歪
身体が大きく揺れて目が覚める。
真っ暗な部屋の中
一瞬ここがどこだか分からなくなる。今開いた目玉が見えやしない辺りを探る。
鼻が馴染みのある匂いを問う。
全身が ここがどこか 必死に認知しようとする。
私の肩に誰かが触れる。
私は思わず触れたものを 勢いよく叩き退ける。
「久ちゃん 大丈夫か?」
耳へ入り慣れた音がした。私は咄嗟に音のした方を振り向く。
見えやしないが その音を出したのは整だ。
ああ
そうだ
私は整と居る
ここには 整と私しかいない
目覚めが今を正しく認識し始める。
ああ
また同じ夢だ
私は右手で顔を覆った。
「大丈夫か?」
整が私に声をかけた。私は何度も首を振って うなずく。
きっと整に私の様子はみえちゃいない。
「うん 大丈夫」
頷きながら 私はそう答えた。
「そう言ったって
ここ幾夜も 久ちゃん うなされているじゃないか」
整は言った。正しかった。
同じ夢を 同じ夢の続きを このところ繰り返し見ている。
橙色した鬼灯 赤黒いもの 生い茂る葛
私は両手で顔を覆う。 今見ていた夢が頭を回る。
竹筒が喉に突き刺さる あの瞬間の苦しさ。
逃げられるはずなのに逃げようともしない自分の肉体。
夢から覚めれば
あの肉体は
動かないふりをしているように思えた。
もう嫌だ
見たくない そう思っても見せられる。
眠りが訪れると それが 望みもしないのに覆いかぶさってくる。
両手で顔をこする。
幾度も
幾度もこすりつける。
整が私の動きを制止する。私はそれに逆らう様に顔をこすろうとする。
整が更に強く私の腕を掴む。
「久ちゃん こっち来るか?」
力強く腕を掴んだまま整は私に尋ねた。整の言葉は私の動きを止めるに十分だった。
暗闇と沈黙が私を責める。
まるで罰を受けるか 受けないか問われている様に感じる。
いつもとは異なる整がそこに居る。私が動いても掴み続け 腕を離さない。
肉体は接触しているのに
暗闇が私達二人の視線を重ねさせない。
整が力を込める。
嫌だ
怖い
逃げたい
助けて
沈黙と掴まれた腕の重圧に虫唾が走る。
これは
優しさなのか
この状況を利用しているのか
忘れていた 駆け引きが始まった。
この男は私をどうしようとしているのか
遊郭の時の名残が顔を出す。
いいや違う
整は優しい。そんな男じゃない。
今の私が整を
懸命に擁護する。
「久ちゃん」
整が私の名を呼ぶ。私の中の血管から血液が抜き取られたように
指先から足先からと 冷たくなっていった。
呼ばないで
私の名をこれ以上
呼ばないで
心の中で渦巻く声は 外へ出たがらない。
優しさでも利用でもなんでも構わないから
私の名を呼ぶな
現れた嫌悪が名を呼ぶ整へ噛みつこうとする。
私の耳が呼ばれる名を 整の声を 拒絶する。
今断ったのなら 私は整を 傷つける。
でも
今断らなかったとしたならば
この先
私は私を
忌み嫌う。
異なる対象へ向けられた 刃先は 分岐に立たされていた。
どちらへ向かわせるか
内側での騒がしさと外側の静けさ
そのかけ離れが私の呼吸を攫っていく。
どちらにも
向けたくない
選べるはずねえだろう
暗がりの中私の瞳から涙が一つ静かに落ちた。
整には見えていない。
頬を伝う涙は皮肉にも ここは遊郭じゃない と
今この時を 利用して 私に実感させようとしている。
涙として現れた
私の分身は
いつから 隠れていたんだろうな
ふと
姉さんと いつか約束したことを思い出した。
落とさない涙
落としちゃならねえ 涙
ああ
きっと あの時から分身は隠れていたんだな
居なかったはず
でも居たはず
分身を感じた
落ちればいい
もう
好きなように
好きなだけ
落ちたらいい
涙が与えられた自由への許可は
私の抑え込んできていた感情を決壊させていく。
感じたことのない様な 私が生れ出る。
太ももが小刻みに震える。
まるで皮膚と肉の間で魚卵が絶えず弾けているような感覚だった。
骨盤内が徐々に空洞になる。
どうにでもなればいい
私の思考が 何かを捨てた。
「お願いだから」
私が言葉を放つ。
「なんだ?」
整が一瞬私の方へと身を乗り出したのを感じた。
「お願いだから」
私と整の間にある空間が圧縮される。
「放っておいて」
整は何も言わず 私の腕からすばやく自分の手を離した。
その手離しは
もう私達二人が 心を重ねることはない
そんな約束事が含まれていたように感じた。
遠のく整と
遠のかせておきながら
遠のかせない理由と正当性を 感情の中探す私がいた。
想いと行動の矛盾が私を四方へばらばらに散らす。
転がり散る それらを 拾い集める術は持っていない。
肉体はばらばらになっても もとに戻すことが可能だ。
本体に戻そうとされる。
精神は 感情は 違う。
ばらばらになった精神は 元に戻すことが不可能だ。
本体でさえ
それが自分のものであるのか
疑うことさえある。
整は自分の床へ戻った。
いつか見上げた空の様に 雨粒がいくつも幾つも落ちた。
ごめんなさい
本当に
ごめんなさい
ごめんな
一体
誰に対して謝っているのか。ただ胸の中で繰り返していた。
対象物の定めがない謝罪は 胸の中で無限を描く。
呼吸の度に小さく上がる肩を 私は出来るだけたたみこんだ。
少しでも少しでも
小さくなれるように
それで
どんどん小さくなって 砂粒一つくらいになって
誰の目にも止まらなくなって
それで
それで
消えられたらいいのにな
たたみこまれた肩が
そう呟いていたのを背骨が聞いていた。




