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第28話 増える

 古びた玄関土間に夜気が溜まり、外套の裾だけがかすかに揺れている。

 押し戻したはずの扉はきっちり閉まり切らず、蝶番の緩んだ隙間から、まだ細い風が入り込んでいた。

 冬ほどではないが、夜の冷えは布一枚を容易く抜けてくる。


 最初に口を開いたのはアーガスだった。


「……まず扉をちゃんと押さえろ。閉めたつもりで閉まってねぇ」


 ゼクナが振り返り、扉を押す。

 ぎ、と軋んで板がはまる。だが数秒もしないうちに、またわずかに戻り、隙間から夜気が細く入り始めた。


 肇が眉をひそめる。

「全然閉まってねぇじゃねぇか」

 

「建付けが悪い」

 

「人ん家の扉に文句垂れれる立場じゃねえだろ」

 

「事実を言っただけだが」


「人ん家に夜這いみたいに入り込んできた奴の台詞じゃねえって言ってんだよ」


 ゼクナはそこで初めて少しだけ笑った。

 アーガスは笑わない。短剣はもう鞘に戻しているが、機嫌は戻っていない。


「夜中に来んじゃねぇよ。こっちは今、だいぶピリついてんだ」

 ゼクナはあっさり頷いた。

「分かってる。だが、君から連絡を受けたら居ても立ってもいられなくなってね」


「殊勝な台詞だな。お前の口から聞くと逆に怪しい」


「失礼だな。私は感情で動く方だよ」


 肇はそこで黙って二人を見比べる。

 ゼクナは肩をすくめて続けた。

「それに、今は霞陽だ。魔族は奇跡を使えない。少なくとも、昼よりは魔族に見つかりにくい。話をしに来るなら、今の方がまだましだ」

 アーガスはすぐに反論する。

「安全とは言うなよ。奇跡がなくても寝込みは襲えるし、まだ魔族が敵って決まったわけでもねえ」


「分かってる。だから“まし”って言ったんだ」

 そこでゼクナの視線が一瞬だけ肇へ流れる。


「君たち、暴走した転生者を連れ帰って、得体のしれない骨まで拾ったんだろう?朝まで待って何も起きない保証もない」

 

 肇はその言葉を聞きながら、喉の奥に引っかかっていた疑問を少しだけ噛み直す。

 この女は非常識だ。だが、その非常識に一応の理屈はある。

 

「それに、君からのあの連絡、朝まで待っていい話じゃない。特に私にはね」

 肇の視線がそこでわずかに鋭くなる。

 “特に私には”。

 その言い方には、単なる助力以上の理由が滲んでいた。

 緊急でこの件に着手しなければならない理由をこの女は持っている。恐らく個人的な理由だ。

「……何でだ」


 肇が問うと、ゼクナはすぐには答えなかった。

 代わりにアーガスへ視線を送る。アーガスは短く顎を引く。話していい、という合図だった。

「まずその前に、私の役割を変人君に知ってもらう必要があるね」

 ゼクナは淡々と返す。

「アーガスが欲しかったのは私の腕だけじゃない。信前ハルトへ証拠を通す口だ」


 肇の目が細くなる。

「……お前、ハルトと繋がってるのか」


 「古い付き合いでね」

 ゼクナはあっさり言った。

 その一言は短いが、重みがあった。

 肇はそうか、と腑に落ちるように顔を上げた。

 アーガスがわざわざ呼ぶ理由としては十分すぎた。


「……たしかに、俺らみてぇな辺境の小さなギルドが、いきなり王国中枢に“魔族団が人体実験してる”なんて話を持って行っても門前払いされるよな」

 

 アランやリセルがここにいれば、おそらくきょとんとするだろう。

 肇は続けた。

「身元の軽い地方ギルドが、得体の知れねぇ骨片と証言だけ抱えて、“親衛隊長に会わせろ”だもんな」


 アーガスは鼻を鳴らした。

「あぁ、通されるわけがねぇ。まず下役に止められる。よくて役所か詰所止まりだ。」

 ゼクナが横から補う。

「仮に証拠だけ預けられたとしても、それが本当にハルトの耳まで届く保証はない」


「途中で揉まれるってことか」

 肇が言うと、アーガスは頷いた。

「そうだ。王国中枢に近づくほど、話は“誰が言ったか”で重さが変わる。内容が同じでも、ギルドの訴えはまず疑われる。“証拠の真贋は”“私怨はないのか”“魔族団を敵視してるだけじゃないのか”ってな」


