暗闇の吊り橋と、時間の論理
第三十階層のボス『紫晶の魔帝』を打ち破った僕たちは、現れた星空の扉を押し開き、塔のルールに基づく四度目の『知の試練』へと足を踏み入れた
第三十一階層。
扉の先に広がっていたのは、これまでの第一、第十一、第二十一階層のような「真っ白な空間」ではなかった。
そこは、底が見えないほど深い『暗闇の裂け目』が口を開ける、巨大な地底洞窟だった。裂け目の向こう側には、上へ続く巨大な階段が見える。
そして、こちら側と向こう側を繋いでいるのは、今にも崩れ落ちそうな「古い木製の吊り橋」が一本だけ。
「……なんだここは。今までのパズルの部屋とは雰囲気が違うな」
九条さんが顔をしかめ、吊り橋の足元を覗き込む。石を蹴り落としてみたが、いつまで経っても落ちた音は聞こえなかった。
『――よくぞ、十分の三を踏破した。英雄諸君』
洞窟の暗闇から、無名の王の嘲笑うような声が響き渡った。
『暴力の宴の後は、恒例の知の試練だ。……だが今回は、少し趣向を変えさせてもらった。知恵だけでなく、君たちの「時間」と「勇気」を試させてもらおう』
王の声と共に、僕たちの立っている空間に『見えない壁』が上から降り注いだ。
「きゃっ!?」
「な、何よこれ! 開かないわ!」
霧島さん、サクラさん、シャルロットさんの女性陣三人が、透明な概念の檻に閉じ込められてしまったのだ。
『安心したまえ、彼女たちに危害は加えない。今回の試練の対象は、そこの【四人の男たち】だけだ』
無名の王の言葉通り、檻の外に取り残されたのは、僕と九条さん、アーサーさん、レオンさんの四人だった。
『ルールを説明しよう。君たち四人は、この吊り橋を渡って向こう岸へ行かなければならない。全員が渡り切れば、彼女たちの檻も開き、次の階層へ進める』
『ただし、吊り橋は古く、一度に【二人】までしか乗る強度がない。三人乗れば即座に崩落し、奈落行きだ。
……さらに、この吊り橋の周囲は「絶対暗闇の呪い」がかかっている。橋の入り口にあるその【光の水晶】を持っていないと、一歩も進むことはできない』
王の言う通り、吊り橋の手前の台座には、ランタンのように淡く輝く『光の水晶』が一つだけ置かれていた。
『水晶は一つ。つまり、二人で渡った後、残りの者を迎えに行くために、誰かが水晶を持って「戻ってこなければならない」ということだ』
『君たちの橋を渡る速度は、装備の重量で明確に異なる。……極東の少年は【一分】。極東の侍(九条)は【二分】。重甲冑の騎士は【五分】。そして規格外の巨漢は【十分】かかる』
「俺が一番遅えのかよ!」
レオンさんが不満げに叫ぶが、彼の巨体と数百キロの戦斧を持っていれば、古い吊り橋を渡るのに慎重にならざるを得ないのは当然だった。
『二人で渡る時は、必ず【遅い方】のペースに合わせなければならない。……さあ、ここからが本題だ。この吊り橋は、あと【十七分】で完全に崩落する』
『十七分以内に、四人全員が向こう岸へ渡り切れたまえ。……制限時間を超えれば、全員奈落の底だ。では、健闘を祈る』
王の気配が消え、洞窟の壁に『17:00』と表示された巨大な魔法陣のタイマーがカウントダウンを刻み始めた。
「……なるほど。四人で渡り切るための最短時間を導き出す算数か」
アーサーさんが顎に手を当て、頭の中で計算を始める。
「レン殿が1分、九条殿が2分、私が5分、レオン殿が10分。……水晶を往復させるのだから、一番速いレン殿が『案内役』になるのが定石だな」
「Hahaha、そういうことか! ボーイ、頼んだぜ!」
レオンさんが僕の肩を叩く。
「ええと……つまり、僕が全員を一人ずつ連れて行って、戻ってくればいいんですね」
僕はアーサーさんの言う「定石」通りに計算をしてみた。
1:まず、僕(1分)と九条さん(2分)で渡る。遅い方に合わせるので【2分】消費。
2:僕(1分)が水晶を持って戻る。これで【3分】消費。
3:次に、僕(1分)とアーサーさん(5分)で渡る。【5分】かかり、合計【8分】消費。
4:僕(1分)が水晶を持って戻る。これで合計【9分】消費。
5:最後に、僕(1分)とレオンさん(10分)で渡る。【10分】かかり、合計……。
「……えっ?」
僕は計算結果に青ざめ、アーサーさんを見た。
アーサーさんも同じ計算に行き着いたのか、白銀の甲冑の中で冷や汗を流していた。
「……合計、【十九分】。……制限時間の十七分を、二分オーバーしてしまう……ッ!」
「な、なんだって!?」
レオンさんが目を見開く。
「一番速いお前が案内役をやって、全力で往復して十九分!? じゃあ、どうやっても十七分なんて無理じゃねえか!」
「チッ、ふざけたクイズだ。……なら、俺がお前たち二人を抱えて、三分で飛び越えてやる!」
九条さんが刀の柄に手をかけ、強行突破の構えを見せる。
『警告。物理的なジャンプ、および橋以外からの跳躍は概念障壁により即死とする』
空間に無機質なアナウンスが響き、九条さんが舌打ちをした。
「……くそッ! 一番速いレン殿を軸にしても間に合わないなら、どうすればいいんだ! そもそも、私(5分)とレオン殿(10分)の二人を運ぶだけで、往復の時間を除いても十五分かかってしまうのだぞ!」
アーサーさんが頭を抱える。
タイマーはすでに十五分を切ろうとしていた。
檻の中からは、サクラさんたちが心配そうにこちらを見つめている。
(……どうする。一番速い僕が往復する「最適解」で十九分。なら、それをひっくり返す論理があるはずだ……!)
