第四話
『勤勉なる努力は、一握りの才能に勝る』
良い言葉だろう? 俺の好きな言葉だ。言ったの? 俺だよ、俺。
そもそも、俺には勉強の才能(そんなモノがあるかどうか知らないけど)なんてこれっぽちも無い。物事の要点を掴むスピードは勇人の百倍遅いし、興味を持った事を突き詰めていくスピードは部長の千倍は遅い。所謂『頭のキレる』タイプの人間では……残念ながら無い。憧れるんだけどね、『頭のキレる』タイプ。ドラマとか漫画とかで、のほほんとしているキャラが、不意にビシッと推理したりするだろう? アレだよ、アレ。あのタイプの人間になりたいんだよ、本当は。
「まあ、そんなタイプには成れないんだけどな」
基本的に頭の良さは二つ。回転の速いタイプか、お勉強の出来るタイプだ。前者は才能の聖域だが、後者は努力の領域だ。天から降りて来た閃きなんてモノを期待できない小市民たる俺は、後者のタイプとして生きて行く選択肢しか無いんだよ、マジで。
「まあ……努力だけで何とかならない事もあるけどな」
努力をしてるから報われる、なんて甘い考えはサラサラもってねえ。ヤラシイ事を百も承知で言えば、プロセスが認められるのはお金の絡まない学生時代まで。高校野球は出場する事に意味があるんだろうが、プロ野球は勝つ事が全て。誰よりも多くバッティング練習をしようが、誰より多く千本ノックを受けていようが、試合で三振したり、エラーしたらハイ、それまでよ、だ。
「でも、大体の成功者は努力してるしな」
努力してるから報われるとは言わないし、成功者の全てが努力をしているとも言わない。努力をして報われない人間なんて、それこそ掃いて捨てる程居るだろうし、逆に何の努力もせずに才能だけで飯を喰ってる様な人間だって、居るには居るだろう。
ただ……まあ、アレだ。可能性の話だ。
努力をして無い天才よりも、努力をしている凡人の方がより成功しやすい。これ以上無いぐらい、シンプルな公式。
「……そう思っていた時期が、俺にもありました」
パソコンのディスプレイ上に羅列された文字を前に、俺は一人愚痴りながら肩を落とす。
……コレ、ドンドン訳が分からなくなってるんですけど。
『お気に入り』に入れてあったスレッドを開いてみれば『このスレッドは~』のお決まりの定型句。慌ててサイトを検索すると『HOCについて語ろう 5』というスレッドを発見し、やれやれと胸を撫で下ろしたのも束の間、物凄い勢いで流れていくスレを慌てて追いかけていく。夕方七時に立って八時には八百を超えるスピード――まあ、もっと速いスレもあるんだろうけど、初めてみる伸びのスピードに若干ドギマギしながらも丹念に文字を追う。
『つうか、そろそろマジで教えろよ! お前ら、リアルならぶっ飛ばしてるぞ!』
『ぷ。ネットの世界でリアルとか……超かっこわるい』
『だから、HOCなんて元々無いんだって! もういい加減にしろよな!』
『いや、ある! 絶対ある! あるとロリ伯爵も言っておられる!』
『誰だよ、ロリ伯爵。パタロリ何時まで引きずってやがる』
『なあ、提案なんだが……いい加減やめないか、この話。だって無駄じゃん。答えを知りたい奴は答えに辿り着きそうも無いし、答えを知ってるやつは答えを教えようとしない。頼むからあんまり鯖に負担かけるな。他の板にまで波及してるんだぞ?』
『HOC祭り、開催中』
「……」
読めば読むほど増える書き込みに若干憂鬱になる。昨日の時点では『皆で解決しよう』みたいな雰囲気だったのに、今日は何だかすげー険悪な雰囲気。ネットで手掛かりの一つでも……と思ってみたけど、全く手掛かりになりそうなモノが無い。むしろ、カオス状態だ。
「……くそ」
でも……だからってアソコまで言われて『頼む! 教えてくれ!』って言うのも何だか悔しいしなぁ……せめて、発想の手掛かりぐらいになるものでも――
「――ん?」
散々掻き毟った頭をもう一度掻き毟ろうとして、あるレスが眼についた。スレの余りの速さに思わず見落としていたが、最新表示のレスの前の前のレスに。
『皆、言ってるだろう? HOCはネタなんだって。ねーんだよ、HOCなんてさ。もう無駄話は止めておこうぜ? な?』
『イヤ、HOCはネタじゃ無い。ホントにあるよ』
『じゃあさっさと答え言えよ! どうせ、ズンベロとか赤い洗面器とかと一緒だろ! マクガフィンだろ!』
『……まあ、熱くなるな。モチツケ』
『HOCはマクガフィンじゃない。HOCはHOCじゃないと成立しない。仮にHOCが『フライパン』だったら、この話は成立しないんだ。いいか、もう一度言う。HOCはマクガフィンじゃない。HOCはHOCで、HOCだから、意味がある』
「……HOCはHOCでHOCだから、意味がある、か」
