揃って苦笑したのにもかかわらずそのタイミングを許容した。
*
赤ん坊がカナンに投げつけられたのは思惟の森の浅い場所で木の実や野草などの食材を採取している最中だった。
当たっていたとしても防御結界を常に全身に施してあり、直接衝撃を受けることはなかっただろうが、弾かれて地に転がっただろう赤ん坊を見て何も感じないほどにはまだ人間から乖離しておらず、直前でアウレリウスが受け止めてくれたことは人道的観点からでなくカナンのメンタルの問題で幸いだった(「別に大男がいなくても俺がどーにかしたのにー」「本当に?」「…………たぶんー?」「……」)。
投げ入れた不届き者は即座に特定された。
カナン達の位置からでも視認出来たからだ。
しかし、その場では何もせず、立ち去るに任せた。
手出しの優先順位が思惟の森にあるからだ。禁域への(間接的にとはいえ)不法侵入という罪科はカナンへの暴行未遂とは比ぶべくもない。
そうでなくとも直接関わり合いになりたくなかったカナンにとって、それは重ねて幸いだった。
終始悪態をつきながら右に左に体を揺らして去って行った人族の男は、盛大に酔っ払っていた。
不法侵入は死に直結するとは言っても、流石に投げ入れられた赤ん坊は生きたまま外界へ出された。
いつぞや、鬼族の男によって意識のない状態で思惟の森に投げ入れられた人族の女のように、赤ん坊では己のいた場所が "何処であるか" を認識しようがないからだ。
投げ入れた当人は当人で、女を投げ入れた鬼族の男のように先んじて死んではいなくとも、その弟へ施したような口外を封じる処置は採られなかった。いいほど泥酔していた為に何を何処へ投げ入れたのかの認識及び記憶がなかったからだ。故に、禁域からペナルティを受けた自覚もなく、己を見舞った "不幸" の訳にも思い至れず、理不尽不可解な運命を呪いながら逝くこととなった。反面、幸か不幸か、商隊仲間の赤ん坊を殺し掛けた罪を被害者家族に知られ、過酷に責められることもなく。
この点、被害者次第では辜負族を利させたことになるが(汚れ仕事を代わりに引き受けたという意味で)、無傷で行方不明だった赤ん坊を返された親達は子の投棄に関与しておらず、また、常日頃の様子と潜在意識を踏まえた周囲の精霊の彼らに対する見解が積極的に自ら刑罰を与えたがる質だろうということで、今回は利に当たらず、と森は判断したらしい。
「それにしても、何と間違えたんでしょう……」
不届き者が "間違えた" こと前提でカナンが疑問を呈したのは、周囲の精霊達がそのように喧しかったからである。
「米袋だ」
しかし "何と" の部分にまで言及してはくれず、誰かに向けたというより呟きに近かったカナンの問いに答えたのはアウレリウスだった。
「米袋、ですか?」
予想もしていなかった答えにカナンは目を丸くした。そこに疑う色はない。
「らしい。直前に寄った町で商談が上手くいかずに腐れ、酔っ払う前にも周囲に当たっていたようだ」
「ははあ、ちぎっては投げちぎっては投げ、じゃなくてひっ掴んでは投げひっ掴んでは投げ、てか?」
アウレリウスが赤ん坊を受け止めた直後に顕現したジョシュアが、カナンの肩先で浮いた状態のまま茶化すように会話に割って入る。その肩先は当然、アウレリウスのいる位置とは反対の側だ。
「米袋ってそんなにぽいぽい投げられるもの?」
カナンの脳裏に浮かんでいるのは故郷のスーパーの店頭に積まれていたものだ。
「サイズはピンきりじゃないかなー」
確かに複数種類あったとは思うが、カナンが手に取ったことのあるものはどれもそれなりの重さがあった。
「順当であれ不当であれ、付加価値を主張するほど小さくなる場合もある」
「ああ……」
食べ切りサイズの小ささではなく商品価値の差、ということらしい。なるほど、それは故郷にもあったが、カナンには縁がなかった。
