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第30話 アロム平原

 ギルドを離れてしばらくは、まだ見慣れた道だった。

 踏み固められた土の色も、ところどころに残る荷車の轍も、風に撫でられるだけの低い草も、辺境では珍しくない。朝の冷え込みが抜けきらない空気の中を、三人はしばらく無言で歩いた。

 やがて道が痩せ、土の踏まれ方が浅くなっていく。

 人の行き来が少ないのだろう。轍は消え、代わりに乾いた草の帯が道の輪郭を曖昧にしていた。遠くに見える地平はひらけているのに、不思議と見通しがいい感じがしない。平らで、隠れる場所もろくにないはずなのに、何かを見落としているような落ち着かなさだけが薄くまとわりつく。

 だが、アロム平原に近づくにつれ、その景色は少しずつ、確実に変わっていく。

 平原とは言っても、一面の草地がどこまでも続いているわけではない。

 なだらかにひらけた地形のあちこちに、崩れた石造りの残骸が点在していた。半ば土に埋もれた壁、屋根もない建物の骨組みだけ残った跡地。そうした古い廃墟の隙間を縫うように、木々と低木が好き勝手に根を張っている。

 

 先に口を開いたのは高峰だった。

「……静かですね」

 その声は抑えめだったが、独り言ではなかった。

 肇が前を見たまま答える。

「生き物の気配がしねぇな」


 高峰は歩調を変えず、周囲の草地へ目を流しながら口を開いた。

「魔物の気配すらありません」

「気味が悪いね」

 ゼクナが言う。


「でも、ただの感覚じゃありません。……植物も少し、おかしいです」

 高峰の言葉に、肇がようやく足を緩める。

「植物?」

「はい」

 高峰はしゃがみ込み、道端に生えた細い草へ指を伸ばした。触れ方は慎重だった。摘むのではなく、傷つけないように撫でるような所作だった。


「生き物が少ない土地って、植物の生え方にも偏りが出ます。でも、ここはそれとも違う。根の張り方に迷いがあります」


「迷い?」

 肇が眉をひそめる。

「……上手く言えませんけど、土の下に行きたがらない場所がある時の伸び方です」


 ゼクナがそこで足を止めた。

「玲」

「はい」

「地下の様子を確認できるかい?」


 高峰は少しだけ黙って、それから小さく頷いた。

「やってみます」

 肇が周囲を見回す。

「時間はかかるか」

「5分ほどかかると思います」

 

「なら頼んだ。俺とゼクナで周りを見る」

「お願いします」


 高峰はその場に膝をついた。土の上に片手を添え、もう片方の手で草をまとめて軽く握る。

 

 朝の風が吹いた。

 枯れきらない草の匂いと、まだ湿り気の残る土の匂いが、わずかに立つ。

 高峰は目を閉じた。

 

 奇跡レゾナンス・グレイン

 それがどんなふうに働いているのか、肇には正確には分からない。だが、彼女の呼吸がわずかに深くなった瞬間、周囲の空気の質が少しだけ変わった気がした。


 草が揺れる。それは決して風のせいだけではない。

 道端の細い草が、さざ波のようにに連動して震えている。


 しばらくして、高峰の唇が小さく動いた。

「……根が逃げてる」

 肇がすぐに聞き返す。

「逃げる?」

 高峰は目を閉じたまま続ける。

「土の中に、根が伸びたがらない場所があります。空いてるだけじゃない……削られてる」


「削られてる、か」

 ゼクナの声が少しだけ低くなる。

「人工物か」

「おそらく」

 高峰の指先が、土の上でわずかに滑った。

 何かを辿っているような、あるいは輪郭をなぞっているような動きだった。

 

