空の亀裂と迷宮
東京駅上空の制空権を確保したレンたちは、すぐさま探索者協会本部へと帰還していた。
一時的に大規模な群れは退けたものの、赤紫色に染まった空の亀裂からは、いまだにポツポツと異世界の魔物たちが這い出し続けている。根本的な解決には至っていなかった。
「……キリがありませんね。防衛線を維持するだけで、世界中の探索者が消耗してしまいます」
対策本部のモニターに映し出される世界各国の惨状を見上げながら、レンは静かに呟いた。
隣ではサクラが、避難した市民たちの治療を終えて合流し、疲れた顔に気丈な笑みを浮かべている。颯真とアリサも、全身に魔物の返り血を浴びたまま腕を組んでいた。
「神代の言う通りだ。塔をぶっ壊しに行く前に、まずはあの空のヒビをなんとかしないと、背後から国が滅ぶぞ」
颯真が忌々しそうに舌打ちをした、その時だった。
空中に展開したままになっていたレンのダンカメから、重々しい電子音が響いた。
【賢神ソフィア】:その通りだ、空の歪みを放置して塔へ向かえば、確実に地上は滅びる。
【古代龍バハムート】:よく聞け。あの終末の塔は、現世と異世界を繋ぐメインサーバーのようなものだ。
だが、あれ単体で世界中の空を割っているわけではない。
「どういうことですか?バハムートさん」
レンがダンカメに向かって問いかけると、神々は驚くべき事実を告げた。
【賢神ソフィア】:塔は、世界中の主要都市に存在する『特級ダンジョンコア』を強制的にハッキングし、空間の歪みを広げるための「中継器」として利用しているのだ。
【戦神アレス】:つまり、空の亀裂を塞ぐには、各国の主要ダンジョンに潜り、暴走させられているコアの接続を物理的に断ち切る必要がある!
「なるほど……。塔に行く前に、まずは世界中の主要ダンジョンを攻略して回る必要があるんですね」
レンは納得したように頷いた。
だが、アリサの顔色は険しかった。
「待って。東京の主要ダンジョンといえば『東京地下大迷宮』……本来ならS級パーティーが数日がかりで挑むレベルの場所よ。今の状況で、そんなところに潜っている余裕なんて……」
【雷神トール】:甘いぞ、剣聖の小娘! 塔の影響で、ダンジョンそのものの『存在レベル』が底上げされている。今やそんじょそこらの迷宮ではない!
【冥王ハデス】:塔から流れ込む異世界の高密度な魔力により、ダンジョン内の生態系は完全に狂っている。出てくる魔物のランクは、以前の二段階、いや三段階は跳ね上がっていると思え。
「……存在レベルの昇華。本来ならEランクのゴブリンが、Bランク相当の化け物になって襲ってくるということですか」
レンの言葉に、神々は沈黙をもって肯定した。
「上等だ。……俺の刀の錆にしてやる」
颯真が獰猛な笑みを浮かべ、白刃の鯉口を切る。
「そうですね。僕たちで日本の空を塞ぎましょう。……行きますよ、皆さん」
レンもまた、丁寧な口調の中に揺るぎない覚悟を滲ませて振り返った。
◆
東京地下大迷宮・第一層。
本来ならば、Cランク程度の探索者が安全にレベリングを行うための、広大な地下空洞のはずだった。
だが、ゲートを潜ったレンたちを待ち受けていたのは、赤黒い瘴気が立ち込める「魔界」そのものの景色だった。
『GYURURURURU……!』
岩陰から姿を現したのは、全長五メートルを超える漆黒の巨躯。
本来なら下層にしかいないはずのオークが、異界の瘴気を吸って突然変異を起こした『魔装オーク・ジェネラル』だった。
その巨体が放つプレッシャーは、間違いなくBランク最上位に匹敵している。
それが、視界の奥から数十体という群れをなして押し寄せてきた。
「……第一層で、これですか。神様たちの言っていた通り、冗談みたいな難易度ですね」
レンは剣を抜き、冷静に魔力回路を起動させた。
「レンさん、支援します! 《エンチャント・ライト・エリア》!」
サクラの杖から放たれた光が、レン、颯真、アリサの三人に強力なバフを付与する。
「遅れを取るなよ、神代!」
「九条さんこそ」
二人のS級の背中を追い越し、レンは極限まで圧縮した雷を脚力に変換して一気に跳躍した。
『未来予測』の光の線が、オーク・ジェネラルの大剣が振り下ろされる軌道を完全に可視化する。
「――《水雷砲・穿》」
レンの左手から放たれた高圧の水流がオークの装甲を砕き、直後に黄金の雷がその巨体を内側から焼き焦がした。
悲鳴を上げる間もなく、Aランクの化け物が光の粒子となって消滅する。
颯真の空間斬撃が群れの右翼を粉砕し、アリサの暴風が左翼を切り刻む。
次元が昇華し、難易度が跳ね上がった迷宮。
だが、人類最強の四人と神々の奇跡を宿したレンにとっては、それすらも「歩みを止める理由」にはならなかった。
「……凄い。このペースなら、数時間で最下層のコアまで到達できますね」
後方でナビゲートをするサクラが、安堵の声を漏らす。
「ええ。日本の空は、今日中に僕たちが閉じます」
レンは剣に付着した血を振り払いながら、迷宮のさらに奥深くへと視線を向けた。
◆
――その頃。
日本の裏側、アメリカ合衆国・ニューヨーク。
赤紫に染まった空の下、自由の女神像が崩落し、マンハッタンの街並みが炎に包まれていた。
空の亀裂から降り注ぐ異世界の魔物の群れに対し、アメリカ軍の近代兵器はほとんど意味を成していなかった。
「Hahaha! 冗談キツいぜ、こんなのアメコミの悪役でもやらねえよ!」
炎上するタイムズスクエアの中心で、巨大な戦斧を肩に担いだ大男が、豪快に笑い飛ばしていた。
身長二メートルを超える筋骨隆々の肉体。
金髪を逆立て、全身に高密度の闘気を纏ったその男こそ、アメリカ合衆国ランキング第一位、S級探索者である『レオン・ブラッドレイ』だった。
「ボス! 笑ってる場合じゃないっスよ! ニューヨークのダンジョンコアが暴走して、空のヒビがどんどん広がってます!」
背後で重機関銃型の魔力兵器を構える小柄な女性探索者が、悲鳴のように叫ぶ。
「分かってるさ、メアリー。あの空の穴を閉じるには、地下のコアをぶっ壊すしかねえんだろ?」
レオンは戦斧を片手で軽々と振り回し、迫り来る三体のワイバーンを、発生した突風だけで文字通り真っ二つに引き裂いた。
「日本じゃ、あのサムライボーイたちがすでに地下に潜ったって情報が入ってるぜ。……アメリカNo.1の俺たちが、Eランクの坊主に負けるわけにはいかねえだろうが!」
レオンは獰猛に笑い、マンハッタンの中心に口を開けた巨大なダンジョンゲートへとその巨体を向けた。
世界の空を塞ぐための、主要国でのダンジョン攻略戦。
日本を皮切りに、世界中の最強たちが、人類の存亡を懸けてそれぞれの「狂った迷宮」へと足を踏み入れようとしていた。




