第4話 ご飯
第4話 ご飯
お母さんを乗せた車が見えなくなった。
私は病院の前に立っていた。
お父さんと、
おじいちゃんと、
おばあちゃんもいる。
さっきまで、
お母さんもいた。
でも、
行ってしまった。
「帰ろうか」
おじいちゃんが言った。
どこに?
そう思った。
でも聞かなかった。
おばあちゃんが、
私の手を握った。
その手が冷たかった。
駐車場まで歩く。
お父さんは、
少し離れたところを歩いていた。
「あ……」
私は立ち止まった。
お父さんも振り返る。
「鞄」
「ん?」
「学校の鞄。
お父さんの車」
「ああ」
そうだった。
学校からそのまま来たから、
私の鞄はステップワゴンの中にある。
お父さんと一緒に、
車まで取りに行く。
助手席の足元に、
鞄が置いてあった。
持ち上げる。
重い。
数学の教科書。
ノート。
筆記用具。
全部入っている。
そういえば、
数学の途中だった。
放物線。
三角形。
あの問題、
結局どうやって解くんだろう。
……。
どうでもいいや。
「瑠璃」
「ん?」
「大丈夫か?」
「うん」
お父さんは、
しばらく私を見ていた。
「じゃあ、今日は
おじいちゃんたちと帰りな」
「お父さんは?」
「まだちょっと、
やることがあるから」
「ふーん」
やること。
何するんだろう。
聞かなかった。
「じゃあね」
「ああ」
私は鞄を持って、
おじいちゃんたちのところへ戻った。
家に帰った。
玄関を開ける。
いつもの家。
靴を脱ぐ。
私の靴。
おじいちゃんの靴。
おばあちゃんの靴。
お母さんの靴もあった。
「……」
あるじゃん。
お母さんの靴。
私はそのまま家に上がった。
鞄を自分の部屋に置く。
制服のまま、
ベッドに座った。
静か。
下の階から、
おじいちゃんとおばあちゃんが話している声がする。
電話が鳴った。
おじいちゃんが出た。
また電話が鳴った。
今度はおばあちゃん。
誰かと話している。
何を話しているのかは、
よく分からない。
私はスマホを見た。
LINE。
ゆみちゃんから来ていた。
『大丈夫?』
なんで知ってるんだろう。
あ。
学校から急に帰ったからか。
返事。
何て書けばいい?
『大丈夫』
違う。
大丈夫じゃない?
でも、
別にどこか痛いわけじゃない。
私は文字を消した。
また打つ。
『うん』
送った。
すぐ既読になった。
『何かあった?』
私はスマホを伏せた。
言えない。
というより、
どう書くの?
『お母さん死んだ』
……。
そんなLINE、
送るの?
私はスマホをベッドの上に置いた。
少し寝た。
いつの間にか、
外が暗くなっていた。
「瑠璃ちゃん」
おばあちゃんが呼んだ。
「ご飯食べな」
ご飯?
時計を見る。
七時を過ぎていた。
もう、
そんな時間なんだ。
「いらない」
「少しだけ」
「お腹すいてない」
「少しでいいから」
おばあちゃんは、
それだけ言って下へ降りていった。
私はしばらくベッドに座っていた。
ご飯。
今日のお昼、
何食べたっけ。
給食。
食べた。
たぶん。
お腹が鳴った。
私は立ち上がった。
階段を降りる。
テーブルに、
ご飯が並んでいた。
白いご飯。
お味噌汁。
焼いた鮭。
ほうれん草のおひたし。
いつものご飯。
私は椅子に座った。
おじいちゃんもいる。
おばあちゃんもいる。
一つ、
席が空いている。
お母さんの席。
「……」
私は茶碗を持った。
一口食べる。
噛む。
飲み込む。
もう一口。
美味しい。
鮭を食べる。
美味しい。
お味噌汁を飲む。
熱い。
「あつ……」
おばあちゃんは味噌汁をチンチンにする。
変なの。
「無理しなくていいよ」
おばあちゃんが言った。
私は首を横に振った。
「食べる」
またご飯を口に入れた。
お母さんが死んだのに。
お腹ってすくんだ。
朝も食べた。
お昼も食べた。
夜も食べる。
明日の朝も、
たぶんご飯が出てくる。
なんか。
変なの。
私は黙って食べた。
全部食べて、
箸を置いた。
「ごちそうさま」
「もういいの?」
「うん」
「そう」
おばあちゃんは、
それ以上言わなかった。
自分の部屋に戻った。
制服を脱ぐ。
ハンガーにかける。
スカートも脱ぐ。
いつものように、
部屋着に着替えた。
スマホを見る。
ゆみちゃんから、
またLINEが来ていた。
『だいじょうぶ?』
返事をしていなかった。
私はスマホを持ったまま、
しばらく画面を見ていた。
『ごめん』
それだけ送った。
『いいよ』
すぐ返ってきた。
『明日学校来る?』
明日。
学校。
行くのかな。
分からない。
『わかんない』
送った。
『そっか』
それで終わった。
私はスマホを置いた。
また電話が鳴っている。
今日、
何回鳴ったんだろう。
「瑠璃ちゃん」
おばあちゃんの声。
「お風呂沸いたよ」
「うん」
私はパジャマと下着を持って、
お風呂へ行った。
脱衣所で服を脱ぐ。
鏡に自分が映っていた。
いつもの顔。
少しぼーっとしてる。
でも、
私だ。
浴室に入る。
シャワーを出す。
頭を洗う。
シャンプー。
いつもの匂い。
流す。
身体を洗う。
いつもと同じ。
湯船に入った。
「あつ……」
ゆっくり身体を沈める。
肩まで入る。
静かだった。
お湯の音だけがする。
ちゃぷん。
私は膝を抱えた。
今日。
数学の授業を受けていた。
三浦先生が来た。
お父さんがいた。
病院へ行った。
おじいちゃんと、
おばあちゃんがいた。
警察がいた。
お母さんがいた。
白い布。
お母さんの顔。
交通事故。
赤信号。
無免許。
逃げた。
捕まった。
黒いスーツの人。
連れて行かれた。
ご飯を食べた。
お風呂に入った。
……。
お母さん。
私は顔を上げた。
「お母さん……」
声に出た。
誰も返事をしない。
当たり前だ。
「お母さん」
もう一度言った。
返事がない。
「お母さん……」
なんで。
なんで返事しないの。
さっきまで、
分からなかった。
病院でも。
お母さんの顔を見ても。
連れていかれても。
分からなかった。
でも。
もう帰ってこない。
明日の朝、
お母さんはいない。
「……お母さん」
喉が痛くなった。
息を吸った。
うまく吸えない。
「お母さん……」
目が熱くなった。
涙が落ちた。
お湯に水紋ができる。
もう一つ。
また落ちた。
「あ……」
止まらない。
「お母さん……」
両手で顔を押さえた。
「お母さん……」
声が漏れる。
「うっ……」
息がうまくできない。
「お母さん……」
何度言っても、
返事はない。
「お母さん……」
涙が、
指の間から落ちる。
湯船に落ちて、
見えなくなる。
「お母さん……」
私は膝に顔を埋めた。
病院では泣かなかった。
警察の人がいても、
泣かなかった。
お母さんが連れていかれた時も、
泣かなかった。
でも。
一人になったら、
止まらなくなった。
「お母さん……」
私は、
声を殺して泣いた。