「自然の洞窟なら、もっと不規則なはずです。根は避けても、こんなに綺麗には逃げません。ここは……途中が切れてる。壁みたいに、すぱっと」


 肇は腕を組んだ。

「掘った跡ってことか」

「整えた感じもあります」

 高峰はゆっくりと目を開けた。だが、まだ意識の一部は地下に向いているみたいだった。

「空洞だけじゃないです。周りの土も、人の手が入った感じがする。踏み固めた、というより……削って、均したような」


「そこに研究施設がある可能性が高い、ってわけだ」

 肇が言う。

「はい」

 高峰は一度息を整えてから、顔を上げた。

「ここから南西です。近いし、結構深さもあります。思ってたよりずっと」


 肇がそちらの方角へ目をやる。

 南西。ここから見えるのは、崩れかけた石造りの残骸が遠目にいくつか点在しているくらいだった。昔の建物の名残か、それとも何かの跡地か。どちらにせよ、人が寄りつく気配のない風景だ。


「当たりか」

 肇がそう呟くと、ゼクナが隣でかすかに口元を歪めた。

「外れの方が良かったがね」

 ゼクナは続ける。

「ただの思い過ごしで、私の仲間も、君の件も、全部無関係でした――で済むなら、その方がずっとマシだ」

 その声には、昨夜の軽さはなかった。

 高峰は一瞬だけゼクナを見たあと、小さく頷く。

「そうですね」


 肇は二人のやり取りを聞きながら、槍の位置を軽く直した。

「じゃあ決まりだ。南西に行く」


 高峰が土から手を離し、付いた汚れを払う。その表情は少し曇っている。奇跡の使用による体力の消耗だろう。

「無理はするなよ」

 肇が言う。

「はい」

 返事は素直だったが、その直後に高峰は小さく付け足した。

「でも、近づけばもっと分かると思います」

 私が無理をしないわけにはいかない。その覚悟が高峰の言葉の節々から滲み出ていた。

 ゼクナがその言葉を拾う。

「地下の形まで分かるかい?」

「全部は無理です。ただ、入口に近い場所なら、根の逃げ方がもっとはっきり出るかもしれません」

「なるほど」

 ゼクナは面白がるように頷く。

 三人は南西に向け歩みを続ける。

 

「それにしても、便利な奇跡だね」

 ゼクナの言葉に、肇が鼻を鳴らしながら口を開く。

「そういえば、あんたの奇跡は何なんだ?」

 高峰もゼクナを見る。

 初めての同行だ。互いの手札を知っておきたいと思うのは自然だった。

 だがゼクナは、ほとんど間を置かずに答えた。

「秘密だ」

 肇が露骨に顔をしかめる。

「は?」

「偵察はもちろん、戦闘でも君たちの役に立たないからね。共有する意味が無い」

「意味が無いで済ませるなよ」

 肇が言う。

「一緒に潜るんだぞ。何ができるかくらいは知っときてぇだろ」


「知ってどうこうできる奇跡じゃないんだ。それに今回私は奇跡を使わないつもりだ」

 ゼクナはそこで、小さく肩をすくめた。

「私の奇跡は、条件が厳しい。使える時間も短い。しかも基本的には、私自身の身を守るためにしか使えない」


 肇が眉をひそめる。

「守る?」

「そうだ」

 ゼクナは頷いた。

「君たちが知って得をするなら話す。けどそうじゃない。無駄な情報を共有するのは非合理的だ」

 ゼクナが補足するように続ける。

「だが戦闘で足手まといになるような真似はしない。これでもギルドマスターだからな」


 奇跡を隠すこと自体にためらいはない。

 けれど、その理由まで言葉にするのは、少なくとも彼女にとって快い作業ではないらしかった。

 高峰はその空気を感じ取ったのか、それ以上は追及しなかった。

 代わりに前方を見据え、草の揺れ方を目で追う。


「……この先、植物の密度が変わります」

 話を戻すように言った。

「根が避けている境目が、もっとはっきり出てくるはずです。たぶん、近いです」


 肇も意識を前へ切り替える。

「分かった。奇跡談義は終わりだ」

「残念だね」

 ゼクナが言う。

「全然思ってねぇだろ」

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