屍の荒野と、反撃の狼煙
第二十六階層の『星の泉』で心身ともに完全な回復を果たした僕たちは、かつてないほどのコンディションの良さと、溢れんばかりの魔力を実感しながら、第二十七階層の扉を押し開いた。
――ズォォォォォォォォンッ!!
第二十七階層の扉を抜けた瞬間、僕たちの鼓膜を震わせたのは、大地そのものが鳴動するような重い地鳴りだった。
空はどんよりとした赤黒い暗雲に覆われ、空気からはむせ返るような鉄と血の匂いが漂ってくる。
ひび割れた荒野が地平線の彼方まで続く、文字通りの『戦場』。
そして、その荒野に陣取っていたのは、威圧的な威容を誇る重装甲の部隊だった。
「……こいつは、骨が折れそうだな」
九条さんが目を細め、刀の柄に手をかける。
僕たちの目の前に現れたのは、全身を赤錆色の重装甲で覆い、身の丈三メートルを超える半人半馬の怪物――Sランク指定魔物『血鋼の人馬』の群れだった。
一体一体が戦車の主砲にも耐えうる装甲と、岩盤を粉砕する突進力を持つバケモノ。
それが、ざっと見見積もっても『数千体』、整然と隊列を組んで僕たちを待ち構えていたのだ。
『侵入者ヲ確認。……全軍、蹂躙セヨ』
軍勢の奥から響いた無機質な号令と共に、数千のSランク魔物がいっせいに突撃を開始した。
ドドドドドドドドッ!!!
荒野が揺れ、土煙が壁のように巻き起こる。もし下界でこの群れが暴走すれば、一つの小国が数日で地図から消え去るほどの暴力の津波だ。
疲労困憊の状態でここに放り込まれていれば、確実に全滅していただろう。
だが、今の僕たちは違う。
「Hahaha! 最高の歓迎じゃねえか! オアシスで体がなまってたところだ、準備運動にはちょうどいいぜ!」
レオンさんが、豪快な笑い声を上げ、戦斧を肩に担いで一歩前へ出た。
「ええ。数千の泥人形が束になろうと、大英帝国の騎士の道を阻むことはできん!」
アーサーさんも白銀の大剣を抜き放ち、レオンさんと肩を並べる。
星の泉による回復で、僕たちのステータス自体が底上げされたわけではない。
だが、極限まで枯渇していた魔力が完全に満たされ、筋肉の軋みも脳の疲労も完全に消え去った『万全のコンディション』が、どれほど強力な武器になるかを僕たちは理解していた。
「サクラさん、初手から全力の強化をお願いします!」
「はいっ! 皆さん、行きますよ! 《戦乙女の祝福》!!」
サクラさんの杖から淀みない黄金の光が放たれ、僕たち六人の身体能力と魔力出力を、それぞれが持つ本来の『限界値』まで引き上げる。
「一番槍はもらうぜ! 吹き飛びなッ!」
レオンさんが、迫り来る突撃の先頭に向かって跳躍した。
彼は空中で戦斧を振りかぶり、闘気を一点に圧縮させる。
「――《超新星・爆縮撃》!」
彼が戦斧を先頭の人馬に叩きつけた瞬間、無音の爆発が対象の内部から弾け、その衝撃波が後続の数十体を巻き込んで密集した隊列に巨大な風穴を開けた。
「遅れはとらん! 《聖王光刃・次元断》!」
アーサーさんが大剣を振り抜く。
レオンさんが開けた風穴に追撃するように、空間の綻びを突いた極細の斬撃が一直線に伸び、突進の勢いを利用して何十体もの人馬を分厚い盾もろとも両断していく。
「野蛮な男たちですこと。……美しい氷像の森に変えて差し上げますわ」
シャルロットさんが優雅にステップを踏み、細剣を突き出す。
「――《氷神界・エントロピー・ゼロ》」
彼女が対象としたのは、横から回り込もうとしていた数百の別働隊。魔力の流れそのものを凍結させる絶対の静寂が、先頭集団の足を止め、後続が次々と乗り上げて折り重なるように氷の彫刻へと変わっていく。
