第8話 誘いたい日は同じだった
金曜日の昼休み、俺は財布の内側から四つ折りの紙を出した。
隣町の古い映画館の上映表だ。日曜日にコロッケを食べてから、もう二回書き直している。冒険映画の特集は来月まで続くが、上映作品は週ごとに替わる。黄金の猿の映画は、今週の日曜日が最後の上映だった。
次は直季くんのにしよう、と小春は言った。
だから誘えばいい。日曜日、空いてるか。それだけだ。
「お前、その紙いつも持ってない?」
向かいで古賀が箸を止めた。
「持ってない」
「月曜も見てたぞ。何なの、それ」
「上映表だ」
「ザリガニの続編?」
「猿だ」
「猿かあ」
古賀は猿にはそれほど興味がないらしく、から揚げに戻った。
窓際では、小春が三枝と弁当を食べていた。食べ終わると三枝が先に席を立ち、小春は一人で弁当袋の口を結んでいる。
今だと思った。
紙を持って立ち上がったとき、小春もこちらへ歩いてきた。手にスマートフォンを持っている。
「直季くん」
「小春」
声が重なった。
「あ、どうぞ」
「いや、そっちから」
古賀が二人の顔を見比べて、から揚げを口に入れたまま黙った。
「……廊下でいいか」
「うん」
*
廊下の窓際は、昼休みの日が当たって暖かかった。
小春はスマートフォンを両手で持ったまま、窓の外を見た。
「日曜日。今週の日曜日、空けておいて」
先を越された。
返事の代わりに、手の中の紙を広げた。
「猿が、日曜日で終わる」
上映表を見せると、小春は目を丸くした。それから自分のスマートフォンの画面をこちらに向けた。
市内の小さな水族館の案内だった。クラゲの水槽が光っている写真の下に、『秋の夜間開館』と書いてある。
「私、ここに誘おうと思ってた」
「水族館」
「クラゲが光るの。……でも、猿は日曜日で終わるんだよね」
「クラゲは」
「クラゲは十一月の半ばまで」
二人で、それぞれの画面と紙を見比べた。
「猿にしよう」
先に言ったのは小春だった。
「次は直季くんのって言ったし、猿の方が期限が近いし」
「いいのか」
「いい。私も黄金の正体が気になってる。クラゲは逃げない」
「クラゲは泳ぐぞ」
「水槽からは逃げない」
小春は画面を消して、ポケットにしまった。
「水族館は次ね。今度は私の番」
「分かった」
それだけ決めるのに、昼休みを半分使っていた。
教室に戻ると、古賀が俺の弁当箱を指さした。
「卵焼き、一個もらった」
「なんで」
「お前らが廊下で長かったから」
*
日曜日、隣町の映画館は商店街の外れにあった。
入口の上に、手書きの看板が掛かっている。『冒険活劇特集・最終週』。切符売り場には窓口が一つしかなく、中のおじいさんがラジオを聞いていた。
「券売機、ないね」
「ないな」
「今日は直季くんが窓口で頼んで。直季くんの番だから」
財布を出すと、小春がもう自分の財布を出していた。
「自分の分は自分で出すけど」
「分かった」
「ポップコーンは割り勘ね」
席は四十ほどしかなかった。前から五列目の真ん中に並んで座ると、背もたれがきしんだ。
映画は、帽子をかぶった冒険家が密林の奥へ黄金を探しに行く話だった。案内役の少年と、どこからともなくついてくる小さな猿がいる。
猿は黄金ではなかった。黄金を持っていたわけでもない。ただ、冒険家の帽子を何度も盗んだ。
小春は、猿が帽子をかぶって木の上へ逃げるたびに、ポップコーンを持つ手を止めていた。
俺は、冒険家がリュックに荷物を詰める場面で身を乗り出した。ロープ。塩。火打ち石。乾いた靴下を三足。分かっている。あの男は分かっている。
川を渡る場面では、思わず小さく首を振った。あの流れで、あの浅瀬の選び方はない。案の定、冒険家は流された。
隣で小春が、声を出さずに肩を揺らしていた。
黄金は最後に見つかった。洞窟の奥の泉の底で、全部が沈んでいた。冒険家は少しだけ眺めてから、泉に帽子を浮かべて帰っていった。
明るくなると、小春がこちらを向いた。
「猿、最高だった」
「猿か」
「猿だよ。三回帽子盗んだでしょ。三回目、ちゃんと冒険家の頭に戻してから、もう一回盗んだんだよ」
「見てなかった」
「見てなかったの? 何見てたの」
「リュックの中身」
小春が瞬きをした。
「……リュック?」
「乾いた靴下を三足入れてた。あれは正しい」
「そこ?」
「そこだ。密林で一番困るのは足だ」
「なんで知ってるの」
「たぶん、そうだと思う」
小春は座席の背もたれに体を預け、天井を見て笑い出した。
「じゃあ、川で首振ってたのも」
「あの浅瀬は選んじゃだめだ」
「流されてたもんね」
「流されると思った」
映画館を出ても、二人ともまだ話していた。小春は猿の帽子の盗み方を、身振りつきで三回とも再現した。俺はリュックの中身を、順番どおりに全部言った。
「靴下の数まで覚えてるの、おかしいよ」
「猿が帽子を戻してから盗んだのを覚えてる方がおかしい」
「おかしくない。あれは猿の気遣い」
「盗んでるだろ」
「盗むけど気遣いなの」
どちらも引かなかった。引かないまま、駅へ向かう道をゆっくり歩いた。
商店街を抜けたところで、小春がふと言った。
「そういえば、この前の猫の写真ね。見直したの」
「猫?」
「ぶれてる方」
彼女はスマートフォンを出しかけて、やめた。
「あとで話す。もうちょっと歩いてから」
夕方の光が、彼女の髪留めに当たっていた。
俺は、まだリュックの話をし足りなかった。靴下の次に大事なのは塩だということも、帽子を泉に浮かべた理由についての自分の考えも、まだ言っていない。
この人に、自分の好きなものをもっと話したかった。
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