マクガフィンってのは、物語の動機付けになるモノの事。『北北西に~』何かの監督が良く使った手法で、モノ自体は何でも良い。秘密の宝石でも、ワインボトルに入ったウランでも、国家最重要機密を記した書類でも……それこそ、『それが何か分からなくても』だ。
具体的に言えばアレだ。実写化もされた大泥棒の三代目。物語の最初に出てくる『お宝』は別になんでもいいっちゃなんでもいい。個人的に最高傑作だと思う欧州の小国の話は偽札じゃなくて偽造ダイヤなんかでも大まかなストーリーは変化しないと思う。結局アレ、心を盗む話だし。
「でも……そうじゃないって事か?」
つまり……『重要なモノだけど、『HOC』じゃなくても良い』では無くて、『重要な上に、『HOC』じゃないとダメ』って……事だよな? うし。それじゃ此処からもう一遍組み立ててだな。
「……余計、分からん」
あっという間に躓いた。つうか勇人、何で分かったんだ? 部長の言葉からヒントを導き出したとは思えないし……
「……やっぱり頭の回転は勇人の方が速いか」
まあ、分かっていた事だが。
「……ん?」
『……仕方ねえな。ヒントを教えてやる』
『マジでか!』
『ちょ、辞めろ! 睨まれるぞ!』
『ダメダメダメダメダメ!』
『お前、死ぬぞ!』
「ヒント!」
一瞬、『これってズルいんじゃ……』という思いも浮かんだが……背に腹は代えられん! 何より、知りたい!
『……分かったよ。あまりにもレスがマジっぽいんで、少しだけ婉曲なヒントにしとく。つうかネタスレに皆、どんだけ……まあ、これがHOCスレの醍醐味か。じゃあ、ヒントな? 殺人、空飛ぶ。これって……大ヒントだよな?』
「……は?」
殺人? 空飛ぶ?
「HOCってのは……昔あった殺人事件で、その犯人は空を飛んでやって来た……って、そんな訳あるか!」
……突っ込み役不在は、何時だって不毛である。なんて、そんな事を考えてる俺の眼前では先ほどのレスに対して、もの凄い反響のレスがついて行く。
『バカ野郎! 大ヒントじゃねえか! むしろ答えだぞ、ソレ!』
『え? え? 今のってヒント? むしろ余計訳がわからないんだがががががが!』
『あーあ。コイツ、イギリス陸軍に睨まれるわ』
『あれ? スコットランド・ヤードじゃ無かったけ?』
『両方正解。と言うか、ヒント出した奴、全ドイツ国民にDO・GE・ZAで謝れ』
『国民性的に仕方ないよ、ドイツは。というか……何を流れに乗じてヒントを出しまくってるんだよ!』
「……本当に、ヒント……なのか?」
このレスの流れで出て来たのは殺人、空飛ぶ、イギリス陸軍、スコットランド・ヤード、ドイツ……
「……つまり……昔あった殺人事件で、犯人は空を飛んでやって来て、イギリス陸軍とスコットランド・ヤードが血みどろの逮捕劇を演じた場所がドイツだった……って、だからそんな訳あるか!」
一人っきりの部屋に、俺の絶叫が響き渡った。もう何度目か、そろそろ禿げるんじゃないかと心配になる程搔き毟った頭にもう一度手をかけて。
「――喧しい! 夜中に何騒いでんのよ、アンタ!」
バン、っと音を立てて扉が開いた。慌ててそちらに視線を向けた先に。
「……げ」
「『げ』って、なんだ、『げ』って! 近所迷惑だ! 静かにしなさい!」
「あ、いや、その……」
何とか言い訳を試み、口の中でモゴモゴと言葉を選び、失敗。諦めの溜息を吐きつつ、チラリと様子を伺う様に俺は顔を上げた。
「――来てたの、ねーちゃん?」
綺麗な顔を夜叉の形相に変えた従姉、藤堂綾乃の姿を見た。
◆◇◆◇◆
「和樹、アンタね? 何時だと思ってるのよ? いい加減にしなさいよね!」
「済みません。済みませんが……ねーちゃん? ぶっちゃけ、今のねーちゃんの方が五月蠅いと思いま――」
「……はい?」
「――なんでもありません」
ジーンズに半袖Tシャツというラフな格好でこちらを睨みつける従姉に小さく頭を下げる。こうなったねーちゃん、藤堂綾乃に逆らっても無駄な事を幼少期から叩き込まれてる俺は肩を竦めて嵐が過ぎるのを待つ。
「……反省してるの?」
「……はい」
「……よし。許してあげよう」
先程までの怖い顔を一転、高校時代にはファンクラブまで有ったと言われる華が咲くような笑みを見せるねーちゃんに俺もほっと息を吐く。怒らせたら怖い人ではあるが、普段は優しい人なのだ。
「……つうかねーちゃん、久しぶり。どうしたの今日?」
「ちょっと四国の方に旅行に行ってきたんだ。ご無沙汰だったし、お土産渡しがてら寄ってみたのよ。和樹、うどん好きでしょ? 本場の讃岐うどん買って来たから!」
「マジか。さんきゅ!」
な? 優しい人だろう? わざわざ旅行帰りのお土産を持ってきてくれる従姉がいるなんて、俺はなんて幸せ――ん? 『旅行』?
