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第29話 出発

 朝の空気はまだ冷たく、夜の名残を土の上に薄く残していた。

 肇達は必要最低限の荷を背負い、武器だけを確かめる。

 肇は背の長槍を肩越しに担ぎ直す。

 人一人ぶんの間合いを平然と踏み越えてくるその得物は、狭い土間にあるだけで少し邪魔に感じるが、不思議と彼の背にはよく馴染んでいた。柄を握る手つきに迷いがない。使い慣れている、というより、既に肇の身体の一部のようだ。


 高峰は懐へ手を差し入れ、短剣の位置を確かめる。

 長物は持たない。必要最低限と言わんばかりの軽装だ。大げさな武器を持たないぶん、元魔族として、その身ひとつで危ない場所へ入っていく覚悟は十二分に感じ取れた。

 

 ゼクナは腰の剣帯を指で軽く持ち上げ、収まりを直した。

 ぶら下げた剣は華美ではないが、よく手入れされている。さらに両脚にはナイフを忍ばせている。

 腰に一振り、脚に二振り。剣士というには用心深く、暗殺者というには堂々としている。そういう中途半端さが、逆に彼女の油断ならなさをよく表しているといえるだろう。

 

 表へ出る前、肇は一度だけ土間を振り返った。


 アーガスが立っている。腕を組み、いつも以上に険しい顔で三人を見ていた。

 その少し後ろにはアランとリセルもいる。二人とも口数は少ないが、静かなぶんだけ落ち着かなさが透けて見えた。


「確認しとくぞ」

 最初に口を開いたのは肇だった。

「行くのは俺、高峰、ゼクナの三人だ。アランとリセル、そしてマスターにはギルドに残ってもらう」


 アーガスが眉を寄せる。

「マスター。あんたが納得してねぇのは知ってるよ」

 肇はアーガスの顔を確認して続けた。

「でも残ってもらうのは変わんねぇ」

 アーガスの顔がさらに険しくなる。

 当然だ。肇にも分かっている。この男は本当なら自分が先頭に立って行きたいのだ。危ない場所に肇たちだけを行かせたくないし、自分の目で確かめたい。そういう性分だ。


 「マスターが一番ついて来たがってるのは分かる。だが今回はあくまで戦闘はしない。あんたがいると目立つ」


 高峰が静かに頷いた。

 彼女は昨夜までの不穏さを引きずっていないように見えたが、完全に平静というわけでもない。首筋の処置跡はまだ包帯の下に隠れている。それでも背筋は伸びていて、言葉遣いも態度も落ち着いていた。

「……私も、そう思います」


 アーガスが彼女を見る。

「お前まで言うのか」


「はい。優先すべきは証拠を持ち帰る事です。だったら人数は絞った方がいいですし——」

「君が動くのを誰かに見られでもしたら、それだけでヨスガが本気で動いたと思われる可能性がある。君は思ったより顔が知られているからね」

 ゼクナが高峰に被せるように続ける。


 アーガスは観念したように息を吐く。

 「……無理だと思ったら引く。それだけは忘れるな」

 「もちろん」

 肇は即答した。

 そこで、ようやく肇はゼクナに視線を移す。

 

 昨夜唐突に入り込んできたせいで、顔立ちや印象の細部まで落ち着いて見る余裕がなかった。今朝改めて見れば、ゼクナという女はやはりこの辺境には妙に馴染まない。品があり、育ちが良さそうな整った顔立ちをしている。言動はかなり変人で非常識だが。


 少しだけ空気が緩んだ、その間に、ゼクナが高峰へ視線を向けた。

 

 値踏みではない。観察に近い。じろじろと見つめる。

 高峰もまた、ゼクナを見返していた。


「改めて、かな。私はゼクナ」


「改めまして、高峰玲です」


 高峰はぺこりと軽く頭を下げた。

 礼儀として自然な所作だった。媚びる感じはない。ただ、元々の性分として身についている慎みがそのまま出ていた。

「正直、もっと死にかけた顔をした人だと思っていたよ」

 ゼクナの言葉に高峰は口元を緩めつつ口を開いた。

「私も《アイギス》の長って聞いた時は、もっと堅い方かと思いました」

 高峰は一拍おいて続ける。

「昨夜、お話は少し伺いました。……その、思っていたより」

「思っていたより?」

「変わった方なんですね」

 高峰がそう言うと、ゼクナはほんの少しだけ目を見開いた。

 肇は吹き出しかけて、堪えきれずに鼻で笑う。

「やめとけ。この人気に入るぞその言い方」

「もう気に入ったよ」

 ゼクナが即答する。

「玲、でいいかな?」

「え、あ……はい。私は構いません」

「俺も名前呼びしてくれると助かるんだがな」

 肇はゼクナを覗き込むようにつぶやいた。

「転生者仲間として親しみを込めて呼んでいるだけだよ。変人君」

「だからやめろって言ってんだろ」

 肇が即座に返すと、今度は高峰の方が少しだけ笑った。

「仲は……良いんですか?」

「悪い」

「悪くないよ」

 二人の声が重なった。

 

 三人のやり取りを聞いていたアーガスが、そこで小さく息を吐いた。

「馴れ合いが済んだなら話を戻すぞ」

 その一言で、空気が締まる。


 アーガスの視線が順に三人を射抜いた。

「お前たち三人の共通目的は、証拠の確保だ。神の遺骨の件に魔族団の関与。それらがアロム平原に繋がっているなら、その接点を持ち帰る」

 ゼクナが静かに補足する。

「加えて、私は行方不明になった《アイギス》の仲間を探す。見つかれば、生死の確認まではしたい」


 アーガスはその横顔を一瞥してから、低く言った。

「お前たちの第一目的は証拠だ。ゼクナの仲間が見つかったとしても、助け出せる状況じゃなきゃ無理はするな」


「分かってる」

 肇はつぶやくように言った。

 アロム平原に行く理由はあくまで証拠を拾うためだ。

 だが、もしそこに人が連れ去られた痕があれば、ただ入口を見て帰るわけにはいかなくなる。

 言い返しかけた肇の前で、アーガスがふたたび口を開く。

「気取られた時点で引け。証拠を持ち帰れなきゃ意味がねぇ。生きて帰って来い。話はそれからだ」


「はいはい」

 肇が片手を挙げる。

「返事が軽い」

「重く返事したら生存率上がるのかよ」

「その軽口、いつも通りで何よりだ」

 アーガスはそこで初めて笑った。

 

 三人が外へ出る。

 靴底が土を踏む音が、順に重なった。

 

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