僕が必死に思考を回転させようとした、その時だった。
【賢神ソフィア】:フハハハハハハッ!! 傑作だ! 一番速い者が案内役になる、という固定観念に囚われた哀れな人間どもめ!
【雷神トール】:おおっ! ソフィアよ、またお前の出番か!
僕のダンカメから、知恵を司る賢神ソフィアの、心底愉快そうなコメントが流れた。
【賢神ソフィア】:レンよ! このパズルの肝は、一番時間を食うアーサー(5分)とレオン(10分)の扱いだ! 奴らを別々に運ぶから『5+10=15分』も消費してしまうのだ!
「ソフィアさん! じゃあ、どうすれば……!?」
【賢神ソフィア】:愚問! 時間のかかる者同士は、まとめて一緒に渡らせてしまえばいいのだ! 遅い方に合わせるルールの逆転の発想よ!
まとめて一緒に渡らせる。
アーサーさん(5分)とレオンさん(10分)を一緒に渡らせれば、遅いレオンさんに合わさるため、かかる時間は【10分】。
別々に渡る(15分)よりも、一気に【5分】も短縮できる!
「……! そうか!!」
僕の脳内で、パズルが完全に解けた。
「でもソフィアさん、アーサーさんとレオンさんが一緒に渡ったら、向こう岸には『遅い二人』しか残らない。
……誰がこちらに水晶を持って帰ってくるんですか!?」
【賢神ソフィア】:フン、だからこそ、最初に『速い者たち』で仕込みをしておくのだろうが!
ソフィアの言葉で、僕は最後のピースをはめ込んだ。
「皆さん! 解決策が分かりました! 僕の指示通りに動いてください!」
「本当か、レン殿!?」
「行きますよ! まず、僕(1分)と九条さん(2分)で向こう岸に渡ります!」
僕は水晶を持ち、九条さんと共に橋を駆け抜けた。
向こう岸に到着。かかった時間は遅い方に合わせて【2分】。
「次に、僕(1分)が水晶を持って元の岸に戻ります!」
僕がダッシュで戻る。合計時間は【3分】。
これで、向こう岸には『九条さん』が待機し、元の岸には僕、アーサーさん、レオンさんの三人がいる状態になる。
「ここで、アーサーさん(5分)とレオンさん(10分)、二人だけで向こう岸へ渡ってください!」
「なんだと!? 俺たちが渡ったら、誰がそっちへ水晶を戻すんだ!?」
「向こうには、九条さんが待機しています!」
「……! そういうことか!!」
アーサーさんがハッと気づき、レオンさんと共に橋を渡り始めた。
重い足取りで渡り切る。遅いレオンさんに合わせるため、ここで【10分】消費。
合計時間は【13分】。
向こう岸には、アーサーさん、レオンさん、そして最初に渡っていた九条さんの三人が揃った。
「チッ、人使いの荒いガキだ……」
向こう岸で水晶を受け取った九条さん(2分)が、元の岸にいる僕を迎えに戻ってくる。
九条さんが戻るのに【2分】消費。
合計時間は【15分】。タイマーの残りはあと二分!
「最後です! 九条さん、一緒に渡りましょう!」
僕(1分)と九条さん(2分)が、再び二人で向こう岸へと駆け抜ける。
遅い方に合わせて【2分】消費。
合計時間は、ぴったり【17分】!!
僕たちが向こう岸に到着した瞬間、頭上のタイマーが『0:00』で停止し、吊り橋がガラガラと音を立てて奈落へと崩れ落ちていった。
同時に、元の岸に取り残されていたサクラさんたちの檻が光となって消え、彼女たちは魔法陣の転送によって僕たちのいる岸へと無事に送られてきた。
「やったぁ! レンさん、すごいです!!」
サクラさんが涙目で僕に抱きついてくる。
「……またしても、君の頭脳に救われたな。一番速い者を案内役にするのではなく、一番遅い者同士を同時に渡らせて時間を相殺する……。
素晴らしい論理の飛躍だ」
アーサーさんが、本気の感嘆の声を漏らした。
「Hahaha! さすが俺たちの知恵袋だぜ! 脳味噌が筋肉でできてる俺じゃ、百年経っても解けなかったな!」
レオンさんが豪快に笑いながら、僕の背中をバンバンと叩く。
僕は苦笑いを浮かべながら、内心でソフィアに深く感謝した。
(……本当に、神々のチートがなかったら詰んでましたよ……)
【賢神ソフィア】:フン! 当然だ! 我が叡智を讃えよ人間ども!
無名の王が用意した第四の知の試練を、僕たちは見事にパーフェクトで突破したのだ。
「さあ、皆さん。知恵熱を出している暇はありませんよ。次へ行きましょう」
僕はサクラさんを引き剥がし、三十一階層の奥にある大階段を見上げた。
暴力の階層と、知のパズル。
全百階層に及ぶ塔の攻略は、中盤戦へと差し掛かろうとしていた。