「私の風で、粉々に砕いてあげるわ! 《烈風陣・大旋風》!」
霧島さんがすかさず神刀を振り下ろす。
発生した竜巻が、シャルロットさんが凍らせた人馬の氷像を巻き上げ、空中でパリンッパリンッと粉砕した。
互いの長所を完全に理解した、無駄のない範囲殲滅の連携。
「チッ、大味な真似ばかりしやがって。……撃ち漏らしは俺が片付ける」
九条さんが低い姿勢のまま、乱れた軍勢の隙間を縫うように疾走する。
彼がすれ違うたび、何が起きたか理解する間もなく、人馬たちの首や足が空間ごとズレて地面に崩れ落ちていく。神速の抜刀術が、確実に敵の数を減らしていく。
「レンさん、私たちも!」
「ええ! 出し惜しみなしでいきますよ!」
僕は剣に紅蓮の炎と黄金の雷を極限まで纏わせ、水流でコーティングする。
疲労がない今、三属性の融合スピードはかつてなく速く、安定していた。
「《三絶・水雷火砲》ッ!!」
僕が放った極彩色の魔力の奔流が、反撃に出ようとしていた重装甲の部隊を光の波に飲み込み、装甲ごと跡形もなく蒸発させた。
【戦神アレス】:フハハハハハハッ!! 素晴らしい! 疲労という枷が外れた人間の力、見事な暴れっぷりだ!
【賢神ソフィア】:これまでの過酷な階層で叩き込まれた実戦経験と連携が、万全のコンディションで完璧に機能している。
無駄な動きが一切ないな。
神々の言葉通りだった。
僕たちの力そのものが急激に増したわけではない。
だが、鏡の迷宮や過酷な環境下で「どう動けば味方をカバーできるか」「どう力を使えば最も効率よく魔物を倒せるか」を身体に刻み込んできた結果が、この流れるような蹂躙劇を生み出していたのだ。
数千を数えたSランクの軍勢は、十分もしないうちにその半数を失い、やがて統制を崩して崩壊していった。
「ふぅ……。良い汗かいたぜ!」
最後の一体を戦斧で叩き割ったレオンさんが、ニッと笑って額の汗を拭う。
周囲の荒野は、無数のクレーターと氷の破片、そしてスクラップの山と化していた。
「……息が上がることもないわね。オアシスの水、ペットボトルに詰めて持ってきたいくらいだわ」
霧島さんが刀を鞘に納め、軽く肩を回す。
「ええ。これなら、タイムリミットにも十分に間に合いそうですわね」
シャルロットさんも、ドレスコートの裾を優雅に払った。
第二十七階層を突破した僕たちは、続く第二十八階層『酸の海』、第二十九階層『重力逆転の塔』も、危なげないペースで駆け抜けた。
状態異常はサクラさんが防壁で完全に遮断し、物理的な障害はレオンさんとアーサーさんが粉砕。魔法的なギミックは僕とシャルロットさんで解析し、無効化する。
六人の能力がパズルのように噛み合い、塔の理不尽を冷静な知略と暴力でねじ伏せていく。
そして、星の泉を出発してからわずか二日後。
タイムリミットまで残り六十六日を残し、僕たちは再び、一つの巨大な「区切り」の前に到達していた。
「……来ましたね。十分の三の到達点」
僕が足を止める。
第三十階層の扉。
それは、第十階層の黒鉄とも、第二十階層の白亜とも違う、おどろおどろしい『紫水晶』で形作られた、不気味に脈打つ巨大な扉だった。
「……この奥から感じる魔力、あの偽天使の比じゃないわ。肌がヒリヒリする」
霧島さんが緊張した面持ちで、天つ風の柄を強く握る。
「ええ。ですが、今の僕たちなら絶対に勝てます。……行きましょう」
僕が仲間たちと頷き合い、紫水晶の扉を押し開けたその先。
そこで僕たちを待ち受けていたのは、暴力の階層の極致とも言える、想像を絶する『絶望の化身』だった。




