星の命の泉と、戦士たちの休息
第二十五階層の闘技場に、巨神兵の残骸が崩れ落ちる重い音が響き渡った。
「……へへっ。ざまぁ、みろ……」
血まみれの左腕を押さえながら、レオンが仰向けに倒れ込む。
僕もまた、限界を迎えてその場に座り込んだ。魔力は完全に底を突き、指先一つ動かすのもしんどい。
サクラは膝をついたまま気を失いかけており、アーサーも白銀の甲冑を血と油で汚しながら、荒い息を吐いていた。
「サクラ、ポーションだ。飲んでくれ」
僕はアイテムボックスから非常用の高級ポーションを取り出し、サクラとレオンに飲ませた。しかし、アイテムの回復量では、完全に枯渇した魔力や複雑に砕けた骨を瞬時に治すことはできない。
「……とにかく、次の階層へ進もう。この闘技場に次の魔物が湧いたら、今度こそ全滅だ」
九条が刀を杖代わりに立ち上がり、奥に出現した重厚な扉を顎でしゃくった。
僕とアーサーでレオンの巨体を担ぎ、霧島とシャルロットがサクラを支える。満身創痍の状態で、俺たちは第二十六階層の扉をゆっくりと押し開けた。
――ギィィィ……。
扉の先に広がっていたのは、予想を完全に裏切る光景だった。
殺意に満ちた暴力の階層でも、精神を削る知の試練でもない。
そこは、淡いエメラルドグリーンの光に包まれた『巨大な地底湖』だった。
ドーム状の天井には発光する水晶が星空のように輝き、足元には柔らかい苔が絨毯のように敷き詰められている。
澄み切った水がとうとうと湧き出し、空気は適度に暖かく、心地よい花の香りが漂っていた。
何より、これまでの階層に満ちていた「敵意」や「瘴気」が一切存在しない。
「これは……」
僕が呆然としていると、湖のほとりに設置された古い石碑が目に入った。
そこには、かつての塔の挑戦者が残したのか、古代文字でこう刻まれていた。
『戦士たちよ、ここで羽を休めよ。ここは星の命が湧き出る泉なり』
(なんでこの文字が古代文字だと分かるんだろう‥。それに僕はなぜ読めるんだ)
「星の命が、湧き出る泉……」
シャルロットがフラフラと泉に近づき、その澄んだ水を両手ですくい、一口飲んだ。
次の瞬間、彼女の顔色が劇的に良くなり、ボロボロに破れていたドレスコートの汚れや傷までもが、淡い光と共に瞬く間に修復されていった。
「す、すごいですわ……! この水、純度百パーセントの『特級エリクサー』以上の効力を持っています! 魔力も体力も、一瞬で底まで満たされましたわ!」
「なんだと!?」
その言葉を聞いた瞬間、レオンが「Yeeeeehaaaaa!!」と野生の雄叫びを上げながら、服も甲冑も着たまま巨大な泉へとダイブした。
バシャァァァァンッ!!
