狂気の道程と、第十階層の黒騎士
第五階層の激闘を終え、僕たちは塔の過酷さをこれでもかと味わいながら少しずつ、だが確実に歩みを進めていた。
「ゆっくり進む」という言葉通り、このバベルの塔はただ駆け上がれるほど甘い構造ではなかったからだ。
第六階層は、空から致死性の強酸の雨が降り注ぐ『腐食の沼地』だった。
第七階層は、上下左右の重力がランダムに反転し続ける『無重力迷宮』。
第八階層、第九階層と進むにつれ、出現する魔物はすべてSランク相当の異常個体ばかりになり、環境そのものが僕たちを殺しにかかってきた。
「……ハァ、ハァ……。さすがに、堪えますわね」
第九階層の安全地帯で、シャルロットさんが氷の椅子に深く腰掛け、ドレスコートの汚れを払う余裕もなく息をついた。
「Hahaha…全くだ。毎日が世界大戦の最前線みたいなテンションだぜ……」
無尽蔵のスタミナを誇るレオンさんでさえ、戦斧を杖代わりにして肩で息をしている。
塔に突入してから、すでに五日が経過していた。
タイムリミットまで残り七十二日。
サクラさんの回復魔法がなければ、僕たちの肉体と精神はとうの昔に崩壊していただろう。
「皆さん、温かいスープができましたよ。少しでも胃に入れておいてください」
サクラさんが、疲労を感じさせない笑顔で配給に回ってくれる。
「……すまない、サクラ殿。貴女の癒しこそ、この地獄における真の光だ」
アーサーさんが感謝と共にカップを受け取る。
「サクラさん、無理はしてない? 魔力酔いがあったらすぐに言ってね」
僕が声をかけると、彼女は「大丈夫です! レオンさんたちの壁が分厚いおかげで、私は支援に集中できていますから」と頼もしく笑ってくれた。
休息を取り、装備のメンテナンスを終えた僕たちは、いよいよ一つ目の大きな区切りである『第十階層』の扉の前に立っていた。
「……行くぞ。この扉の奥の魔力、今までの階層とは桁が違う」
九条さんが刀の鯉口を切り、鋭い視線を扉に向ける。
「ええ。十階層ごとの区切り……おそらく、強力なボスが待ち構えています」
僕が頷き、全員で重々しい黒鉄の扉を押し開けた。
ギィィィィィ……ッ。
扉の向こうに広がっていたのは、月明かりだけが差し込む、荒廃した『巨大な大聖堂』だった。
ステンドグラスは砕け散り、崩れた祭壇の奥に、漆黒の玉座が置かれている。
そこに、一人の騎士が座していた。
全身を夜の闇を固めたような漆黒の重鎧で覆い、身の丈を優に超える巨大な黒い大剣を地に突き立てている。
兜の奥で、二つの赤い眼光が僕たちを捉えた。
『――我は深淵。この塔の十分の一を統べる、絶望の門番なり』
地鳴りのような低い声と共に、騎士が立ち上がる。
Sランク指定、いや、神話級の領域に足を踏み入れたアンデッドの王。『深淵の騎士』。
「……来るぞッ!」
レオンさんが叫んだ瞬間、深淵の騎士が巨大な大剣を片手で軽々と振り抜いた。
ズバァァァァンッ!!
剣から放たれた『漆黒の斬撃』が、大聖堂の床を削りながら一直線にこちらへ迫る。
「《聖王光刃》!」
アーサーさんが咄嗟に白銀の大剣で迎撃する。光と闇が激突し、凄まじい衝撃波が大聖堂を揺るがした。
「ぐっ……なんという重さだ……!」
極限圧縮を会得したアーサーさんでさえ、一歩後退させられる異常な出力。
『暗闇よ、我が刃となれ』
騎士が虚空に手をかざすと、大聖堂に落ちていた僕たちの「影」が突如として実体を持ち、漆黒の刃となって僕たちの足元から襲いかかってきた。
「影が動いた!? 《烈風陣》!」
霧島さんが風で影の刃を弾き飛ばす。
「物理法則を完全に無視していますわね! 《氷神界・エントロピー・ゼロ》!」
シャルロットさんが騎士の足元へ絶対零度の氷を放つが、騎士の纏う濃密な闇のオーラが、凍結の魔力をジリジリと相殺していく。
【冥王ハデス】:気をつけろ人間ども! アレはただのアンデッドではない。「闇」という概念そのものを鎧として纏っておる!
【賢神ソフィア】:中途半端な魔法はすべて闇に飲まれるぞ! 純粋な『光』か、闇の許容量を超える圧倒的なエネルギーで押し潰すしかない!
神々の忠告が響く。
「光なら、ここにあります! サクラさん!」
「はいっ! アーサーさん、光の魔力を合わせます!」
サクラさんが杖を掲げ、大聖堂を照らすほどの黄金の結界を展開する。その光を、アーサーさんが白銀の大剣へと吸い上げていく。
「九条さん、レオンさん! 騎士の気を引いてください!」
「命令するな!」
「任せな、ボーイ!」
九条さんとレオンさんが、左右から同時に騎士へと肉薄する。
九条さんの神速の《次元断》が騎士の闇のオーラを切り裂き、そこにレオンさんの《爆縮撃》が叩き込まれる。
『ヌウウウウッ……!』
さすがの深淵の騎士も、二人の規格外の猛攻に体勢を崩し、防御に回らざるを得ない。
(……今だ!)
僕の『並列思考』が、騎士の闇のオーラが最も薄くなった瞬間を捉える。
「アーサーさん、一気に貫きますよ!」
「承知した! 騎士の誇りに懸けて! 《聖王光刃・神域》!!」
アーサーさんが、サクラさんの極大の光魔法を乗せた、最強の次元斬を放つ。
そして僕も、剣に炎と雷、そして水を極限まで圧縮した。
「――《三絶・水雷火砲》最大出力ッ!!」
アーサーさんの眩い光の斬撃と、僕の極彩色の魔力奔流。
二つの絶対的なエネルギーが空中で螺旋を描くように融合し、体勢を崩していた深淵の騎士の胸部へと真っ直ぐに突き刺さった。
『オ、オオオオオオオオオッ……!! 光、が……』
深淵の闇を切り裂く、文字通りの『希望の光』。
闇のオーラごと鎧を粉砕された騎士は、赤い眼光を明滅させながら、光の粒子となってゆっくりと崩れ去っていった。
「……やった、か」
僕が剣を下ろすと、仲間たちが次々と床にへたり込んだ。
第十階層のボス。その強さは、間違いなく入り口にいた古代龍に匹敵していた。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ。
騎士が消滅した祭壇の奥から、上へと続く新たな扉が姿を現す。
僕たちは荒い息を整えながら、その扉を開いた。
――扉の向こうに広がっていたのは。
第一階層で見たのと同じ、巨大なチェス盤のような白黒のタイルと、見渡す限りの真っ白な空間だった。
『――よくぞ十分の一を踏破した、英雄諸君』
空間に、無名の王の声が響き渡る。
第十一階層。
ルール通りならば、ここは暴力が通用しない『知の試練』の階層だ。
『暴力の宴の後は、少し頭を冷やしてもらおうか。……さあ、第二の謎解きを始めようか』




