さらに厳しい試練
富士樹海・深層ゲートでの地獄の特訓が始まってから、五日が経過していた。
薄暗い瘴気に覆われたAランク領域の森の中で、凄まじい金属音と爆発音が連続して響き渡る。
「そこっ!」
アリサの放った神速の踏み込み。
S級探索者の本気の刺突が、レンの心臓を正確に狙い撃つ。
だが――レンの身体は、アリサが動くコンマ数秒「前」に、すでに半歩右へとズレていた。
「……ッ!」
空を切るアリサの剣。その死角を縫うように、レンの刃が炎と雷を纏って跳ね上がる。
力任せのカウンターではない。アリサの剣速、筋肉の収縮、重心の移動。
そのすべてを『未来予測』の光の線として視覚化し、『並列思考』によって最適解の迎撃ルートを叩き出しているのだ。
「甘いわよ!」
アリサは空中で強引に姿勢を捻り、レンの刃を蹴り落として距離を取る。
しかし、彼女の着地点には、すでに幾重もの光の魔法陣が展開されていた。
「させません! 《ホーリー・バインド》!」
サクラの声と共に、光の鎖がアリサの足首に絡みつく。
Aランク領域の濃密な瘴気の中にあって、サクラの顔に以前のような苦悶の色はない。
戦神アレスから授かった『不屈の魂』が、あらゆる状態異常と精神負荷を完全に弾き返しているからだ。
「サクラさん、ナイス!」
レンは地面を蹴り、一気に距離を詰める。
かつては二人の精神を焼き切るほどだった『強制同調』。だが今、レンの脳内で膨大な情報を処理する『並列思考』のシステムが、サクラの支援魔法と戦術ナビゲートを、まるで自分の手足のように完璧に統合していた。
レンが『剣』となり、サクラが『盾と眼』になる。
二つの才能が完全に噛み合ったその動きは、もはやEランクのそれではない。
「……本当に、信じられない成長速度ね」
アリサは光の鎖を引きちぎりながら、額に滲んだ汗を拭った。
手加減をしているつもりはない。S級の自分ですら、今の二人の連携には明確な「脅威」を感じていた。
【雷神トール】:ハッハッハッ! 見たか! 我が雷が、次の一手のために完全に制御されている!
【賢神ソフィア】:ふむ。私の授けた『並列思考』と『未来予測』、見事に使いこなしているな。あの少年の脳髄は、今やスーパーコンピュータを凌駕しているぞ。
【戦神アレス】:小娘の方も良い! 瘴気をものともせず、一切の恐れなく前線に立っている。我が加護にふさわしい闘志だ!
【古代龍バハムート】:……だが、剣聖の小娘もまだ底を見せてはおらん。
バハムートの指摘通り、アリサの瞳に宿る光はまだ余裕を残していた。
「素晴らしいわ、二人とも。……それじゃあ、そろそろ『環境』を足してみましょうか」
周囲の木々がざわめき、四方から八体のAランク魔物『シャドウ・フェンリル』が一斉に姿を現した。
「私との戦闘中に、Aランクの群れを捌けるかしら?」
「……やるしかない!」
レンは口角を上げ、サクラと背中合わせに立つ。
絶望的な状況。だが、レンの脳内ではすでに、アリサの攻撃を躱しながらフェンリルを全滅させる「未来へのルート」が、何十通りも演算されていた。
◆
――同刻。東京都心、某地下ダンジョン。
血の匂いが充満する広間で、一人の青年が退屈そうに立っていた。
漆黒のコートを羽織り、白刃を提げた男。
現在、日本最強と謳われるS級探索者、九条颯真。
「……で? 協会に喧嘩を売った『無名の王』の残党は、お前らだけか?」
颯真の足元には、仮面を被った武装集団の死体が十数体、無造作に転がっていた。
全員が、Bランク以上の実力を持つ裏の探索者たち。だが、颯真は息一つ乱していない。
彼の周囲には、目に見えない無数の『斬撃の軌跡』が常時展開されており、近づく者すべてを自動で切り刻んでいた。
『ヒィッ……! バ、バケモノが……!』
唯一生き残った仮面の男が、恐怖に顔を引き攣らせて後ずさる。
「エキシビションの舞台を殺戮のショーにするんだったか? くだらない。俺と神代レンの戦いに、泥を塗るな」
颯真が一歩踏み出した瞬間、仮面の男の首が音もなく胴体から滑り落ちた。
静寂が戻った広間。颯真は血振るいをし、刀を鞘に納める。
『――素晴らしい。流石は日本最強の探索者。我が配下たちが、文字通り手も足も出ないとは』
突然、広間の奥の空間が歪み、ノイズ混じりのホログラムが投影された。
顔を隠した、不気味なシルエット。先日、協会へのハッキングを行った『無名の王』のリーダーだ。
「ホログラムか。臆病な奴だ。お前の首も刎ねてやろうと思ったんだがな」
『怖い怖い。だが、今の君たちを相手にするのは分が悪い。……私の目的は、あくまで「舞台」を整えることだからね』
ホログラムの男が、愉快そうに笑う。
『エキシビション当日、国立競技場の地下に眠る「旧時代のゲート」を開放する。……そこに封じられているのは、神話級に分類される特級魔物だ』
その言葉に、颯真の眉が微かにピクリと動いた。
『君と、あの神代レン。どちらが真の強者か。特級魔物という「絶望」の前に立った時、初めてそれが証明される。……楽しみにしているよ、九条颯真』
言い残し、ホログラムはフッと消失した。
「……神話級、か」
颯真は冷たい瞳で 虚空を見つめた。
恐怖はない。あるのは、己の強さに対する絶対の自信と、この異常事態すらも乗り越えてくるであろう「一人の少年」への期待だけだった。
「遅れるなよ、神代レン。……俺の前に立つ前に死ぬことは、許さない」
◆
その夜。
富士樹海の野営地で、焚き火の炎がパチパチと爆ぜていた。
泥と血にまみれ、それでも瞳に確かな光を宿しているレンとサクラ。その二人を見つめながら、アリサは静かに口を開いた。
「五日間、よく耐えたわね。……二人とも、今の実力ならAランク上位にも引けを取らないわ」
「……霧島さんにそう言ってもらえると、死にかけた甲斐があります」
レンが力なく笑うと、サクラも水筒の水を飲みながら深く頷いた。
「でも、これだけじゃ九条颯真には勝てないし、特級魔物も止められない」
アリサの声が、一段と低くなる。
「明日。この特訓の最終フェーズに移行するわ」
「最終フェーズ……?」
アリサは夜の樹海の奥、最も瘴気が濃く渦巻いている「最深部」を指差した。
「この腐海樹海の主。Sランク指定魔物『腐死竜』の討伐。……私はいっさい手を出さない。
二人だけで、あの化け物を狩ってきなさい」
S級モンスターの単独討伐。
それは、真の強者となるための、避けては通れない最後の試練だった。