「でも、四国って……大学は?」
カレンダーの日付を確認しながら頭に浮かんだ疑問をそのままねーちゃんにぶつけてみる。今日、まだ水曜日だぞ?
「折角大学生になったんだし、時間は有効に活用しようかと思って。私、月・金は講義入れて無いのよ」
「……ねーちゃん、ボケた? 今日は水曜日だぞ?」
「大学には休講という素晴らしい制度があるのよ」
「火曜日と水曜日の講義がまるまる休講だったのか? なんだ? 教授陣ストライキでも起こしたの?」
「……大学には自主休講という素晴らしい制度もあるのよ」
人、それをサボりと呼ぶ。ジト目の俺に気付いたか、ねーちゃんがワタワタと手を左右に振って見せる。
「ち、違うのよ! だってさ? ユメと小太郎が二人で四国に行くとか言うからさ! ユメが『綾乃、どーする? 来れなかったら別に良いけどぉ?』なんて挑発してくるから、つ、つい……」
まるで消え入りそうな声でそう呟くねーちゃんに、少しばかり深い溜息を吐く。このねーちゃん、高校時代は成績優秀、品行方正、スポーツ万能で『藤堂綾乃に死角なし』と言われる程に人気のあった人なんだが。
「……ねーちゃん、そろそろ小太郎先輩諦めたら?」
「や、やだよ! 中一から好きなんだよ? 今回だってちょっといい雰囲気だったんだから! こう、あと一歩って感じでさ!」
「でもユメ先輩の方がその一歩分ぐらい、リードしてるんだろ?」
「い、一歩じゃない! 今回の旅行で半歩までその差は縮めたもん!」
「いや、『もん』って」
いかんせん、男運が悪い。いや、正確には男運が悪いというか、ホレた相手が悪いと言うか、若干判断に迷う所ではあるが。
「幼馴染で義妹で、力関係はお姉ちゃんポジションだろ、ユメ先輩。ねーちゃんには分が悪いんじゃない?」
まあ、こんな感じのチートキャラが恋のライバルだったりする。ちなみに義妹で分かると思うだろうが、両方とも姓は一緒の『葛城』だ。妹のユメ先輩もねーちゃんに負けず劣らずの美人さんで先輩を立て、後輩に優しい素晴らしい先輩だったりするが、兄貴の小太郎先輩の方がもっと半端ない。
「……んで? 今度は小太郎先輩、四国で個展?」
「だから、別に私が負けて――え? ああ、うん。瀬戸内の方、最近美術関係のイベント多いから。その下見旅行よ」
美術は詳しくないんで良くは知らんが、新進気鋭の画家さんだったりする。ちなみに俺の部屋に無造作に飾ってある油絵は小太郎先輩が俺の高校進学祝いに描いてくれたやつだが、ウチのあの部長曰く『金に困ったら売れ。私大の二年分ぐらいの学費にはなる』らしい。売らないけどな。小太郎先輩は『まあ、学生だから。物珍しくて評価に下駄履かせて貰ってるだけだよ』なんて言ってるが、日本の最高学府行きながら個展を開くあたりがもう、なんかチート過ぎる気がする。
「ますますスゲーな、小太郎先輩」
「中学までは冴えないヤツだったんだけどね、小太郎も。だから、和樹も頑張りなさい。小太郎みたいになれるかもよ?」
あんなチートキャラは俺には無理だが。そう思い肩を竦める俺に、苦笑を浮かべながらねーちゃんが俺の肩越し、何の気なしにつきっぱなしのディスプレイに視線をやった。
「――あれ? それってHOCスレ? うわ、懐かしい~」
「……知ってるの、ねーちゃん?」
「うん。私達が高校二年ぐらいの頃かな? 結構流行ったの、そのHOCスレ。私達は部長に教えて貰ったのよ」
「部長って……結衣先輩の方?」
「そう」
こんなチート三人を纏めていたのが我らが文芸部部長、北川優子の姉であり天英館高校美術部の前の前の部長である結衣先輩だ。全員が俺らの高校の先輩にあたるあたり、世間は狭い。
