第14話 表紙は譲れません
月曜日の放課後、教室には俺と小春だけが残った。
三枝は部活へ行き、古賀は「俺は何も見てないからな」と言い残して帰った。何を見ないつもりなのかは分からない。
小春は机を二つくっつけ、鞄から透明なファイルを出した。
「試し刷り。昨日、家のプリンターで刷ったの」
A4の紙が四枚出てきた。片面に二ページずつ、両面に写真と短い言葉が並んでいる。四枚を重ねて真ん中で折れば、十六ページの小さな冊子になるらしい。
会議中のカラスがいた。目の違う食パンも、片方だけの手袋もいた。見出しの文字は、スマートフォンの画面で見るより少しだけ小さかった。
表紙になるはずのところだけが、白いまま残っていた。
その代わりに、別の紙が二枚、机の端に並べられた。夕焼けと、先客。同じ大きさで刷ってある。
「どっちがいいか、聞きたいの」
小春は二枚の端をそろえながら言った。
「選ぶのは私。でも、読む人がどっちを最初に見たいかは知りたい。直季くんは、読む人だから」
「読む人として」
「読む人として」
俺は二枚を見比べた。見比べるまでもなかった。
「先客だ」
「……早い」
「喫茶店で見たときから、そう思ってた」
「私は夕焼け」
小春も早かった。
「知ってた」
「知ってたの?」
「電線を消すかどうか、あんなに悩んでた」
小春は口を開きかけて、閉じた。それから、夕焼けの紙を俺の前へ滑らせてきた。
「でも、聞いて」
「聞く」
「表紙って、最初に見るものでしょう。何も知らない人が、本屋さんの奥の机の前を通りかかって、ちらっと見るの。そのときにこの色が目に入ったら、足が止まると思う」
「先客でも止まる」
「先客は、止まってから笑う写真なの。表紙のときは、まだ笑う準備ができてない」
「笑う準備」
「あとね。夕焼けには見出しがないから、題名をここに置ける」
小春は空のあたりを指でなぞった。橙から紫へ変わる、ちょうど境目のところだった。
「先客には『先客』って見出しがあるでしょう。そこに題名まで載せたら、喧嘩しちゃう」
なるほど、と思った。思ったが、まだ引く気にはならなかった。
「先客の左側は、空いてるだろう」
「空いてる」
「表紙で見たら、その空いてるところに自分が座る気になる。開く前から、この本を作った人がどういうものを面白がるのか分かる」
「それは中で分かればいいの」
「表紙で分かってもいい」
「表紙は、色で呼ぶの」
「葉っぱで呼んでもいい」
「葉っぱは呼ばないよ。座ってるだけだもん」
言い返しが、どんどん早くなった。
小春はいつの間にか椅子から腰を浮かせて、両手で夕焼けの紙を持ち上げていた。俺の顔の前で、少しだけ揺らしている。
そこで、小春は自分の手元に気づいたらしかった。
「……私、ちょっと必死だね」
「かなり必死だ」
「聞いたの、私なのに」
小春は紙を下ろして、吹き出した。俺もつられた。放課後の教室に、二人分の笑い声が変に響いた。
*
しばらく二枚を並べたまま、小春は黙って見ていた。
それから、先客の紙を持ち上げて、ベンチの右端の葉を指先でつついた。
「この人には、中で待っててもらいます」
言いながら、自分で少し笑っていた。
「中で」
「三ページ目。開いてすぐのところ。いい席を取っておいたから」
小春は四枚の試し刷りの中から一枚を抜き出した。右側のページが、本当に空いていた。
「最初から、ここは先客の席にするつもりだったの。表紙にならなかったら、ここ」
「じゃあ、開いたらすぐ会える」
「会える」
それを聞いて、思ったより嬉しかった。表紙ではなくても、あのベンチは冊子の中にちゃんとある。三ページ目をめくった人は、そこで左側の空いた席を見る。
「表紙は夕焼け」
小春は夕焼けの紙を、白いままの表紙の上に重ねた。
「決まりか」
「決まり。でも直季くんが先客派なのは、覚えておく」
「俺はまだ先客の方が好きだ」
「それでいいよ。私は夕焼けの方が好き」
小春は先客の紙を、三ページ目の空いたところへそっと載せた。それから先客の写真だけを持ち上げ、「ほら」と俺の方へ向けた。その向きのまま三ページ目へ戻し、四隅をマスキングテープで仮留めする。並べてみると、夕焼けの表紙をめくった先に、黄色い葉が一枚待っていた。
*
「折るの、手伝ってもらっていい?」
「どこまでやればいい?」
「折るところまで。並べるのと、留めるのは私」
「分かった」
四枚を一枚ずつ受け取り、真ん中で折った。
向こうでは、地図を何百回も畳んだ。雨の中でも角を合わせて折り目をつけておかないと、次に開いたときに折り目から裂ける。角をそろえ、指の腹で押さえ、爪の背で折り目をなぞる。
四枚とも、端がぴったり重なった。
「……きれい」
「折るのは得意だ」
「なんで得意なの」
「昔、よく折った」
「何を?」
「大きい紙」
小春は首をかしげたが、それ以上は聞かずに、折れた四枚を重ねた。一枚目の内側に二枚目を入れ、その内側に三枚目、四枚目。
表紙をめくった。
三ページ目で、先客が逆立ちしていた。
「あ」
「あ」
黄色い葉が、ベンチごと上下さかさまになっていた。俺に見せた向きのまま、テープで留めてしまったらしい。
「休憩してたんじゃなかったっけ」
「逆立ちして休憩する葉っぱもいる」
「いないよ」
小春は冊子を抱えたまま、机に突っ伏して笑った。
小春がテープを爪の先でそっと剥がし、葉の向きを直して貼り直した。今度は先客もベンチも、まっすぐ座った。
ところが、もう一度めくっているうちに、小春が手を止めた。
「……待って」
「どうした」
「ページの番号。九の次が、十一になってる」
下の隅の小さな数字を見た。九、十一、十、十二。
「十と十一が入れ替わってるな」
「それは私が刷るときに間違えたやつ」
「逆立ちも、貼ったのは小春だ」
「あれは直季くんの方に向けて貼ったんだから、半分は直季くん」
「じゃあ、半分と一個」
「……私の負けだね」
小春はシャープペンで、十と十一のところに小さく矢印を書き込んだ。本番では直す、と横に書き足す。字が少し揺れていた。まだ笑っていた。
*
試作品は一冊だけになった。
逆立ちしなくなった先客と、矢印つきの十と十一と、白い表紙の上に重ねた夕焼け。小春はそれを透明なファイルに戻し、鞄の一番奥に入れた。
「今日はここまで」
「留めないのか」
「留めるのは本番。中綴じのホチキス、紗和が貸してくれるって」
小春は鞄の口を閉めて、立ち上がった。
「おなかすいた」
「すいたな」
「商店街のコロッケ、行かない? 甘いものはまだ一個も食べてないから、順番は守ってない」
「今日はコロッケからでいい」
「直季くんの決まりなのに?」
「それを書いたのは小春だ」
小春は少しだけ考えて、それからうなずいた。
「じゃあ、今日は例外」
机を二つ、元の位置に戻した。教室の電気を消して廊下に出ると、窓の向こうで、街灯がひとつずつ点き始めていた。
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