「あーっ! レオンさん、水が跳ねますわ!」
「Hahaha! 地獄に仏とはこのことだぜ! ほら見ろ、チェーンソーでえぐられた腕がもう綺麗にくっついた! 力がみなぎってくるぜ!」
レオンが水面から顔を出し、完治した両腕で豪快なマッスルポーズを決める。
過酷な連戦で極限まで張り詰めていたストレスが、一気に氷解していくのを感じた。
ここは全百階層に及ぶ塔の中に数カ所だけ存在する、完全なる『絶対安全地帯』だったのだ。
「……助かりました。本当に、死ぬかと思いました……」
サクラも泉の水を飲み、血色の戻った顔でへなへなとその場に座り込んだ。
「よし。それなら、積もり積もった汗と血と油の汚れを、ここで全部洗い流させてもらうわよ。……シャルロット、お願いできる?」
「ええ、任せてくださいな」
霧島の言葉に頷き、シャルロットが優雅に細剣を振るう。
「――《氷壁》」
湖の中央に、分厚く、そして絶対に向こう側が透けない巨大な氷の壁がそびえ立った。男湯と女湯の完成である。
「さあ、男どもはあっちに行きなさい! 覗いたら風穴を開けるからね!」
「……チッ、誰が見るか」
九条が悪態をつきながら、そっぽを向いて男湯エリアへと歩いていく。
♦︎
僕たち男性陣も装備を外し、温かいエリクサーの泉にゆっくりと肩まで浸かった。
「……ふぅぅぅ……」
思わず、だらしない声が漏れてしまう。
骨の髄まで染み込んでいた疲労と痛みが、文字通り溶けていくような感覚。
これまでの地獄のような階層を乗り越えてきたからこそ、この休息の甘美さは格別だった。
「いやはや、大英帝国の王室専用スパにも劣らぬ素晴らしい湯だな」
アーサーが、どこから取り出したのかティーカップを片手に、湯船の中で優雅に紅茶を嗜んでいる。
「Hahaha! アーサー、お前風呂の中でまで紅茶飲んでんのかよ! 少しは肩の力を抜けって!」
「騎士たるもの、いかなる時も優雅さを失ってはならないのだ」
隣の女湯エリアからは、サクラたちのはしゃぐ声や、水の掛け合いをする楽しげな笑い声が聞こえてくる。
数時間前まで死線を彷徨っていたとは思えないほどの、平和な時間。
【雷神トール】:おおっ! 温泉回ではないか! おいダンカメ、もっと角度を変えろ! 氷の壁の向こう側を映すのだ!
【戦神アレス】:フハハハッ! 我も賛成だ! 戦士の休息とはいえ、女神たちの美しい姿を眼に焼き付けておかねばな!
ダンカメがこっそりと氷の壁を越えようと浮上した、その瞬間。
【賢神ソフィア】:ええい、この痴れ者どもが!!
【古代龍バハムート】:……嘆かわしい。神の威厳も地に堕ちたものだ。
ソフィアとバハムートの権限により、ダンカメのカメラ機能が強制的にロックされ、画面が一時的に「調整中」の文字で覆い隠された。
相変わらず騒がしい神々のやり取りに、僕は思わず吹き出してしまった。
「……笑い事じゃねえぞ、神代」
少し離れた岩場で湯に浸かっていた九条が、鋭い視線をこちらに向けてきた。
「こんな甘ったるいオアシスを用意しているということは、塔のシステムが『ここで全回復しておかなければ、この先は一秒も持たない』と宣言しているようなものだ」
「……ええ、分かっています」
僕も真顔になり、引き締まった表情で頷いた。
四分の一を越え、残る階層は七十五。
暴力の階層の殺意も、知の試練の難易度も、ここからさらに跳ね上がっていくことは火を見るより明らかだ。
「だが、負ける気はしねえな」
レオンが、湯をすくって自身の分厚い胸板にかけながら、不敵に笑う。
「俺たちは、この十数日で次元が違うほど強くなった。過去の自分たちの完全コピーすら叩き潰したんだ。
……この先のバケモノどもがどれほど理不尽だろうが、俺たちの理不尽でねじ伏せてやるだけさ」
「その通りだ。我ら六人の歩みは、もはや神話ですら止められまい」
アーサーも力強く同意した。
彼らの言う通りだった。
絶望的な環境の中で、僕たちの力は限界を突破し続けている。そして何より、共に死線を潜り抜けたこの「仲間」への絶対的な信頼が、今の僕たちにはあった。
十分な休息を取り、魔力も体力も限界以上にまで高まった俺たちは、真新しい装備(アイテムボックスの予備)を身に纏い、再び立ち上がった。
「皆さん、準備はいいですか?」
僕が振り返ると、サクラ、霧島、シャルロットの三人も、完全に気力を取り戻し、闘志に満ちた瞳で頷いた。
「ええ。いつでも行けますわ」
「さあ、案内してちょうだい。次のバケモノのところへね」
タイムリミットまで、残り六十八日。
人類最強にして、最高の連携を手に入れた規格外の六人は、星の泉のオアシスを後にし、第二十七階層へと続く巨大な扉を力強く押し開けた。
世界を救うための反撃は、ここからが本番である。




