紫晶の魔帝との戦い
――ギィィィィィィ……ッ。
不気味な脈動を繰り返す紫水晶の扉を押し開けると、冷たく、そしてどこか甘ったるい香りのする空気が流れ込んできた。
扉の向こうに広がっていたのは、床も壁も天井も、すべてが巨大なアメジストで構成された『紫晶の玉座の間』だった。
無数の紫色のクリスタルが松明のように妖しく発光し、広大な空間を照らし出している。
そして、その最奥にあるひときわ巨大な紫水晶の玉座に、「それ」は優雅に脚を組んで座っていた。
『……ホウ。我ガ玉座ニ至ル、愚カナル人間ガ居タトハナ』
脳に直接響く、艶やかで残酷なテレパシー。
そこにいたのは、漆黒のタキシードのような細身の装束に身を包んだ、青白い肌を持つ美しき魔神だった。
額からは漆黒の二本角が伸び、その背中からはマントのように巨大な「蝙蝠の翼」が広がっている。
しかし最も異様だったのは、その魔神には『四本の腕』があり、それぞれの手に禍々しい光を放つ紫色の宝玉を握っていることだった。
【冥王ハデス】:……まさか、深淵に封じたはずの『紫晶の魔帝』の模造品まで作り出すとはな。
【戦神アレス】:気をつけろ人間ども! 奴の魔力は、ただの破壊ではない! 触れたものをすべて『紫水晶(死)』へと変える呪いだ!
「触れたものを、紫水晶に……!?」
僕が驚愕した瞬間、魔帝が四本の腕のうちの一本を、指揮棒でも振るうかのように優雅に振った。
『――晶化』
魔帝の手の宝玉から、極太の『紫色の光線』が放たれた。
「Hahaha! どんな魔法だろうが、弾き返してやるぜ!」
先陣を切ったレオンさんが、巨大な戦斧を盾にして光線を真正面から受け止める。
だが、爆発は起きなかった。
その代わり、光線が直撃した戦斧の分厚い鋼鉄の刃が、ピキピキと音を立てて『紫水晶』へと変貌し始めたのだ。
「なっ……!? Faaaaack! なんだこりゃ、斧が水晶になっちまいやがる!」
クリスタル化の波は、戦斧の柄を伝い、レオンさんの太い腕へと迫る。
「レオンさん、捨ててください! 腕まで水晶にされますよ!」
「バカ言え! 俺の相棒を捨てられるかよ!」
レオンさんは咄嗟に、自身の闘気を戦斧の『内側』へと圧縮して叩き込んだ。
「《爆縮撃》ッ!!」
ドゴォォンッ! という衝撃と共に、紫水晶に変えられてしまった刃の一部を強引に粉砕し、クリスタル化の進行を物理的に断ち切った。
しかし、戦斧は大きく欠け、彼の腕には無数の水晶の破片が突き刺さっている。
『フフ……野蛮ナ猿メ。我ガ呪イハ、防壁スラモ侵食スルゾ』
魔帝が残り三本の腕を掲げると、玉座の間の空中に無数の「紫水晶の槍」が生成され、雨霰のように僕たちへと降り注いできた。
「サクラさん、防壁を!」
「はいっ! 《多重聖壁》!」
黄金の結界が展開されるが、神々の警告通り、紫水晶の槍が突き刺さった端から結界そのものが「紫色のガラス」へと変異し、パリンッと砕け散っていく。
「結界が呪いで中和されます! 物理的な防御は不可能ですわ!」
シャルロットさんが細剣を構え、迫り来る水晶の槍に《氷獄・コキュートス》を放つ。
だが、絶対零度の冷気すらも、魔帝の呪いを完全に停止させることはできず、氷ごと紫水晶に飲み込まれてしまう。
(……なんてデタラメな能力だ。触れられたら即死、防御魔法も水晶に変えられる!)
