探索者協会にて
探索者協会、渋谷支部。
受付カウンターの奥、モニターが並ぶ管理室では、職員たちが今日も探索者の配信ログをチェックしていた。
危険地域の監視が主な仕事だ。
といっても渋谷第三ダンジョン程度は低ランク帯のエリアで、普段は特に何も起きない。
「……は? いっせん、まん?」
探索者協会・渋谷支部。
管理室のモニター前で、後輩職員の佐藤が素っ頓狂な声を上げた。
コーヒーを啜っていた田中係長(四十二歳)が、怪訝な顔で振り向く。
「朝から騒々しいぞ、佐藤。どうした」
「係長、渋谷第三ダンジョンの配信ログなんですが……これ、見てください。Eランクの探索者に、一千万のスーパーチャットが投げられてます」
「……誰からだ」
「『雷神トール』というアカウントです。本人確認済みの正規決済で、不正の痕跡はありません」
田中係長はコーヒーカップを置き、モニターを覗き込んだ。
配信者の名前は神代レン。
ステータスはEランク。さらにジョブクラスは『無職』。
「無職……? なぜそんな何のスキルも持たない最弱クラスが配信などやっている。しかも、同接はたったの数人じゃないか」
「それが、コメント欄の常連たちが異常でして。古代龍、魔王、精霊王……やけに設定の作り込まれたロープレ勢の軍団なんです。しかも、彼らのアドバイスがガチの攻略情報レベルで的確で」
田中係長はため息をついた。
「金持ちのロープレ勢が、底辺配信者をオモチャにして遊んでいるのか。まあ、不正決済でないなら協会が口出しすることじゃない。本人が確定申告するかどうかの問題だ」
「そうですね……。一応、ログは残しておきます」
田中係長は再びコーヒーに口をつけながら、画面の中で地味に剣を振るう少年を見つめた。
(まあ、ただの運がいいだけの素人だろう)
その時は、そう思っていた。
◆
同じ頃、協会の別フロア。
ダンジョン行動分析室では、白衣を着た研究員・天城ユイ(二十四歳)がモニターを食い入るように見つめていた。
同僚から「コメント欄がカオスで面白い」と送られてきた、神代レンのアーカイブ映像だ。
「……おかしい」
ユイは映像を何度も巻き戻し、戦闘シーンのデータを数値化していく。
「Dランク魔物『リザードマン』の討伐タイム、数十秒。しかも無傷でなんて。……あり得ないわ」
レンのジョブクラスは『無職』だ。ステータス補正が一切ない人間が、強靭な鱗を持つリザードマンを正面から斬り伏せるなど、物理的に不可能である。
しかし映像の中のレンは、相手の重心が崩れた瞬間を狙い、ピンポイントで関節を破壊していた。
「筋力値の低さを、踏み込みのベクトルと相手の自重を利用して完全に補っている……? いや、それ以前に」
ユイは、レンが雷神トールからスパチャを受け取った直後の映像に目を向けた。
「『無職』は一切のスキルを習得できないはず。なのに、システムの制限を無視して後天的に雷魔法を獲得している……」
既存の探索者理論が、音を立てて崩れていく。
(この子……ステータス画面に表示されていないだけで、中身は完全にバグってる……!)
ユイは震える手で、ファイルに一行書き込んだ。
【渋谷第三・神代レン:行動データ及びスキル獲得経路に重大な異常あり。要継続観察】
◆
その日の夕方。
レンは渋谷支部の1階ロビーを訪れていた。
「すみません、確定申告って探索者は自分でやるんでしたっけ?」
受付の女性が、ぽかんと口を開けた。
「え、あ、はい。基本はご自身でやっていただく形になりますが……」
「そうか……一千万入ったんですよ、スパチャで。税務署に行けばいいんですかね」
「…………え?」
ロビーが静まり返り、すぐに内線電話で田中係長が呼び出された。
応接スペースのソファに座り、田中係長は目の前の少年を観察した。
ごく普通の、ひょろりとした十七歳の少年だ。
「神代くんだな。スパチャの話は聞いている。雷神トールからのやつだな」
「はい。なんかいきなり来て、どうしたらいいか分からなくて。これ、使ってもいいお金なんですかね?」
「正規の決済だから法的には問題ない。ただ、税金は半分近く持っていかれると思った方がいい。協会から探索者向けの税理士を紹介してやる」
「助かります! ありがとうございます!」
レンは心底ほっとしたように頭を下げた。
田中係長は少し毒気を抜かれたように笑った。
(一千万も手に入れて、喜ぶより先に税金の心配をする十七歳か。……変わった子だ)
「他に報告しておくことはあるか?」
「えーと、昨日Dランクのリザードマンを倒したんですけど、報告は必要ですか?」
「……なんだと?」
田中係長の表情が凍りついた。
「ランク外の討伐は義務ではないが……お前、Eランクの『無職』だろう? パーティを組んでいたのか?」
「いえ、一人です。負傷している個体だったので、運が良かっただけです」
レンはあっけらかんと答えた。
田中係長はメモを取る手を止め、じっとレンを見つめた。
「……分かった。ログに残しておく」
「ありがとうございます。では、失礼します」
ペコペコと頭を下げて帰っていくレンの背中を見送りながら、田中係長はこめかみを押さえた。
(……負傷個体とはいえ、無職が単独でDランクを? 分析室の天城がデータがおかしいと騒いでいたのは、これのことか……)
ただの運がいい素人。その評価を、少し改める必要があるかもしれない。
◆
一方、神域。
人間界の探索者協会がざわつき始めていることなど露知らず、神々はいつものように集まっていた。
「人間界の協会とやらが、レンに目をつけているようだな」
魔界を統べる魔王ゼルディアが、虚空のモニターを見つめながら面白そうに言った。
「あいつの『異常性』に人間どもが気づき始めたか。まあ、時間の問題だったがな」
古代龍バハムートが鼻を鳴らす。
「でも、あの係長さんいい人そうだったよ! ちゃんと税金のこと教えてくれたし!」
精霊王シルフィードが嬉しそうにはしゃぐ。
「人間界のシステムは面倒だな。せっかく俺が与えた一千万が、半分近く国に奪われるとは」
雷神トールが不満げに腕を組んだ。
「まあよいではないか。少しずつ周囲が騒がしくなる方が、見ていて退屈しない」
死神ネクロスが不敵に笑う。
「それにしても、あの天城ユイという娘……良い眼をしている。レンの真の価値に気づくのも早いかもしれんな」
賢神ソフィアが眼鏡を押し上げながら静かに呟いた。
神々は皆、次にレンがダンジョンへ潜る時を今か今かと待ちわびていた。
最弱の無職が、人間界の常識をどう崩していくのか。
彼らの極上の娯楽は、まだ始まったばかりである。




