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第26話 人類最強

 帳面にさらさらと数行を書き込む音が、静かな室内に響く。

 ペン先が止まり、アーガスは顔を上げ、壁に掛かった古い地図に視線を向けた。

 

「高峰」

 アーガスに呼ばれ、高峰は背筋を伸ばす。

「その施設に、魔族団の紋章でも、命令書でも、階級章でもいい。連中の名前を引っ張り出せるものはあると思うか」

 高峰は、少し考え、首を横に振った。


「……難しいと思います。アロム平原には魔族団の施設は公式にはありません。魔族団が関わっているとしても、そういった痕跡は残してないと思います」


「ふむ」

 アーガスは低く唸った。

「ハルトを動かすなら、証拠が足りねえ。魔族団が関わってると示せる確実な証拠がいる」


 リセルの肩が、ぴくりと揺れる。

 アランが思わず顔を上げた。


「……信前ハルト、ですか」

 

 アランが、そこで口を挟んだ。

 聞き覚えのない名ではない。ラスレーン地方みたいな辺境にまで噂が流れてくる程度には、有名な名前だ。だが、実際にどういう立場の人間なのかまでは、正直よく分かっていなかった。


「そんなに頼れる人なんスか?」

 アーガスは椅子の背にもたれたまま、短く鼻を鳴らす。


「あぁ。とは言っても、信前ハルトはカトレア王国親衛隊隊長、王の懐刀だ。そう簡単に持ち場を離れられる人間じゃねえ」


 アランが目を瞬かせる。

「そんな人が協力してくれるんスか?」


「ただの揉め事じゃ動かん」


 アーガスは即座に言い切った。

「あいつが王の元を離れるには、それ相応の理由がいる。私怨だの、村ひとつふたつの魔物騒ぎだのじゃ足りねえ。だが、相手が魔族団となれば話は別だ」


 肇が、そこでわずかに視線を上げる。

「……魔族団なら、動けるのか」

 

「動ける」


 アーガスは地図の旧ヴァルロア領を指先でなぞった。


「魔族はカトレア王国にとって、放っといていい相手じゃねえ。まして、魔族団が裏で転生者使って人体実験やってるなんて話になりゃ、それはもう辺境の一事件じゃ済まん。王国の騎士が出る理由になる」


 アーガスはそこでわずかに目を細めた。

「……それに信前ハルト自身、転生者だ。魔族が転生者をどう扱ってるかには、人一倍うるせえって聞く」


 アランはまだ半分ほどしか飲み込めていない顔で、首をひねる。


「でも……仮に魔族が関わっていて、その隊長が来たところで、魔族団の実験を止めれるんですか」


 その問いに、アーガスは初めて薄く笑った。


「止める、なんで生ぬるいもんじゃねえ。信前ハルトは、隊長って肩書きだけで語れる男じゃねえ。あの男一人で魔族団を潰しえる程の実力者だ」


 ギルドの空気が、わずかに静まる。


「人類最強――だから常に王の傍に置かれてる。簡単には出てこねえ」


 アーガスはそこで一度言葉を切り、骨片を包んだ白布に視線を落とした。


「逆に言えば、出て来させるだけの理由があればいい。必要なのは、信前ハルトがこれは魔族団案件だと言い切れるレベルの証拠だ」


 肇が、そこで静かに口を挟んだ。

「証拠って、どの程度だ。この神の遺骨だって立派な証拠じゃないのか」

 肇は静かに神の遺骨に目をやった。信前ハルトもこの骨に触れればこれが神の骨であることは理解できるはずだ。そして何より、神は魔王に封印された存在。魔族団どころか魔王がこの人体実験に関与していてもおかしくはない。


「魔族団の証拠にはならねぇ」

 アーガスは地図へ視線を移したまま、続けた。

「お前らも聞いた事あるだろ?十数年前、神が魔王や転生者たちによって討たれた戦争の話を」

 神罰戦争。かつて神と魔王、そして魔族を含む多くの転生者たちが正面から衝突した大戦を人はそう呼ぶ。

 長きにわたる決戦の末、神は倒れ、その亡骸は魔王によって封印された。


「この戦争では多くの死者が出た。神も含めてな。戦場はぐちゃぐちゃだった。神の亡骸の大部分を所有しているのは間違いなく魔王だ。しかしその神の遺骨が一つ残らず回収された保証はねえ。どさくさに紛れて誰かが持ち出したかもしれん。流れ出て闇市に出回ってたっておかしくねえ」

 

「だから骨だけじゃまだ弱い。紋章付きの物資でもいい。命令書でもいい。施設の実験記録、装備品、搬入記録。とにかく誰がやってるかを逃げ道なしで示せるもんが必要だ」


 アーガスの声は落ち着いていた。

 まるで誰かを信じているというより、使える札の価値を冷静に計算しているだけの声音だった。


 肇が、数秒だけ地図を見たまま黙り込んだ。

「……じゃあ、この件に魔族が関わってなかったらどうする」


 問われたアーガスは、驚きもせずに肇を見る。

「ハルトは動かねえな」

 アーガスはあっさり言った。


「魔族団案件じゃないなら、王の傍を離れる理由が足りねえからな。だが魔族団が関わってないなら、ハルトじゃなく魔族団に協力を要請すればいい。神の遺骨を不正に運用してる組織がいるなら、魔族団も無視はできんだろう」


「そうか」

 肇は短く返す。


「つまり、マスター……いや俺達にとって一番都合がいいのは、この実験の尻尾が魔族団に繋がってる場合だ。ハルトが動き魔族団が叩かれる。そうなりゃ、ギルドが再び陽の目を浴びる日が来る」


 アランが息を呑む。

 高峰は黙って二人を見ている。


 アーガスはしばらく黙っていたが、やがて鼻で笑った。


「……そこまで見えてるなら話は早い」

 否定はしない。

 だが、そのまま肯定で終わらせもしない。


「確かに、それが一番でかい。魔族団を崩せりゃ、ヨスガみてえなギルドにもまだ息を吹き返すチャンスがある」


 そして、声が少しだけ低くなる。

 

「だが、勘違いしてほしくないのは、俺は金儲けの為にだけで動いてる訳じゃねえ。高峰みてえなのが、そこ(アロム平原)でまだ転がされてるかもしれねえ。転生者を攫って、骨を埋めて、壊してる連中がいる。そんなもんを見て見ぬふりはできねえ」


 部屋が静まる。

「ただ――」

 アーガスは続ける。

「俺たちは正義の味方でも聖人でもねえ。感情だけで突っ込んで、何も止められずに死にましたじゃ意味がない。そのために証拠を取りに行く。そこにギルドの未来まで乗れるなら、そいつもまとめて手に入れる。それだけだ」


 肇は黙って聞いていた。

「……順番の話か」


「そうだ」

 アーガスは即答した。

「最初から打算だけで動くほど腐っちゃいねえし、正義感だけで食っていけるほど甘くもねえ」


 高峰みたいなのが、あそこにはまだいるかもしれない。

 そう思うだけで、肇の喉の奥に鈍い熱が溜まる。


「……俺は行く」

 短く落ちた声に、部屋の空気がわずかに張る。

「だろうな」

 アーガスは驚きもせず答えた。


「だからこそ言っとく。肇、敵をぶっ飛ばして終わりと思うな。俺たちが取りに行くのは勲章でも復讐でもねえ。ハルトを動かせるだけの証拠だ」


 肇は数秒だけ黙り「分かってる」とだけ返した。


 ほんのわずかに間を置いて、アーガスは地図の一点を指で叩く。


「明日からアロム平原に行く準備だ。証拠を掴みに行くぞ」

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