崩壊する孤島と、三ヶ月の猶予
鼓膜を突き破るような轟音が、地下要塞の底から連続して湧き上がってきた。
無名の王が仕掛けた自爆シークエンス。
それは単なる爆薬によるものではなく、硫黄島の地下深くに眠っていたダンジョンコアを意図的に暴走させる、極めて悪辣で破滅的なエネルギーの奔流だった。
「急げッ!! 床が落ちるぞ!」
九条颯真が怒声を上げ、迫り来る瓦礫の雨を不可視の斬撃で粉々に切り刻みながら、巨大なエレベーターシャフトを駆け上っていく。
「霧島さん、上への移動お願いできますか!」
「任せなさい! 《烈風陣》!」
レンの呼びかけに応じ、アリサが神刀を天に向けて振り抜く。
発生した強烈な竜巻のような上昇気流が、四人の身体を包み込み、重力を無視した速度でシャフトの上へと押し上げていった。
だが、崩壊の速度はそれを上回ろうとしていた。
壁がひしゃげ、真っ赤に煮えたぎるマグマのような魔力溜まりが、足元から凄まじい勢いでせり上がってくる。
少しでも触れれば、S級探索者であろうと骨すら残らない絶対の熱量だ。
「サクラさん、僕にしっかり掴まってください!」
「はいっ!」
レンはサクラの細い腰を抱き寄せると、空中で炎の推進力と雷の瞬発力を同時に爆発させた。
アリサの風に乗りながら、加速する。
限界を超えた魔力行使が身体に悲鳴を上げさせるが、ここで止まれば全員がマグマの底に沈む。
「……光が見えました! 出口です!」
遥か頭上に、わずかに広がる夜空の星光が見えた。
四人は最後の一絞りの魔力を振り絞り、硫黄島の巨大な大穴から、弾け飛ぶようにして地上へと飛び出した。
直後。
島全体が大きく隆起し、そして内側から真っ赤な光を放って大爆発を起こした。
空中で待機していたステルス輸送機に間一髪で飛び乗った四人の眼下で、かつてSランク指定の危険地帯と呼ばれた絶海の孤島が、海に沈み、跡形もなく消滅していく。
「……危ないところだったわね」
ステルス機の冷たい床にへたり込みながら、アリサが大きく息を吐き出した。
「全くだ。……ふざけた真似をしてくれたな、あの仮面野郎」
颯真は漆黒のコートについた煤を払いながら、忌々しそうに舌打ちをした。
機内は、重く息苦しい沈黙に包まれていた。
肉体的な疲労もさることながら、彼らの心に重くのしかかっていたのは、無名の王が去り際に残した『野望』だった。
現世と異世界の境界を破壊し、二つの世界を衝突させてすべてを支配する。
あまりにも常軌を逸したスケールの悪意。
宙に浮くダンカメのコメント欄も、かつてないほどに静まり返り、そして重苦しい言葉だけが流れていた。
【賢神ソフィア】:……あの男、本気で境界の壁を壊すつもりのようだな。
【古代龍バハムート】:我ら異世界の住人と、貴様ら現世の人間。本来決して交わることのない二つの世界を繋ぎ止めているのが『ダンジョン』というフィルターだ。もしそれが完全に崩壊すれば……。
【冥王ハデス】:両方の世界が、互いの質量と法則の違いに耐えきれず、完全に消滅する。残るのは、何もかもが混ざり合った『混沌の泥』だけだ。
【戦神アレス】:クソッ! 現世のシステムに干渉しすぎた我らの隙を突かれたか!
神々の言葉に、サクラが青ざめた顔でレンの袖を掴んだ。
「……世界が、消滅する……。そんなこと、本当にできるんですか?」
「分かりません。……でも、あいつはただのハッタリで十万人を巻き込むような奴じゃないと思います」
レンは握りしめた拳を見つめた。
神話級の魔物を召喚するほどの技術と狂気を持った男だ。
本気で世界を終わらせる算段がついていると考えるべきだった。
「……協会本部に通信を繋いで。今すぐ、全世界のダンジョンコアの異常波動を監視させるのよ」
アリサが機内の通信機を取り、ユイや田中係長たちへと事態の報告を始めようとした、まさにその時だった。
――ビィィィィィィィィィィィィンッ!!!!