そこからこの世界ではお一人様向けはないのだろうかと疑問を抱けば、それが顔に出ていたか内心を読まれたか、気の利いた精霊が量り売りはあっても予め包装されたものは食材でも調理済みのものでも一般的ではないと説明してきた。
「でもいくら酔っていたのでも、米袋と赤ん坊を間違えて投げ入れるなんてことあります?」
「あったじゃん」
「それはそうなんだけど……」
「地球人のやらかしからすると、そう不思議でもないけどなあ」
流れでアウレリウスに向けた不可解への回答を脇からジョシュアがかっ攫ったのは、単に茶々を入れたかっただけでなくこの話を持ち出したかったからか。
「……比較対象にするくらいだから、それは赤ん坊を何かと間違えて何処かに投げ入れた酔っ払いがいたってこと?」
スルーせずに乗るのは愉快犯の思惑通りで些か不本意ではあったが、己の納得出来なさが多少なりと解消されるのであればとカナンは一拍の躊躇いの後に捻くれた返しをせず先を促した。
「いたいた、しかも投げ入れたのが竃なんだか暖炉なんだか、とにかく熾していた火に薪と間違えて赤ん坊を投げ込んだんだって。それも自分の子じゃなくて子守女が面倒見てた他人の子?」
「…………」
あっけらかんと語られるにはあまりにも凄惨な事例にカナンは目を見開いて絶句した。
「似たようなのはもう一件あって、そっちはどうやっての部分は不明なんだけど、とにかく酔っ払って意識朦朧状態でやっぱり他人の赤ん坊を焼死させたんだってさ。しかも、前のは顛末までは書かれてなかったんだけど、後のはなんと、子守女は善良で悪いのは酒、有害な酒のせい!ってはああ?な裁定で決着したんだって。正しく酔っ払い無罪?」
けらけら笑いながら言うことではない、とうんざりすると共に、これ揶揄だ、と思えば常識人ぶる気も失せ、カナンは尚も無言を通した。
「まー意図的に殺したわけじゃないから、俺達の時代でもあま~い裁定になった可能性は否定出来ないけど。この二件と同じ時代にあった酒絡みのがっつり意図的な子殺しはきっちり首を縊らされたらしいし、あんまりひじょうしきーとも言えないかも?」
「……そっちも酔った上での所業なら、過失とは言えない確とした状況にあった?」
「そりゃご本人が喋ったらしいよ。やった後に仕事仲間にぺらぺら、だから罪悪感に駆られてとはちょっと思えないけど。何しろ追加で酒飲んだ後らしいし、その追加の酒を飲みたくて自分の二歳の娘を殺してるからなあ、酔った勢い?」
「何故追加のお酒を飲むのにそんな小さな娘を殺す必要があったの」
想像力が貧困と言われようと、皆目見当もつかない。
自分で考えろ、との言葉と共にその手の侮言を投げつけられたのは故郷での話で、大凡ジョシュアが口にするものではないが、過去の呪縛は未だ健在で、ついつい脳裏で自虐してしまう自分に辟易しつつ、カナンは躊躇わず疑問を向けた。
「直前に飲んだ酒ですっからかんになったから、娘の服を売っ払って金を得ようとしたんだってさ-。貧乏で元々大して金なかったらしいし」
「貧乏なのに娘の服は売ってお金に出来るレベルのものだったの? それとも娘には良いものを着せていた?」
「んにゃ、貧乏で育てられないって救護院に突っ込んだらまともな服を着せて貰えたんだって。それが仇になったわけだけど。たまたま娘と外出させてーって迎えに行って出掛けた時になんでだか関係の分かんない女と一緒に酒飲んで以下略。最初は服を剥ぎ取った後は娘を野っ原の溝に捨てただけだったのが、服を売りに行く途中で娘が気になって引き返して溝から抱き上げて―――まで聞くと改心したのかと思うじゃん? ところが現実は殺しに戻ったってんだからいやもうね、酔っ払いの思考って訳分かんないわー。泣き叫んでる娘を絞め殺したら死体をまた溝に戻して飲みに行ったんだってさ」