「ねーちゃんの頃にもあったんだ、コレ」
「部長曰く、二、三年に一度ぐらいの比率で流行るネット界の風物詩らしいわ。ユメと小太郎と私、三人で凄く頭悩ましてさ~」
そう言いながら画面のスレッドを覗き込み、一人で『うわー、懐かしい!』とか『そうそう、これこれ!』なんて言うねーちゃん。
「……ちなみに、ねーちゃん。『答え』分かってんの?」
「へ? 『答え』?」
「そう、『答え』。部長……優子さんの方な。優子さんも勇人も『分かった』とは言うけど教えてくれないんだよ。部長に至っては『絶対言うなよ』とか釘刺すし」
余程情けない顔をしているのだろう。そんな俺の言葉に少しだけ驚いた様な顔を見せたあと、ねーちゃんは苦笑を顔に浮かべた。
「あー……なるほど、なるほど」
「……なんだよ」
「和樹、プライド高いもんね~。自分だけが分かんないのが悔しいんだ」
「……別にプライド高い訳じゃねーよ。それに、俺だけが分からない訳じゃねーよ。有希だって分かってないし」
「でも、和樹? アンタ、HOCが分かんないのが悔しいんでしょ?」
「……」
沈黙は肯定。長い付き合いだ、ねーちゃんも分かったんだろう。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる俺に苦笑の色を強くした。
「……まあね? HOCスレも此処まで伸びて、ヒントも結構出てるからさ。和樹だったらもうちょっとで『答え』が出ると思うよ?」
「……むしろヒントのせいで余計にこんがらがってんだけど」
「ああ……まあ、ね。その線はあるかも。私も考えすぎて分かんなくなっちゃったし」
「ねーちゃんも?」
「私もどっちかって言うと頭でっかちなタイプだし。でもまあ、勇人君は気付いたんでしょ? 勇人君の事だからきっと『ヒント』言ってくれてるよ。なんて言ってた?」
「……えっと……『分かったけど、説明できない』って」
「うん、流石勇人君。良いヒント出すじゃん」
「……へ? ひ、ヒント? これ、ヒントなの?」
「そうだよ」
そう言ってねーちゃんは画面を指差す。
「此処までヒントが出てるんだから、このスレに居る人間の何人かはきっと、『HOC』が何か分かってると思う。でもね? その分かってる人、誰一人として『HOC』がどういうモノか、説明できないんだよ」
「……意味がわかんねーんだけど? なんで『何か』分かるモノが、説明できねーんだよ」
「最初に書いてあったでしょ? 『知っている』っていう人に出逢っても、信じちゃいけませんって」
「……書いてあったけど」
「HOCって『そういうモノ』なのよ。知っていても、説明できない。説明できる筈がないの。もし、『説明出来る』っていう人が居ても、それは絶対嘘なのよ。だから、勇人君の言ったことが正解。HOCが何か分かっても、それは絶対に説明――」
一息。
「――まあ、ちょっとだけヒントを上げよう。ただの説明は出来ても、内容は話せないハズだから」
「な、内容? 内容って――」
「とにかく!」
そう言ってパンと両手を叩いて見せるねーちゃん。
「ま、HOCなんて気にしても仕方ないわよ。知ったらきっと和樹、怒ると思うし」
「……勇人も言ってたけど、ソレ。別にそこまで怒りっぽくないぞ、俺」
「細かい事はいいの! それより和樹、リビング行こうよ。叔母様が紅茶淹れて下さるらしいから!」
さ、行こうと俺の手を掴み、椅子から立ち上がらせるねーちゃん。そのまま、俺を引きずる様に部屋から出掛けて。
「……ま、コレに関してはもしかしたら有希ちゃんの方が先に気付くかもね」
――何故だろう。
ねーちゃんのその言葉が、やけに耳に残った。