突如として、ステルス輸送機のコックピットから、聞いたこともないような甲高い警報音が鳴り響いた。
同時に、機体が巨大な乱気流に巻き込まれたように激しく揺れ始める。
「な、何事ッスか!?」
操縦席から、真っ青な顔をした向井が転がり出てきた。
「レーダーが完全に狂ってやがる! それに、外の様子が……ッ!」
四人が一斉に、機体の窓から外の景色を見下ろした。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
夜明け前。まだ薄暗いはずの太平洋の上空が、禍々しい『赤紫色』に染まり始めていたのだ。
いや、色が変わっただけではない。
空に、まるでガラスに入ったヒビのような『巨大な亀裂』が無数に走っていた。
その亀裂の奥から、地球上には存在しないはずの、重く、淀んだ、圧倒的な魔力の奔流が滝のように地上へと降り注いでいる。
「……嘘、でしょ」
アリサが絶望的な声を漏らした。
「おいおい……冗談じゃねえぞ」
颯真すらも、目を見開いて空の亀裂を見つめている。
機内のモニターに映し出された世界地図が、次々と『レッドアラート』に染まっていく。
ニューヨーク、ロンドン、パリ、北京。世界中の主要都市の上空で、同時に空間が割れ、空が裂けているのだ。
『――聞こえるか、英雄諸君。そして、哀れな神々よ』
ステルス機の無線ジャックを通じて、無名の王の歪な声が響き渡った。
『硫黄島のサーバーは、世界の境界を繋ぐための「鍵」を完成させるまでの時間稼ぎに過ぎないと言っただろう? ……そう。計画は、すでに始まっているのだよ』
ズズズズズズズ……ッ!!!
世界の海が、大地が、悲鳴を上げるように震え始めた。
東京湾の沖合。
海面が大きく割れ、そこから天を衝くほどの巨大な『漆黒の塔』が、まるで世界の楔のようにゆっくりと浮上してくるのが見えた。
『世界樹ならぬ、終末の塔さ。
これより、世界の融合を開始する。……世界の質量を同調させ、境界が完全に崩壊するまで、君たちに残された時間は「三ヶ月」だ』
無名の王の声が、世界中に宣告を告げる。
『三ヶ月後、空の亀裂は完全に開き、異世界のすべてが現世へと流れ込む。神話級の魔物、魔界の軍勢、そして……天界の神々ごと、この箱庭を押し潰してあげよう。せいぜい足掻いてみせたまえ』
通信が、プツリと途切れた。
窓の外では、空の亀裂から這い出してきた無数の飛行型モンスターたちが、都市部に向かって降下を始めているのが見えた。
世界が今日明日で終わるわけではない。だが、この絶望的な空の下で、三ヶ月間も防衛戦を強いられるのだ。
「……三ヶ月、ですか」
重苦しい空気が支配する機内で、レンは静かに、だが確かな闘志を宿した瞳で漆黒の塔を見据えていた。
横を見ると、サクラも震える手を強く握り締め、真っ直ぐに前を向いている。
「九条さん、霧島さん」
レンが振り返ると、二人のS級探索者もまた、その目に決して折れない光を宿していた。
「泣き言を言っている時間はなさそうです。……僕たちで、あの塔を根元からへし折りましょう」
「フッ、言うようになったな」
颯真が漆黒のコートを翻し、好戦的な笑みを浮かべる。
「三ヶ月も猶予をくれた仮面野郎の余裕が命取りだ。……その前に、塔ごとあいつを斬り刻んでやる」
「その通りね。でも、まずは目の前の大火事を消さないと」
アリサが機体の窓から下を指差した。東京の市街地に、魔物の群れが襲いかかろうとしている。
神々もまた、腹を括ったようにコメントを流した。
【戦神アレス】:フン! 面白い! 三ヶ月あれば、貴様らの器をさらに引き上げることも可能だ!
【古代龍バハムート】:神代レン。世界を救う覚悟はあるか。
【賢神ソフィア】:世界中の命運が、お前たちに託されたぞ。
「……ええ、やってやりますよ。必ず、僕たちが終わらせる」
レンは剣の柄を強く握り直した。
タイムリミットまで、残り三ヶ月。
世界規模の防衛戦をこなしながら終末の塔を攻略していくという、人類最大の長く過酷な戦いが、今、幕を開けた。