「………………」
聞けば聞くほど、善人・常識人を自認していないカナンでも嫌悪を抱かずにいられない話だ。
しかも、酔っ払い、というカナンにとっては情状酌量?ナニソレオイシイノ?な品性下劣上等な侮蔑思考一択の相手である。
無関係、それも過去の人間相手に何熱くなってんの、と嘲笑付きで言われようと(これも呪縛の一つ)、湧き上がってくる嫌悪感を止めることは出来ず止める気もない。向ける相手のいない虚しい情動だろうと、カナンの酔っ払い嫌いは筋金入りなのだ。
「ただ、これ、今の話、全部蒸溜酒に耽溺した末ってやつで、こっちのは醸造酒なんだよなあ。よっぽど酒に弱いんだか」
「醸造酒は醸造酒でも薬入りだ」
二人の遣り取りを黙って聞いているように思えたアウレリウスが不意に会話に割って入ってきた。
故郷の昔話(であることに間違いはないが言葉面から受ける長閑な印象とはかけ離れた事例)に殺伐とした花を咲かせていた二人はすっかり情報収集をうっちゃっていたが、アウレリウスは着々と進めていたらしい。
「ありゃ」
「薬ってまさか……」
ジョシュアは愉快げに笑い、カナンはあからさまに顔を顰めた。
この世界にも薬酒というものはある。しかし、カナンの脳裏に真っ先に浮かんだのはそれらとは用途の異なる "薬" だ。
そして、
「フルニエムソウムだ」
軽い吐息と共に告げられた意外性のない名称にカナンもまた盛大に溜息をつく。
そうなると、あの男の挙動は酒酔いより薬酔いの方が主体だったのか。
しかし、カナンのその短絡をアウレリウスは苦笑で否定してきた。
「但し、効果の劣る偽造品だ」
「ても、わざわざフルニエムソウムの名前を出したってことは全くの別物でもないん?」
完全に違うものをそれと偽っているだけならば最初からそう言っただろう。ところ構わずなジョシュアと違い、アウレリウスは現在のような状況でそうした冗談は言うまい。
――――というある種の信頼をジョシュアが示したことにカナンはなんとも言えない表情を向けるが、自覚がないのか自覚した上で実利を取ったのか、当人は他意なく疑問を向けただけといった態の緩い表情をしていた。……そこに笑いは依然健在で、単に愉しみを優先させただけかもしれないが。
「原料は一応同じだ。製造工程を幾つか省いたことで、依存性はそのままに効果はアルコール度数の高い酒を痛飲した場合と同様の症状を度数の低い酒を二、三杯飲んだ程度でも起こすようになったものらしい。逆を言うとその程度の効果しか無い。その為か酒の添加物が用途の大半だ」
それは "その程度" で済ませられることではないのでは、という主観は、アウレリウス自身も皮肉で言っているのだろうとカナンに向けられた表情――その口角の上がり具合から解釈し、言葉にするのは控えた。
ちなみに、この大陸には未だに蒸溜酒は存在しない。
しかし、さほど無理のある話でもないだろう。
地球でも紀元前7000年頃には醸造酒が飲まれ、原始的なアルコールの抽出であれば紀元前5000年には行われていたらしいが(これに関しては、発掘された蒸溜器の状況から6000年前からだと推測している記述もあれば、その蒸溜器は3500年前のものだとする説もある)、蒸溜酒の製造技術が確立したのは9世紀に入ってからだという(これも所謂アランビック型の蒸溜器が紀元後400年頃の錬金術師のスケッチに既に描かれているという話もある)。
この大陸で蒸溜技術が失われてからそれほど時は経っていない。一度は確立していたと言っても、それを知る者がおらず蒸溜器の手掛かりも全く残されていない状態ではそんなものだろう(7000年+αに比べれば1000年+αは「それほど」で充分)。
「つまり、あいつは100パー酔っ払ってやらかしたーでいいわけだ」
「そうなるな」
