黄昏の虚構都市
お久しぶりです、再開します。
大変お待たせしました。
第四十一階層の知の試練を突破し、僕たちは第四十二階層へと続く重厚な扉の前に立っていた。
これまでの階層を振り返れば、決して楽な道のりではなかった。
しかし、僕たちの心の中には、無意識のうちに「ある種の慢心」が芽生えていたのかもしれない。
どんな理不尽な暴力が来ようと、今の僕たちならねじ伏せられる。
どんな難解な罠が来ようと、神々の助言があれば必ず正解を導き出せる。
――その甘えが、いかに致命的なものであったかを、僕たちはこの扉の先で思い知ることになる。
「……行くぞ」
九条さんが油断なく刀の柄に手をかけ、僕が扉を押し開けた。
――ギィィィィ……。
扉の向こうから吹き込んできたのは、熱風でも、極寒の吹雪でも、血の匂いでもなかった。
それは、酷く冷たくて湿った『雨と、濡れたアスファルトの匂い』だった。
「……嘘、でしょ」
隣で霧島さんが、呆然と声を漏らす。
僕もまた、眼前に広がった光景に息を呑み、足を踏み出すのを躊躇った。
そこに広がっていたのは、見慣れた『現代都市』だった。
天を衝くようなガラス張りの高層ビル群。アスファルトで舗装された広い交差点。
赤、青、黄色と無機質に瞬く信号機。ひらがなや漢字で書かれた、見覚えのあるチェーン店の看板。
空は分厚い雨雲に覆われた『黄昏時』であり、シトシトと冷たい雨が降り注いでいる。
東京だ。それも、新宿や渋谷に酷似した、巨大な繁華街。
だが、決定的に「異常」だった。
……音が、全くないのだ。
車のエンジン音も、人々の喧騒も、街頭ビジョンの広告音も。
ただ、雨がアスファルトを叩く「ザーッ」という無機質なホワイトノイズだけが、世界を支配している。
見渡す限り、生きている人間の姿は一人もいない。
「塔の中に、現代都市の階層……? いえ、よく見ろ」
アーサーさんが白銀の大剣を構えながら、周囲の看板を睨みつけた。
「……文字が、おかしい」
僕も目を凝らす。
一見すると日本の看板のように見えたが、よく見ると文字のゲシュタルトが崩壊していた。
『ヰふカ屋』『死ン宿区』『タダシイ肉』。
意味を成さない、あるいは悪意を持って歪められた文字列が、ネオンサインとして不気味に発光している。
ここは地球ではない。塔のシステムが、僕たちの記憶を読み取って構築した『悪意ある模造品』だ。
「気味が悪い場所だな。だが、やることは変わらねえ。奥へ進むぞ」
レオンさんが戦斧を肩に担ぎ、アスファルトの交差点へと足を踏み出そうとした、その瞬間だった。
――プツンッ。
僕の耳元で、奇妙な電子音が鳴った。
いや、僕だけではない。全員の頭上に浮遊していた『ダンカメ(配信カメラ)』が、一斉にバチバチと火花を散らし始めたのだ。
「え……? ダンカメの様子が……」
サクラさんが不安げに見上げる。
【賢神ソフィア】:レン! 聞こえるか! この階層はマズイ! 空間の位相が――ザザッ……!
【戦神アレス】:空間の断絶……! 塔が、我々の干渉を――ピーッ!!
【冥王ハデス】:気をつけろ、ここは『深淵』の領域に近……ザザザザザッ!!
神々の焦燥に満ちた声が、激しいノイズにかき消されていく。
そして。
ガシャンッ!!
という無機質な音と共に、空中に浮遊していた六つのダンカメが、完全に機能を停止し、ただの鉄の塊となってアスファルトの上に墜落した。
「……ダンカメが、落ちた?」
僕は墜落したカメラを拾い上げる。レンズは真っ黒に濁り、魔力による通信機能が完全に死滅していた。
「おいおい、冗談だろ……? 神様たちの配信が切れたってのか?」
レオンさんの顔から、いつもの豪快な笑みが消え去った。
「……通信障害というレベルではありませんわ。神々の次元と私たちを繋ぐ『回線そのもの』が、強引に切断されました」
シャルロットさんが、青ざめた顔で空間の魔力波長を探る。
神の不在。
それはつまり、致死性のトラップに対する『ソフィアの絶対的な解答』も、強敵に対する『アレスのバフ(加護)』も、もう一切得られないことを意味していた。
全滅の危機に陥っても、誰も助けてはくれない。僕たちは完全に、この悪意に満ちた無音の虚構都市に孤立したのだ。
「……うろたえるな」
九条さんが、静かに、だが鋭い声で場を制した。
「今までが過保護すぎただけだ。我々六人の力があれば、神の助言などなくとも突破できる。……そうだろ、神代」
「……はい。警戒を最大レベルに引き上げましょう。背中を合わせ、絶対に散開しないでください」
僕は剣を抜き、雨に濡れるのも構わず、ゆっくりと交差点の中央へと歩を進めた。
ザァァァァァァ……。
雨音だけが響く都市。魔物の気配は一切ない。
それが逆に、得体の知れない恐怖を煽る。
十分ほど歩き、ビル群の谷間に入った時だった。
――ジリリリリリリリリリリリリッ!!!
突然、静寂を切り裂くようなけたたましいベルの音が鳴り響いた。
音源は、道路の脇に設置されていた『古い緑色の公衆電話』だった。
「公衆電話が、鳴っている……?」
サクラさんがビクッと肩を震わせる。
「罠の可能性が高い。無視しろ」
アーサーさんが警告するが、電話のベルは僕たちの神経を逆撫でするように、狂ったような音量で鳴り続けていた。
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