第25話 次なる目的地
薄く濁った夕日が、ギルド・ヨスガの曇った窓ガラスをくぐって差し込んでいた。
簡素なパンと干し肉、薄いスープだけの夕食が片づけられると、アーガスは空になった木椀をまとめて隅に押しやり、カウンター越しに四人を見渡した。
「――で、≪オルべ村 転生者暴走の鎮静化≫。依頼は達成だな」
長椅子に並んだ肇、アラン、リセル、高峰が、それぞれ頷く。
「そうか」
アーガスは帳面をぱらりとめくり、短く一行を書き足した。
ふつうなら、ここで「よくやった」と冗談混じりの一言を添えるところだ。だが今日は、ペン先が紙から離れたあとも、彼は顔を上げない。
肇が、腰の小袋から白布に包んだものを取り出し、カウンターの上に置いた。
「詳しいところは、高峰から」
肇からの視線を受けて、高峰は小さく息を吸う。
布の端をつまみ、めくった。
黒紫の筋が走る、歪んだ骨の欠片。
夕日の赤と、ランプの黄が、その骨の表面で濁った光を混ぜ合わせる。
「……何だこりゃ」
アーガスの声が低くなる。
「“神の遺骨”と呼ばれるものです」
高峰は、自分のうなじにそっと手を当てた。
「これが――オルべ村で、私が暴走した引き金でした」
淡々と説明しようとした言葉が、喉の奥で一度つかえる。
自分の声が、言い訳のように聞こえてしまうのを彼女自身が一番恐れていた。
「……うなじにこれを埋め込まれてから、頭の中に、別の声と衝動が入り込んで……私は村を壊しました」
最後の一語だけ、明らかに小さくなる。
“壊させられた”ではなく、“壊しました”と言ったのは、高峰自身だ。
神の遺骨のせいだと分かっていても、それで自分の罪が免れるとは、とても思っていない。
「今は、肇さんたちに抜いてもらったので……正気で話せています。抜かれた瞬間、自分が何をしたか、一気に理解しました」
どこまでが骨による暴走で、どこまでが自分の判断だったのか。
そこを切り分けられるほど器用に、自分を許せるほど、彼女は強くない。
だからこそ、高峰は、骨片から視線を逸らすことができなかった。
アーガスは骨片に触れようとして、指先を止めた。
布越しに、ほんの少しだけ持ち上げ、すぐにそっと戻す。
「……見たことも聞いた事もねぇ。だがこれは魔物の部位でも、よくある呪物とも違う……本当に神の遺骨なのか………こいつを埋めたのが何者かは分からんのか?」
「そこまでは、思い出せません」
高峰は首を横に振る。
「ただ、どこに連れて行かれていたかは、ぼやけてはいますが覚えています。旧ヴァルロア王国の領地だった一帯――“アロム平原”と呼ばれる場所です」
————
オルべ村は、もともと「ヴァルロア王国」の支配地のひとつだった。
ヴァルロア王国は、今や地図の上からその名を消した国である。
数年前、ヴァルロア王国は、現在この世界で最大の領土と軍事力を誇る「カトレア王国」と戦争状態に入った。
長く続いた戦争の末、ヴァルロアは降伏し、国としての体裁を保てなくなる。
本来であれば、その領土の大部分は、勝利したカトレアのものになるはずだった。
だが、戦の終盤――疲れ切った両国軍隊に、別の災厄が重なる。
戦場跡や荒れた城塞から、まるで腐った傷口に湧く蛆のように、魔物が異常発生し始めたのだ。
勝った側のカトレアも、敗れたヴァルロアも、長期戦で兵も金も削られている。
そこへ押し寄せる魔物の群れに、さらに兵を割く程の余裕はなかった。
結果として、「ヴァルロア領だった土地」は名目上カトレア領に属しながら、実態としては魔物と点在する集落だけが残る「空白地帯」となった。
オルべ村も、その「ほとんど放置された旧ヴァルロア領」の一角である。
一方、カトレア領にあるギルド・ヨスガは、その周縁部と隣り合っているラスレーン地方にある。
地図の上では、ラスレーン地方はカトレア王国の端で、魔族団が区切っている「第三区域」の端でもある。
だが、どちらにとっても「地図の塗りつぶしの端っこ」であり、監視も支援も薄い。
カトレアは領地が広すぎて、すべてを細かく管理する体制がまだ整っていない。
魔族団としては、どの国の領土にかかわらず、取り残された集落を魔物から守りたいという思いがある。しかし、旧ヴァルロア領の魔物掃討に本腰を入れれば入れるほど、その成果はカトレアのさらなる領地拡大につながってしまう。
カトレア王国は、すでにこの世界で最大の領土と軍事力を持つ大国だ。ここからさらに旧ヴァルロア全域まで吸収すれば、「人間勢力の中で頭ひとつ抜けて強い国」から、「世界の均衡を揺るがしかねない超大国」に変わってしまう。