 ゼクナはそこで口元だけで笑った。

「君たちの存在が軽いって意味じゃない。王都の門番も文官も、辺境の地方に優しくはないってだけさ」


「優しさで親衛隊長に会えるなら苦労しねぇからな」

 アーガスの返しに、ゼクナは「違いない」と肩をすくめた。

 そして彼女は、少しだけ声を落とす。

「でも、私が持って行けば話は変わる。《アイギス》の長として、そして信前ハルトの友人として、“私が直接見て、持ってきた”と前置きできる」


 肇は黙って聞く。

「それなら少なくとも、あいつは直接確認してくれる」

「なるほどな」

 肇は低く言った。

 ゼクナが肇を見つめわずかに笑う。


「変人君、察しがいいね」


「その呼び方やめろ」


「善処する」


「しねぇだろ」


「しないね。なんせ私も変人だからな」


「は?」

 肇は目を見開いた。

「あんた……転生者だったのかよ」

 

「もとより《アイギス》は転生者で結成したギルドだ」

 ゼクナがわずかに笑う。

 アーガスは呆れ半分で息を吐いた。

「話を戻すぞ」

 アーガスのセリフに、肇は我に返り思い出す。ゼクナには俺たちと協力する理由がまだある。肇にはそれが分かっていた。

 さっき流された、気になる疑問。“特に私には”と答えた理由だ。


「……あんたが俺たちに協力する理由は別にあるんだろ」


 肇の言葉に、ゼクナの表情がほんの少しだけ変わる。

 ゼクナは一拍だけ黙り、それから短く頷く。


「ああ」

 その返事には、さっきまでの飄々とした様子は微塵も感じられなかった。


「《アイギス》の構成員が一人、旧ヴァルロア領近辺の依頼で急に消えた」


 肇はその言葉を黙って受ける。

「消えたのは5日前。お得意様からの討伐依頼の帰り道だ。腕は立つし、土地勘もある。道を違えるような子じゃない」

 ゼクナは壁に軽くもたれかかり、淡々と続けた。

 

「最初は魔物を疑った。旧ヴァルロアではまだ桁外れな化け物も少なくないからね。でも、依頼のあった現場を見に行って考えが変わった」

「何があった」

 アーガスが短く問う。


「彼の装備品が全部残っていた。食料や金品の入った荷袋、彼の愛用していた短剣。それも、見つかりにくいよう草陰に寄せられていた」

 肇の眉がわずかに動く。

 魔物に襲われたなら、そんな残り方はしない。

 引き裂かれるか、血に濡れるか、ばら撒かれているかだ。

「血痕もない。だが綺麗に消されていること自体が不自然だ。魔物なら荒らすし、野党なら金目のものは盗むはずだ。人だけを手際よく回収して、余計な痕跡を消せる連中がいる」

 ゼクナはほんの少し目を細めた。その瞳には殺意ともとれる黒い光が輝いていた。

 

「暴走した転生者、高峰の証言を聞いた時、嫌な線が繋がった。アロム平原に人を運び込んでる連中がいるなら、そこにいる可能性がある」


「助けに行く気か」

 肇の問いに、ゼクナはまっすぐ頷いた。

「証拠も拾う。仲間も探す。どっちか片方だけにする気はない」


「ギルド再興の算段もついでに、か」

 肇が言うと、ゼクナは否定しなかった。

「もちろんそれに越したことはないが、私の目的はあくまで仲間の救出だ」

 

「危なければ退く気は?」

 

「状況次第だ」


「ゼクナ」

 アーガスが低く呼ぶ。


 ゼクナは数秒黙り、それから観念したように息を吐いた。

「……仲間が生きている可能性があるなら、無茶はする」


「正直でよろしい」

 アーガスは続けた。

「明朝には出るぞ」

 肇とゼクナは素早く頷いた。

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