3話
カナはロボットの中で、両手で手すりを掴みながら震えていた。
(どうしよう、こんな時に妊娠してただなんて……。タカくん……)
幸せそうに笑う、ぷっくりとした頬の夫の姿が脳裏に浮かんだ。
(兵士の所に連れて行かれたら、もう連絡取れないかもしれない。電話、したい。声が聞きたいよ……)
カナはショルダーバッグから、スマホを取り出して夫に電話をかけた。
数回のコール音が聞こえた後、繋がった…!
「もしもし、タカくん?」
「香菜子、か……!?カナ、どこにいるんだっ。無事か?」
音量を抑えて、くぐもったような夫の声が聞こえて、彼女は安堵した。
「私ね……。妊娠、してたみたい。ロボの中にいるの。タカくんはどこにいるの?」
「なんだって!?……嬉しいけど、心配で仕方ない!俺は今現場で、仮設トイレに隠れてる」
「えっ、なんでそんなところに?」
「……まだ残っている人がいないか確認してたら、逃げそびれた」
カナの夫、崇文は工事現場の監督で、責任感の強さから仲間の安否確認をしていたようだ。
「重機とか倒れてきたりしないの?タカくんが怪我したらと思うと怖いよ」
「分からない…。光り物、全部外して周りが静かだったら隠れる場所探すよ。あのさ、すごい心配なんだけど、ロボの中ってどういう事?」
「なんかね、保護対象なんだって。だから今は、安全だと思う。タカくんも絶対、生きてね」
「必ず迎えに行く!」
「ダメだよ!自分の命を1番に考えて!」
「香菜子……」
カナのしゃくりあげる声が、電話越しに聞こえてきた。
「愛してるの、タカくん。愛してる」
「俺もだよ……」
その時、無機質な音声が響いた。
『着陸マデ、後10分。飲食・トイレ、スルナラ今シテ。シートベルト、必須』
「あのねタカくん。……私達の赤ちゃん。検査して、ほんとにお腹にいたら絶対産むから。名前、考えててね」
「わかった。必ず」
「タカくん、またね。大好きだよ」
「愛してる、香菜子。…またな」
カナは電話を切ると、首に掛けた結婚指輪を服の上から握りしめながら、涙した。
外の音や景色さえ、この中では何も分からない。ただ、夫の無事を祈る事しか彼女には出来なかった。
10分後、ロボットは緩やかに着陸した。外殻がゆっくりと開く。眩しい光がこぼれ、内部は病院の大部屋のようだった。
E国兵士達が無言で動く一方、日本人看護師が何人か、ベッドの間を駆けている。カナの視線が看護師の頬に向く。
——そこには小さな黒いバーコードが刻まれていた。
胸が締め付けられるような違和感。看護師は目だけでカナを一瞥し、唇を震わせて小さく首を振った。言語より先に、そこに刻まれた印が状況を語っていた。
バーコードは、その人の肌に合わせて最も目立つ色で打たれていた。日本人は黒、褐色肌のE国民には白。識別は、誰の目にも一目で分かるように作られていた。
ロボットから床に降ろされたカナのもとへ、淡い緑色の髪と瞳、褐色の肌をした女兵士が歩み寄り、隣にはカナと同年代くらいの日本人男性看護師が立っていた。女兵士は冷静な調子で告げる。
「妊婦、卒乳までここで管理する。ここの担当は山田。わからないことは山田に聞け」
山田と呼ばれた看護師は軽く会釈してから、薄く笑みを作った。頬のバーコードが、笑みに合わせて少し歪んだ。その表情は、哀れみと諦めを含んでいるかのように見えた。カナは指先で結婚指輪を確かめ、体に走る震えを押し殺した。
「名前と生年月日を教えてください」
カナの腕にバーコード付きの腕輪を付けながら、山田が落ち着いた声で尋ねる。腕輪は肌を痛めないような、柔らかい素材で出来ていた。カナが震える声で告げると、女兵士は無表情に端末を操作し、何かのデータ欄に入力する。
「日本語の名前書けない。山田が書いて」
「かしこまりました」
山田は入力した後、カナへ画面を見せた。
「これで間違い無いですか?」
「はい、大丈夫です」
端末の画面には小さくバーコードと一致する識別番号が表示された。光る数字は冷たく、カナの胸の中の不安をさらに深くした。山田は、そんな彼女の様子を静かに見ていた。
(この人、ずっと目を伏せているけど大丈夫か?目線が合わない。丁寧に説明しすぎて聞き漏らされた事があるし、心配だ)
山田は本来は別の科の担当だったが、人手不足で妊婦対応の説明役として呼ばれていた。
「お母さんへのバーコード刻印は、赤ちゃんに影響が出ないように、卒乳後と決まっています。この腕輪があれば、ロボットの誤射を防げます。赤ちゃんが生まれたら、その子にも同じものを付けます。いつでも見えるようにして、絶対に外さないで」
そう説明した山田の声は低く、しかし優しさを含んでいた。
(赤ちゃんまで管理対象なんだ……。でも、安全のためには……)
カナはロボットに捕まる前に見た、倒れている人々の姿を思い出しながら頷いた。
周囲では別の看護師が、手早くミルクや検査用具を用意する音がする。赤ちゃんの声も、遠くの方で聞こえた。E国兵士の視線は無感情で、任務以外の表情を見せない。カナは一瞬、夫の声を思い出し、両手を握りしめて自分に言い聞かせるように呟いた。
「タカくん、迎えに来て…」
山田はそれを聞いて、躊躇いながらもそっと手のひらで彼女の肩に触れた。
「検査は明日、日本人医師が行います。それまでは少しでもゆっくり休んでいてください」
——その接触は励ましのつもりなのか、それとも単なる業務の一部なのか、カナには判別できなかった。




