雨降る廃都と、癒しの祈り1
第三十二階層は『底なしの泥濘』、第三十三階層は『巨大蟲の巣穴』、第三十四階層は『幻覚の樹海』。
階層を進むごとに、塔が用意する環境は陰湿さを増していった。
物理的な殺意だけでなく、精神をジワジワと削り取るような嫌らしいトラップの連続。
だが、僕たちは決して歩みを止めなかった。
互いの背中を預け合い、神々の助言を道標にしながら、満身創痍の体で扉を開け続ける。
そして、塔への突入から十四日目。
僕たちは、【第三十五階層】の重厚な扉を押し開けた。
――ザァァァァァァァァ……。
扉の向こうに広がっていたのは、とめどなく降り続く『冷たい雨の世界』だった。
空は分厚い鉛色の雲に覆われ、太陽の光は一切届かない。
足元に広がるのは、中世ヨーロッパを思わせる石造りの街並み……の、無残な『廃墟』だった。
崩れ落ちた時計塔、ひび割れた石畳、そして街の至る所に突き刺さった無数の「錆びた剣」と「白骨化すらしていない骸と古い防具」。
「……なんだここは。まるで、巨大な墓場だな」
九条さんが降りしきる雨をマントで凌ぎながら、低く呟く。
「ええ……。とても悲しい魔力を感じます」
サクラさんが胸に手を当て、降りしきる雨の冷たさに身を震わせた。
彼女の言う通り、この階層の空気には、暴力的な殺意よりも、深い「絶望」と「悲哀」が染み付いているように感じられた。
僕たちは警戒しながら、雨の廃都のメインストリートを真っ直ぐに進んでいく。
やがて、街の中央にある巨大な広場へと辿り着いた。
そこには、「彼」が立っていた。
身の丈三メートルはある、巨大な全身鎧の騎士。
かつては白銀に輝いていたであろうその鎧は、赤錆と黒い瘴気に汚れ、左腕は失われている。
右手には、刃こぼれだらけの巨大な大剣が力なく握られていた。
だが、最も僕たちの目を引いたのは、その騎士の姿ではない。
騎士の背後、崩れた噴水の陰に――淡く光る『小さな少女の幻影』が、うずくまるようにして隠れていたのだ。
「……子供、の幽霊?」
霧島さんが驚きに目を見開く。
『…………オ…………オォォォ…………』
僕たちの足音に気づいた瞬間、錆びた騎士の兜の奥で、赤い眼光がぬらりと灯った。
彼は少女の幻影を庇うように背後に隠し、欠けた大剣を僕たちへと向ける。
その全身から、第二十階層の偽天使すら凌駕する、底知れぬ漆黒の魔力が立ち上った。
【冥王ハデス】:……哀れなことだ。無名の王め、死者の魂すら塔の防衛システムに組み込むとは。
【戦神アレス】:ハデスよ、あれは何だ? 魔物ではないのか?
【冥王ハデス】:あれは『不死の守護神』。……かつてこの塔に挑み、そして敗れ去った過去の英雄の成れの果てだ。
自身の娘を守るという未練だけを塔に利用され、永遠に戦い続ける呪いをかけられている様だな。
神々の言葉に、アーサーさんが苦痛に顔を歪めた。
「……過去の英雄、だと。己の魂の安らぎすら奪われ、永遠の門番にされているというのか」
『……テキ……。チカヅク、モノ……ハ……斬ル……!』
悲痛なノイズと共に、騎士が動いた。
巨体に似合わぬ神速の踏み込み。
振り下ろされた大剣が、広場の石畳を爆発するように粉砕する。
「下がりなッ!」
レオンさんが咄嗟に戦斧で受け止めるが、その異常な重さに巨漢のレオンさんすら膝を折られそうになる。
「重えッ……! だが、力比べなら負けねえぜ! 《爆縮撃》!」
レオンさんの反撃が騎士の胸部装甲に叩き込まれ、大きく陥没させる。
「隙あり! 《次元断》!」
アーサーさんが空間ごと騎士の右腕を斬り飛ばそうとする。
――しかし。
『……マモル……マモルン、ダァァァァッ!!』
騎士が絶叫した瞬間、陥没した胸の装甲が泥のようにうごめき、瞬時に元の形状へと『再生』したのだ。
さらに、ダメージを負う前よりも濃密な瘴気が吹き出し、騎士の剣の振りがさらに速く、重くなる。
「なっ!? 再生しただと!?」
「ただの再生じゃありませんわ! こちらの攻撃を吸収して、さらに強くなっています!」
シャルロットさんが氷の結界を展開するが、狂乱した騎士の連撃がそれを容易く砕き割る。
【冥王ハデス】:無駄だ! 奴に「攻撃」は通じない!
【冥王ハデス】:奴の魂は『守る』という強迫観念に縛られている。こちらが敵意を持って攻撃(レベルアップやダメージを狙う行為)をすればするほど、奴の呪いは強固になり、無限に再生と強化を繰り返すぞ!
「攻撃すればするほど、強くなる……!?」
僕が絶句する中、九条さんの神速の抜刀が騎士の首を刎ね飛ばした。
だが、首のない騎士は倒れることなく、噴き出した黒い泥が即座に新しい兜を形成し、凄まじい衝撃波を放って九条さんを弾き飛ばした。
「グハッ……! チッ、反則だろうが……!」
九条さんが壁に叩きつけられ、血を吐く。
打つ手がない。僕たちが「倒そう」とすればするほど、騎士は愛する娘を守るために、限界を超えて強くなってしまうのだ。
このままでは、僕たちは絶対に倒せない無敵の怪物を生み出し、ジリ貧で全滅する。
(……どうすればいい。攻撃が通じないなら、どうやって……)
僕の脳裏に、かつて学んだ魔法の理と、ハデスさんの言葉がフラッシュバックした。
――奴の魂は『守る』という強迫観念に縛られている。
――こちらが敵意を持って攻撃すればするほど、呪いは強固になる。
「……そうだ。レベルアップも、ダメージを与える必要もない。戦っちゃダメなんだ」
僕は剣を鞘に納め、声を張り上げた。