「なら、触れる前に空間ごと断ち切るまでだ!」
アーサーさんが猛然と踏み込んだ。
「――《聖王光刃・次元断》・連撃!」
大剣から放たれた極細の次元の刃が、降り注ぐ水晶の槍を空中で次々と切り裂いていく。
呪いが伝播する前に、空間の繋がりそのものを分断する最適解。
「霧島さん! 砕けた水晶の破片を吸い込んだら、体内から水晶化します! 風で吹き飛ばして!」
「任せて! 《烈風陣・暴風域》!」
僕の指示に即座に反応した霧島さんが、広範囲の竜巻を発生させ、アーサーさんが切り裂いた水晶の破片を玉座の間の隅へと吹き飛ばす。
『……小賢シイ蝿ドモメ。ナラバ、コレハ避ケラレルカ?』
魔帝が不快げに顔を歪め、四本の腕すべてを胸の前に交差させた。
その瞬間、彼の背後の巨大な翼が開き、空間全体の魔力が一気に収縮していく。
広範囲の、逃げ場のない「晶化の呪い」が放たれようとしていた。
「九条さん!」
「チッ、いちいち叫ぶな」
僕が声を上げるよりも早く、九条さんはすでに魔帝の背後、完全な死角へと潜り込んでいた。
音のない、神速の抜刀。
「――邪魔だ、腕が多すぎる」
ズバァァァンッ!!
不可視の斬撃が、魔力を練り上げていた魔帝の右側の『二本の腕』を、肩から綺麗に切断した。
『グォォォォォォッ!? キサマァッ!』
激痛に魔帝の姿勢が崩れ、広範囲魔法の詠唱が中断される。
「今です、アーサーさん!」
「承知した! 騎士の誇りにかけて、この邪悪を討つ!」
アーサーさんが大剣を上段に構え、そこにサクラさんが限界まで練り上げた「極大の光魔法」を付与する。
光の魔力が、紫水晶の呪い(闇)を強烈に浄化していく。
「――《聖王光刃・神域》!!」
アーサーさんの放った、空間すらも白く染め上げる究極の斬撃が、魔帝の胴体を深く切り裂く。
『ガ、アアアアアアッ……!!』
魔帝の防御が完全に崩れた。
その胸の中心にある、心臓の代わりとなっている『漆黒の宝玉』が露出する。
「これで、終わりです!」
僕は剣に紅蓮の炎、黄金の雷、そして激流の水を極限圧縮させた。オアシスで完全回復した今の僕なら、この三属性の融合をコンマ一秒で完了できる。
「――《三絶・水雷火砲》最大出力ッ!!」
僕の手から放たれた極彩色の魔力の奔流が、アーサーさんの切り裂いた傷口へと真っ直ぐに吸い込まれ、露出していた『漆黒の宝玉』を完璧に撃ち抜いた。
パキリ、と。
小さな、しかし決定的な亀裂の音が玉座の間に響いた。
『バ、カ、ナ…………我ガ、呪イガ、破レ…………』
魔帝の四本の腕がだらりと下がり、その身体が内側から眩い光を放ち始める。
次の瞬間、紫晶の魔帝は自身が操っていたのと同じように、美しい紫水晶の彫像へと変わり――パリンッ! と甲高い音を立てて、数万のクリスタルの破片となって砕け散った。
「……ハァ、ハァ……」
僕は剣を下ろし、大きく息を吐いた。
「Hahaha! やったぜ! どんな呪いだろうが、当たらなきゃどうってことねえな!」
レオンさんが欠けた戦斧を肩に担ぎ、笑い声を上げる。
「ええ。防御すら許されない恐ろしい呪いでしたが、皆の連携があれば恐るるに足らず、ですわ」
シャルロットさんも、扇子で優雅に顔を仰いだ。
そして。
魔帝の玉座が崩れ去ったその奥に、次なる階層へと続く『星空の扉』がゆっくりと姿を現した。
暴力の階層の区切りを越えた先にあるもの。
それは、三十一階層における四度目の『知の試練』の始まりを意味していた。