「にしてもそれだとフルニより需要ありそー。原料の規制が緩和されてたりして」
何処もいつの時代も人の酒に向ける妄執には際限がない。如何にもあり得そうなことを口にして愉快犯は愉快げに笑う。
「……酒飲みは無害化されたとでも言いそうだけど、依存性がフルニエムソウムと同じならアルコール中毒になるリスクが高まっただけだよね」
これまた分かり切っていることだったが、言わずにはいられずカナンは苦い声音でやや吐き捨て気味に断言する。
「それを危惧する辜負族もいるにはいるが、意外と危惧の主体は中毒者が増えることではなく窃盗・強盗・殺傷の類いが増加することだ。そちらを抑制する目的での製造規制を新たに加えている国もそれなりにある。もっとも、規制すればするほど地下に潜り、違法製造・違法売買の横行がフルニエムソウムより激しく、為政者達の悩みどころとなっているようだが」
「窃盗・強盗・殺傷……」
「フルニエムソウム同様、偽造品は偽造品でありながら安価いものじゃない。しかし、醸造酒以上の酩酊を欲する者は薬を欲する者より遙かに多い、ということだ」
「ははあ、上から下まで、よこせー呑ませろー、って? 質わるー」
何処もいつの時代も。
地球でも某国の禁酒法を筆頭に、世界各地、各時代で酒の規制をきっかけに繰り広げられた阿鼻叫喚が記録されている。
それらを読む機会のあったカナンは読むに耐えず、途中で投げ出した覚えがある。
どうしようもない。
飲まないカナンにはそれしか言い様がない。
「そいや、あの男って密造酒業者?」
「いや、扱っている商品は至って合法的なものばかりだ。そして飲んでいた偽造品入りの酒も合法的に入手している。但し、商品としてではなく自分で飲む為にだ」
「合法……」
「新たに規制した国だけでなく緩和した国もある。だからといって中毒予備軍や中毒者の吐き出す澱に大した差はない。差があるとすれば、未だ偽造品の存在が市井に広まっていない僅かな国くらいだろう」
「うーわー」
これは確かにジョシュアの腐した通りフルニエムソウムよりも質が悪い。
「でも規制の仕方次第じゃ差も出てくるかもなあ」
不吉で意味深に言葉を切ったジョシュアを、思惑通りとはいえプライドを優先させずに目顔で促せば実に嫌な形に目元を湾曲させた。
「さっきの地球での話の続きだけど、規制規制規制の果てに政府が非合法の販売業者を密告させるように仕向けたんだよ。それもたっかい報奨金を餌に。そうしたら当然密告者がわらわら現れた、ってだけじゃなく買う側が徒党を組んで密告者を殴り殺すようになったんだって」
「販売業者がじゃなくて?」
「そこが味噌。澱のない地球でさえそんなんだったんだから、澱のあるこっちじゃもう国民総出で殺し合いそうじゃん? 酒の為だけに。澱に殺れ殺れ煽られてそれで更に澱増し増しでもっともっとって煽られ続けてもう無限ループ?」
「そこまでいけば流石に国自体が滅びるだろう」
「あははは」
笑い事ではない、は言うだけ無駄か。
否定出来ない現実が、過去の事例にいくらでもある。
「……偽造品の流通ルートを把握しておいた方がいいでしょうか」
澱の木になる前には何もしないが、可能性のあるエリアにはアラートを掛けておいた方が後々面倒がなさそうである。
「フルニエムソウムの原料の流れはこれまでも精霊達に監視させている。改めて手を加える必要もあるまい。一旦存在を認識してしまえば後は同じだ」
「それは、まあ……」
原料の持ち込み先が少々増えたところで精霊は何処にでもいる、いない場所はない。
注視する精霊の目から逃れる術は辜負族にはない。
覚書
赤ん坊を投げ入れた男 ガーネーヒ・バッデンネブン
赤ん坊 ムーユーアン・コンニスフェ
赤ん坊の父親 ガトマーゼ・コンニスフェ
赤ん坊の母親 サザルペルナ・コンニスフェ
関連
35 罪の所在
150 中毒




