変異する大迷宮と、コアの奪還
東京地下大迷宮。
かつては中堅ランク探索者たちの登竜門であり、内部は整備された洞窟のような比較的安全な構造をしていたはずだった。
しかし、ゲートを潜ったレンたちを待ち受けていたのは、常識を完全に覆す「異界」の光景だった。
無機質だったはずの岩壁は、赤黒い肉塊のような不気味な物質で覆われ、ドクン、ドクンと脈打っている。
空気は粘り気を帯び、呼吸をするだけで肺が焼けるような瘴気が満ちていた。
「……ひどい有様ですね。まるで、迷宮全体が一つの生き物みたいだ」
レンは剣を抜き、慎重に足元を確認しながら呟いた。
「ええ。塔からの魔力供給で、ダンジョンの存在レベルが極限まで引き上げられているわ。……普通の探索者なら、この瘴気を吸っただけで数分で発狂するレベルよ」
アリサが顔をしかめながら、自身の周囲に風の結界を展開する。
「サクラさん、瘴気の浄化は持ちますか?」
「はい、大丈夫です! 《広域浄化》と《状態異常無効》を常時展開しています。私の魔力が続く限り、皆さんに毒は届かせません!」
サクラが杖を掲げると、四人を覆う黄金の光が明滅し、迫り来る赤黒い瘴気をジュワジュワと弾き返した。
「頼りにしてるよ。……行くぞ、まずは第一の関門だ」
颯真が白刃を抜き放った直後、肉塊の壁がボコボコと膨れ上がり、そこから無数の魔物が産み落とされるようにして姿を現した。
『GYAAAAAAAAAAッ!!』
全身から酸の粘液を滴らせる、巨大な蜘蛛の群れ。
本来なら下層にしか出現しないBランク魔物が、瘴気の影響でAランク相当の『アシッド・タランチュラ』へと変異していた。
それが、壁や天井を埋め尽くすほどの数で押し寄せてくる。
「霧島さん、上をお願いします! 九条さんは右を!」
「指示するなと言っているだろうが!」
颯真が舌打ちと共に踏み込み、不可視の斬撃で右翼の蜘蛛の群れを細切れの肉片に変える。アリサもまた、真空の刃で天井から降り注ぐ酸の雨ごと魔物を切り刻んだ。
レンの脳内で、賢神ソフィアの『並列思考』が超高速で駆動する。
迷宮の構造、敵の数、酸の飛散軌道。すべてを計算し、最も効率的な殲滅ルートを弾き出す。
「――《雷火の剣・円月》!」
レンが身を低くして回転しながら剣を振り抜くと、炎と雷の巨大なリングが広がり、迫り来る蜘蛛の群れをまとめて消し炭に変えた。
【戦神アレス】:良い動きだ! だが、迷宮そのものが貴様らを排除しようと蠢いているぞ! 足元に気をつけろ!
【古代龍バハムート】:……来るぞ。空間の歪みだ。
神々の警告と同時。
レンたちの立っていた通路の床が、突如として泥のように液状化し、底なしの沼へと変貌した。ダンジョンそのものが罠として牙を剥いたのだ。
「っ、床が落ちます!」
レンが叫ぶと同時に、四人の身体が沼へと引きずり込まれそうになる。
「させないわ! 《烈風陣》!」
アリサが即座に風の魔法を足元に展開し、四人の身体を宙に浮かせる。
だが、液状化した床の中から、今度は無数の『石の触手』が伸び、空中の四人を絡め取ろうと襲いかかってきた。
「物理的な迎撃じゃキリがありません! サクラさん、魔力の結節点を探れますか!?」
「はい! ……レンさん、右斜め前の壁の奥! あそこに罠の制御核があります!」
「了解です! 九条さん、道を!」
「……チッ。一瞬だけだ、合わせろ!」
空中で体勢を整えた颯真が、右斜め前の肉塊の壁に向かって、渾身の空間斬撃を放つ。
ズバァァァンッ! と分厚い壁が十字に切り裂かれ、その奥で妖しく光る紫色の結晶が露出した。
レンはその一瞬の隙を見逃さず、左手から極限まで圧縮した《水雷砲》を放ち、結晶を正確に撃ち抜いた。
パリンッ! という音と共に、周囲の空間がブレて元の硬い岩盤の床へと戻る。
「……ふぅ。罠の解除一つとっても、命懸けですね」
床に着地したレンが小さく息を吐く。
ただ敵を倒すだけではない。空間の歪みや環境トラップを瞬時に解析し、四人の連携で突破していく。
Sランクまで昇華された大迷宮の攻略は、まさに一瞬の油断も許されない綱渡りだった。
「休んでいる暇はなさそうだ。……どうやら、最下層への門番がお出ましのようだな」
颯真が刀を構え直し、通路の奥を見据えた。
最下層へと続く巨大な門。
その前に鎮座していたのは、身の丈十メートルを超える巨大な牛頭の魔人だった。
全身を獄炎で覆い、手には呪いのオーラを放つ大斧を握っている。
『GUOOOOOOOOOOOOOッ!!』
Sランク指定魔物『ヘルファイア・ミノタウロス』。
「……デカいですね。でも、富士樹海で戦った竜に比べれば、まだ可愛いものです」
レンは剣に黄金の雷を纏わせ、サクラの光のエンチャントを受け取った。
「僕が正面から叩きます。九条さんと霧島さんは、両腕の破壊をお願いします!」
レンが地を蹴り、迷宮の門番へと真っ直ぐに突進する。
人類最強の四人による、最下層のコアを奪還するための激しい連戦が、迷宮の底で繰り広げられていた。
◆
――その頃。
ヨーロッパの要所、フランス・パリ。
エッフェル塔の周囲に群がるワイバーンの大群は、突如として空から降り注いだ『絶対零度の光』によって、一瞬にして氷の彫像へと変えられていた。
「……騒がしいですね。私の庭を汚す羽虫は、すべて凍てつきなさい」
氷の結晶を散らしながら宙を舞う、豪奢なドレスコートに身を包んだ優雅な女性。
フランスランキング第一位、S級探索者にして、誰もがひれ伏す絶対のカリスマ。
フランスの『女帝』、シャルロット・ド・ラ・ヴァリエール。
「シャルロット様! 日本の探索者チームから、ダンジョン攻略の進行データが共有されました! 彼らはすでに最下層付近に到達している模様です!」
通信兵の報告に、シャルロットは扇子で口元を隠しながら、ふふっと冷たく、だが闘志に満ちた笑みをこぼした。
「極東の少年が、随分と張り切っているようですね。……誇り高きフランスの女帝として、後れを取るわけにはいきません。これより、パリ地下墓地のコアを奪還します。従いなさい、我が近衛兵たち!」
『ハッ!!』
彼女の背後に控えていた数十人の精鋭探索者たちが、一斉に武器を掲げた。
アメリカの『豪腕』レオン。
フランスの『女帝』シャルロット。
他にも、イギリスの『円卓の騎士』、中国の『武仙』、ロシアの『氷帝』。
空の亀裂という共通の絶望を前に、世界中の最強の探索者たちが、己のプライドと人類の存亡を懸けて、それぞれの「狂った迷宮」へと足を踏み入れていた。
「……無名の王。僕たちが、必ずお前の計画を止めてみせる」
東京の地下深く。
ヘルファイア・ミノタウロスを打ち倒し、ついに最下層の巨大な扉に手をかけたレンは、世界中で戦う探索者たちとの見えない繋がりを感じながら、静かに、だが力強く呟いた。
世界の空を塞ぐための反撃の狼煙は、今、世界中で一斉に上がり始めていた。