魔王クリシュネにとって、そこにははっきりとした“危機感”がある。
まだ自国の領土の管理もままならないカトレアと、カトレアをこれ以上大きくしたくない魔族団。両者ともに一致して「人の住む現行都市の魔物の駆除を優先せねばならない以上、“ほぼ無人化した旧戦場”は後回しにしている」という表向きの大義名分を掲げ、旧ヴァルロアの本格的な奪還に踏み切れていない。
そこは、誰かが何かを試すには、あまりにも都合の良い場所だった。
———
ヴァルロアについての説明をひとしきり終えると、高峰はゆっくりと視線を落とした。
「アロム平原やオルべ村は、カトレア王国や魔族団も完全には目が届いていない場所。だからこそ、私のような転生者を連れ込んで、神の遺骨の実験をするのにちょうどよかったんだと思います」
自分で口にしながら、「ちょうどよかった」という言葉に顔をしかめる。
その「ちょうどよかった」の中には、魔物の巣窟に取り残された村の家々も、人の暮らしも、全部ひとまとめにされてしまっているのがたまらなく嫌だった。
アランが難しい顔で天井を見上げる。
アーガスは顎に手を当てたまま、黙って骨片を見つめていた。
「この件に魔族の人間は関わってるか分かるか?魔族団の体制についても聞きたいんだが」
「魔族がどこまで関わっているのか詳しくは……分からないですが、組織の体制は元魔族として教えることができます」
高峰は、少しだけ姿勢を正した。
「魔族団は、世界を六つの区域に分けて、それぞれに幹部を置いています。オルべ村、旧ヴァルロア領は三区域に位置しています。ラスレーン――このギルドのある地方も、地図の上では同じ三区です」
肇とアランが、思わず顔を見合わせる。
「……やっぱ、ここも魔族の管轄の区域なんスね」
「全然魔族が来ないから、てっきり管轄外かと思ってたな」
「地理や政治はまだ勉強中っスもんね。俺たち」
アランと肇のやり取りを横目にアーガスは続けてくれ、と高峰に視線を送った。
「区域ごとに、どこに出現している魔物を優先して討伐するか、どの街にどれだけ兵を割くかを決めています。でも、旧ヴァルロアみたいな面倒な土地は、後回しにされがちです。魔物は多いし、国としての機能は壊れていて、どの国の所有地なのかも、今は曖昧ですから」
高峰は、一度言葉を飲み込んだあと、続けた。
「オルべ村についても、"魔物が多くて危険だから、あまり近づくな"程度の情報しか共有されていませんでした。誰が、いつから、あそこで遺骨の実験を始めたのか。それが、魔族団なのか、そこまでは分かりません」
魔族団の暗躍部隊である特魔運用群。その内情は一部の魔族及び幹部以上の者しか知らない。
元魔族である高峰は特魔運用群そのものを知らない。
「つまり、魔族団の誰かがやってる可能性も、まったく別の組織の可能性も、両方あるわけだ」
アーガスがまとめると、高峰は「はい」とだけ答えた。
ただ一人、リセルだけが、膝の上の手帳を強く握りしめていた。本件に確実に魔族が関わっている――それを示す情報を、彼女だけは知っている。
けれど、口封じにかけられた呪いが、その事実を言葉に乗せることを許さない。
代わりに、手帳を握る手からじわりと汗が滲んでいた。
「ひとつだけ言えるのは――」
高峰は、布の上の骨片を見つめる。
「神の遺骨を使う連中が、オルべ村だけで実験をしていたとは思えない、ということです。旧ヴァルロア領の中で、似たような土地で、いくつも実験をしているかもしれません」
肇がそこで、静かに口を開いた。
「アロム平原も、そのひとつ、ってことか」
高峰は小さく頷く。
「先ほども申しましたが、私が最初に連れて行かれた場所が、アロム平原にある施設でした。そこが研究の本拠地なのか、ただの拠点なのかまでは分かりません。でも、あの辺りに、遺骨を運んでいる連中がいることだけは、間違いないと思ってます」
アーガスがゆっくりと息を吐いた。
「……なるほどな」
アーガスは骨片を布で包み直し、カウンターの下に一旦しまう。
「依頼そのものの報告は、これで十分だ。暴走は収まり、村は立て直しの段階に入った――そう書いておく」
帳面にさらさらと数行を書き込む音が、静かな室内に響く。
ペン先が止まり、アーガスは顔を上げ、壁に掛かった古い地図に視線を向ける。
カトレア王国の輪郭。その端に、小さく“ラスレーン”の字。
さらに外れた薄い線の向こうに、“旧ヴァルロア領”と、その中に曖昧な筆致で書かれた“アロム平原”の名。
肇は何も言わなかったが、アーガスの視線を追うように、地図のその地点をじっと見つめていた。




