第13話 見出しのない夕焼け
水曜日の帰り、駅前の書店に寄った。
小春が参考書を探したいと言ったからだ。俺も、数学の問題集を一冊買うことにした。頂点は、まだ見つかっていない。
二階の参考書売り場へ上がる階段の踊り場に、掲示板があった。
『みんなの小冊子展 参加者募集』
手書きのポスターだった。十二月の第一土曜と日曜、店の奥の展示スペースで、誰でも作った冊子を並べられるらしい。写真集、詩集、旅行記、料理のメモ。申込みは十一月の半ばまで。参加費はいらない。
小春が足を止めた。
階段を二段上ったところで、俺も止まった。小春はポスターの前から動かなかった。
「……これ」
「出るのか」
「出たい」
答えるのが早かった。言ってから、小春は自分で少し驚いたような顔をした。
「前から、ちょっと思ってたの。撮った写真と、短い言葉を一冊にまとめてみたいって。でも、誰に見せるのか分からなくて」
「ここなら、誰かが見る」
「誰かが見るね」
小春はポスターの端の、申込み用紙が差してある箱から一枚抜いた。抜いてから、それを両手で持って眺めた。
「参考書、あとでいい?」
「いい」
*
書店の隣の喫茶店に入った。雲のソーダの店ではなく、窓際に小さなテーブルが並んだ静かな店だった。
小春は申込み用紙をテーブルに置き、スマートフォンを出した。
「何を入れるか、考えたいの。見てくれる?」
「見る」
いつもの写真が並んだ。会議中のカラス。目の違う食パン。片方だけの手袋。小春が一枚ずつ送るたびに、俺は見出しを読み、笑った。
何枚目かで、小春の指が止まった。
夕焼けの写真だった。
どこかの土手から撮ったらしい。川の向こうの空が、薄い橙から紫へ少しずつ変わっている。真ん中に電線が一本だけ横切っていて、そのほかには何もなかった。
見覚えがあった。雲のソーダの店で、小春が画面を送る途中で飛ばした一枚だ。
「見出しは?」
俺は聞いた。
「これはつけないの」
小春はそう答えて、画面を少しだけ俺の方へ寄せた。
画面の下には、本当に何も書いていなかった。
「……つけないのか」
「うん。これは、笑ってほしい写真じゃないから」
小春は自分のカップを両手で持った。
「この日ね、帰りが遅くなって、土手を歩いてたら、空がこの色になってて。きれいって思ったんだけど、写真で撮ると全然違うの。実物はもっと、橙のところが厚かった。電線もこんなに目立ってなかった」
「でも撮った」
「撮った。全然違うけど、これを見ると、あのときの色を思い出せるから」
俺はもう一度、画面を見た。
橙と紫の境目のあたりが、少しだけ白っぽくなっていた。
「俺には、真ん中の電線がいいと思う」
「電線?」
「空だけだと、どこの空か分からない。電線があると、誰かが住んでる町の上の空だって分かる」
「……そういう見方もあるんだ」
小春は画面を自分の方へ戻し、電線のところを指で拡大した。しばらく黙って見ていた。
「電線、消そうかと思ってたの」
「消さない方がいい。たぶん」
「たぶんなんだ」
「俺は写真に詳しくない」
「知ってる。でも、ちょっと分かった」
小春は夕焼けを表紙候補のフォルダへ移した。それから、次の写真を出した。
*
雨上がりの公園のベンチだった。
濡れた木のベンチの、右の端に、黄色い葉が一枚だけ載っている。座面のほかの部分は空いていた。
『先客』
声を出して笑ってしまった。
「これは見出しがある」
「これはあるの」
「先客か」
「先客。座ろうとしたら、もういたの」
「どいてくれなかったのか」
「どいてくれなかった。だから私、反対の端に座った」
俺は画面の、空いている左の端を見た。
「じゃあ、この写真の外に小春がいる」
「いる。葉っぱと二人で、ベンチを分けてた」
「葉っぱは何をしてたんだ」
「休憩じゃない? 木から降りてきて、疲れたんだよ」
「長い距離だったな」
「長い距離だったの。だから私は遠慮した」
小春は真顔で言い、俺はまた笑った。
「これ、好きだ」
「先客?」
「先客。隣に座る人のことまで考えたくなる」
小春は少し目を丸くしてから、画面の葉を見下ろした。
「……ほんとに?」
「ほんとだ」
「夕焼けより?」
俺は答えに詰まった。
「比べるものなのか」
「冗談。比べなくていい」
小春はそう言って、先客も表紙候補のフォルダへ移した。フォルダの中には、夕焼けとベンチが並んだ。
「表紙、どっちかにしたいな」
「どっちも表紙になりそうだ」
「どっちもは無理。一冊だから」
小春は申込み用紙を引き寄せ、名前の欄にペンを置いた。少しだけ迷ってから、書き始めた。
『鳴瀬小春』
作品の題名の欄は、空けたままにした。
「題名は、作りながら決める」
「手伝えることがあったら言ってくれ」
「言う。でも、写真を選ぶのは私」
「分かってる」
「直季くんは、出来上がったのを読んで」
小春は用紙を二つに折って、鞄の内ポケットにしまった。
俺はまだ冷めていないコーヒーに口をつけた。
十二月の第一土曜日。冊子の一枚目を開いたら、何が出てくるのだろう。夕焼けか、先客か。それとも、まだ見せてもらっていない写真か。
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