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世界を救って帰ってきたら、妻とはまだ付き合っていませんでした  作者: 白川 透


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8/13

第8話 誘いたい日は同じだった

 金曜日の昼休み、俺は財布の内側から四つ折りの紙を出した。


 隣町の古い映画館の上映表だ。日曜日にコロッケを食べてから、もう二回書き直している。冒険映画の特集は来月まで続くが、上映作品は週ごとに替わる。黄金の猿の映画は、今週の日曜日が最後の上映だった。


 次は直季くんのにしよう、と小春は言った。


 だから誘えばいい。日曜日、空いてるか。それだけだ。


「お前、その紙いつも持ってない?」


 向かいで古賀が箸を止めた。


「持ってない」

「月曜も見てたぞ。何なの、それ」

「上映表だ」

「ザリガニの続編?」

「猿だ」

「猿かあ」


 古賀は猿にはそれほど興味がないらしく、から揚げに戻った。


 窓際では、小春が三枝と弁当を食べていた。食べ終わると三枝が先に席を立ち、小春は一人で弁当袋の口を結んでいる。


 今だと思った。


 紙を持って立ち上がったとき、小春もこちらへ歩いてきた。手にスマートフォンを持っている。


「直季くん」

「小春」


 声が重なった。


「あ、どうぞ」

「いや、そっちから」


 古賀が二人の顔を見比べて、から揚げを口に入れたまま黙った。


「……廊下でいいか」

「うん」


*


 廊下の窓際は、昼休みの日が当たって暖かかった。


 小春はスマートフォンを両手で持ったまま、窓の外を見た。


「日曜日。今週の日曜日、空けておいて」


 先を越された。


 返事の代わりに、手の中の紙を広げた。


「猿が、日曜日で終わる」


 上映表を見せると、小春は目を丸くした。それから自分のスマートフォンの画面をこちらに向けた。


 市内の小さな水族館の案内だった。クラゲの水槽が光っている写真の下に、『秋の夜間開館』と書いてある。


「私、ここに誘おうと思ってた」

「水族館」

「クラゲが光るの。……でも、猿は日曜日で終わるんだよね」

「クラゲは」

「クラゲは十一月の半ばまで」


 二人で、それぞれの画面と紙を見比べた。


「猿にしよう」


 先に言ったのは小春だった。


「次は直季くんのって言ったし、猿の方が期限が近いし」

「いいのか」

「いい。私も黄金の正体が気になってる。クラゲは逃げない」

「クラゲは泳ぐぞ」

「水槽からは逃げない」


 小春は画面を消して、ポケットにしまった。


「水族館は次ね。今度は私の番」

「分かった」


 それだけ決めるのに、昼休みを半分使っていた。


 教室に戻ると、古賀が俺の弁当箱を指さした。


「卵焼き、一個もらった」

「なんで」

「お前らが廊下で長かったから」


*


 日曜日、隣町の映画館は商店街の外れにあった。


 入口の上に、手書きの看板が掛かっている。『冒険活劇特集・最終週』。切符売り場には窓口が一つしかなく、中のおじいさんがラジオを聞いていた。


「券売機、ないね」

「ないな」

「今日は直季くんが窓口で頼んで。直季くんの番だから」


 財布を出すと、小春がもう自分の財布を出していた。


「自分の分は自分で出すけど」

「分かった」

「ポップコーンは割り勘ね」


 席は四十ほどしかなかった。前から五列目の真ん中に並んで座ると、背もたれがきしんだ。


 映画は、帽子をかぶった冒険家が密林の奥へ黄金を探しに行く話だった。案内役の少年と、どこからともなくついてくる小さな猿がいる。


 猿は黄金ではなかった。黄金を持っていたわけでもない。ただ、冒険家の帽子を何度も盗んだ。


 小春は、猿が帽子をかぶって木の上へ逃げるたびに、ポップコーンを持つ手を止めていた。


 俺は、冒険家がリュックに荷物を詰める場面で身を乗り出した。ロープ。塩。火打ち石。乾いた靴下を三足。分かっている。あの男は分かっている。


 川を渡る場面では、思わず小さく首を振った。あの流れで、あの浅瀬の選び方はない。案の定、冒険家は流された。


 隣で小春が、声を出さずに肩を揺らしていた。


 黄金は最後に見つかった。洞窟の奥の泉の底で、全部が沈んでいた。冒険家は少しだけ眺めてから、泉に帽子を浮かべて帰っていった。


 明るくなると、小春がこちらを向いた。


「猿、最高だった」

「猿か」

「猿だよ。三回帽子盗んだでしょ。三回目、ちゃんと冒険家の頭に戻してから、もう一回盗んだんだよ」

「見てなかった」

「見てなかったの? 何見てたの」

「リュックの中身」


 小春が瞬きをした。


「……リュック?」

「乾いた靴下を三足入れてた。あれは正しい」

「そこ?」

「そこだ。密林で一番困るのは足だ」

「なんで知ってるの」

「たぶん、そうだと思う」


 小春は座席の背もたれに体を預け、天井を見て笑い出した。


「じゃあ、川で首振ってたのも」

「あの浅瀬は選んじゃだめだ」

「流されてたもんね」

「流されると思った」


 映画館を出ても、二人ともまだ話していた。小春は猿の帽子の盗み方を、身振りつきで三回とも再現した。俺はリュックの中身を、順番どおりに全部言った。


「靴下の数まで覚えてるの、おかしいよ」

「猿が帽子を戻してから盗んだのを覚えてる方がおかしい」

「おかしくない。あれは猿の気遣い」

「盗んでるだろ」

「盗むけど気遣いなの」


 どちらも引かなかった。引かないまま、駅へ向かう道をゆっくり歩いた。


 商店街を抜けたところで、小春がふと言った。


「そういえば、この前の猫の写真ね。見直したの」

「猫?」

「ぶれてる方」


 彼女はスマートフォンを出しかけて、やめた。


「あとで話す。もうちょっと歩いてから」


 夕方の光が、彼女の髪留めに当たっていた。


 俺は、まだリュックの話をし足りなかった。靴下の次に大事なのは塩だということも、帽子を泉に浮かべた理由についての自分の考えも、まだ言っていない。


 この人に、自分の好きなものをもっと話したかった。

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