エキシビジョンマッチ、そして絶望
富士樹海での死闘の翌日。
日本の探索者を統括する『探索者協会本部』の最上階会議室は、水を打ったような静寂に包まれていた。
円卓の中心、防護ガラスのケースに収められているのは、どす黒い魔力を微かに放つ巨大な結晶の欠片。S級指定魔物『腐死竜』の死霊核の残骸である。
「……霧島くん。君はこれが、あの無職の少年と、初級ヒーラーの少女が『二人で』討伐した証拠だと言うのかね?」
協会のトップである会長が、脂汗を滲ませながら尋ねた。
「ええ。私は文字通り、道を作っただけです。トドメを刺したのは間違いなく神代レンと佐藤サクラの二人。……いえ、もはやランクで彼らを測ることは不可能です」
アリサは包帯の巻かれた腕を組み、居並ぶ幹部たちを見据えた。
「彼らはたった十日で、S級の理に到達しました。明日のエキシビションマッチ……彼らは、九条颯真に届き得る『本物』です」
幹部たちがざわめく中、アリサは窓の外を見下ろした。
明日決戦の舞台となる、国立競技場の巨大なシルエットが夕日に照らされている。
(レンくん、サクラさん。……協会トップの度肝は抜いておいたわよ。あとは、あなたたちが世界に証明するだけね)
◆
そして、運命の日。
超満員の国立競技場は、十万人の観客の熱気と、数千万人に及ぶ全世界の配信視聴者の興奮で揺れていた。
『さあ、入場です! 現在日本最強にして、無敗のS級探索者――九条颯真!!』
実況の声と共に、漆黒のコートを羽織った颯真がアリーナに姿を現すと、鼓膜が破れそうなほどの歓声が爆発した。
『対するは、彗星の如く現れた超新星! Eクラスから特例のシード枠で勝ち上がった未知数のバケモノ――神代レン! そして、彼を支える佐藤サクラ!!』
光のゲートを抜け、レンとサクラが闘技場の中央へと歩みを進める。
富士樹海の地獄を生き抜いた二人の顔に、もはや大舞台のプレッシャーに怯える色は微塵もなかった。
「……随分と、顔つきが変わったな」
十メートル先で立ち止まった颯真が、面白そうに口角を上げた。
「九条颯真。……あんたに勝つために、地獄を見てきた」
レンが静かに剣を抜く。その後ろで、サクラも杖を構え、レンの背中へと意識を同調させる。
「いいだろう。その地獄の底がどれほどのものか、俺が試してやる」
試合開始を告げる、重厚な電子音が競技場に響き渡った。
「――《雷火の剣》ッ!!」
初手。レンは迷うことなく、最高速の踏み込みを見せた。
賢神ソフィアの『並列思考』が、颯真の構えからコンマ一秒先の『未来』を演算する。
ガァァァァァァァァァンッ!!
激突。
颯真が抜刀した白刃と、レンの二重属性の剣が真っ向から噛み合い、スタジアムの空気が爆発したように吹き飛んだ。
「……ッ、防がれた!」
「甘い。速度は良いが、刃の軌道が素直すぎる」
颯真の刃が、レンの剣を滑るように逸らし、そのままレンの首筋へと神速の斬撃を放つ。
Sランク特有の、不可視の斬撃。
「させません! 《ホーリー・バインド》!」
だが、その軌道上にはすでにサクラの光の鎖が展開されていた。
颯真の刃が鎖に絡め取られ、一瞬だけ動きが鈍る。そのコンマ数秒の隙を、レンの『未来予測』は見逃さなかった。
「おおおおおっ!!」
水と雷を融合させた近距離の散弾が、颯真の懐で炸裂する。
颯真は僅かに目を見開き、舌打ちと共に後方へと大きく跳躍した。彼の漆黒のコートの裾が、焼け焦げてちぎれ飛ぶ。
スタジアムが、一瞬の静寂の後、割れんばかりの大歓声に包まれた。
あの無敵の九条颯真が、無職の少年に後退させられたのだ。
「……ハッ。最高だ。エキシビションどころじゃない、本気で殺し合える相手じゃないか」
颯真の瞳に、明確な『戦意』と『殺意』が宿る。
彼の全身から、周囲の空間を歪ませるほどの圧倒的な魔力と剣気が立ち上り始めた。
対するレンも、サクラとの同調を極限まで深め、三属性の魔力を両手に収束させる。
互いの全力が、文字通り命を懸けた最高峰の激突へと昇華しようとした、まさにその時だった。
――ピキッ。
スタジアムの空間そのものに、ガラスが割れるような悍ましい亀裂が走った。
歓声がピタリと止む。
何が起きたのか。観客はおろか、対峙していたレンと颯真すらも、その異常な気配に動きを止めた。
『……ハロー、世界。待ちくたびれたよ』
突如、スタジアムの巨大モニターが砂嵐に切り替わり、不気味な仮面をつけた男のホログラムが映し出された。
『無名の王』。
『神代レン、九条颯真。素晴らしい余興だった。……だが、真の代行者を決めるなら、舞台はこうでなくてはならない』
ホログラムの男が、パチンと指を鳴らした。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!
国立競技場のアリーナの中央、レンと颯真のちょうど中間の地面が、突如として内側から「爆発」した。
巻き上がる土砂とコンクリート。
その巨大なクレーターの底から、血のように赤い、ドロドロとした高濃度の「瘴気」が間欠泉のように噴き上がり始めた。
「なんだ、これは……!?」
レンが後ずさる。サクラの『不屈の魂』を通じた防壁があっても、肌が焼かれるような錯覚に陥るほどの、次元の違う絶望感。
赤い瘴気の中から、ゆっくりと「それ」が姿を現した。
人間の女性のような上半身に、無数の触手と黒い翼を持つ、冒涜的なまでの巨大な異形。
眼を開けただけで、スタジアムの最前列にいた観客たちが次々と白目を剥き、泡を吹いて倒れ始めた。
配信のコメント欄。
今までどんな強敵が現れても、余裕の態度を崩さなかった神々の言葉が、完全に凍りついていた。
【古代龍バハムート】:……馬鹿な。なぜ、現世に『アレ』がいる。
【賢神ソフィア】:逃げろ、神代レン!! いますぐそこから離れろ!! サクラの防壁では防ぎきれん!!
【雷神トール】:クソッ! 協会の結界はどうなっている!? なぜ神話級が呼び出されているのだ!!
【戦神アレス】:……マズい。アレは『星喰いの魔神・アザトースの影』。我ら神々ですら、本体を封印するのに総出でかかった化物だぞ……!!
【冥王ハデス】:九条颯真! 貴様もだ! 今すぐ観客を見捨てて逃げろ!! 斬れる次元の相手ではない!!
神々の、本気の焦燥と恐怖。
スパチャによる警告の嵐が、レンの脳内で警報のように鳴り響く。
「……神話級、だと」
颯真が、額に冷たい汗を滲ませながら白刃を強く握り直した。
「レンさん……っ、防壁が、ヒビ割れて……!」
サクラが悲鳴を上げる。彼女の展開する最高位の光の壁が、神話級の魔物が「そこに存在しているだけ」で発せられる瘴気に耐えきれず、砕け散ろうとしていた。
『さあ、エキシビションの続きを始めようか。君たちがアレを倒すのが先か、十万人の観客がアレに喰り尽くされるのが先か』
無名の王の嘲笑が響き渡る中。
神話級の化物が、その六つの赤い瞳をギョロリと動かし、眼下に立つレンと颯真を見下ろした。
――圧倒的な、そして真の絶望が、スタジアムに降臨した。




