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出口の向こうから、俺の悲鳴が聞こえる  作者: 雨宮 弦


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第6話 六人分の未来

 階段の下には、六つの枝口が並んでいた。

 一直線に並ぶ通路ではなかった。踊り場から扇のように分かれ、細い壁で仕切られている。壁の間から、水の音が別々の大きさで聞こえた。それぞれの入口に扉があり、電話が一台ずつ付いていた。

 どれも発信ボタンが白かった。

 尚匡は踊り場の地図を照らした。六本の枝は別々に排水槽の上へ下り、途中の足場を経て、同じ観測区画側へ集まっている。通れる幅も、足場の長さも違う。遠回りに見える端の線には、浅い点検溝らしい記号があった。

 右の柵に笹倉が手を置きかけた。尚匡が声を掛けると、笹倉は思い出したように手を引いた。柵の支柱の一本で、根元の塗装が剥がれていた。


「掴まるところが信用できないと、階段も怖いな」


 榎坂が言った。

 尚匡は頷き、誰かが一人で先へ出ないよう、皆が立てる範囲を光で示した。今いる踊り場は乾いている。扉の隙間から見える先は、そうではなかった。


「六人で、一つずつ電話を使おう」


 榎坂が地図を指した。


「どこも同じところへ出るなら、渡れた道を選べる。時間が惜しいが、順番に聞こう。互いの話も聞けるように」


 御厨が時計へ目をやった。尚匡も時刻を確かめる。九時十九分。ここで一台を使えば、十分後には相手がもう観測区画にいるかもしれない。足場を渡れるか、その先へ辿り着けるかを聞ける。

 便利すぎると思った。

 自分の前にいる五人の体格を見た。榎坂は肩幅が広く、友乃葉は小さな手提げを身体へ寄せている。御厨は階段で息が上がっていた。自分が渡れたからといって、六人とも同じ歩き方はできない。


「それぞれ、自分一人が通れるかと、ほかの人を見たかを分けて訊きませんか」


 尚匡が言った。


「全員助かるか、じゃなくて?」


 笹倉が眉を寄せた。


「分からないことを分かるみたいに答えられたら、怖いので」


 榎坂は少し考えて頷いた。友乃葉がメモに六行分の空白を作る。一行ごとに扉の位置と使用者の名を入れた。同じ受話器を六人で使えるのではない。一人が一つずつ、別々の白いボタンを使う。

 九時二十分。

 尚匡が右端の電話へ手を載せた。


「相良。そっちは渡れたか」


『渡れた。右の足場。一人なら行ける』


 相手の息は上がっていたが、会話はできた。接続先は九時三十分。尚匡は右端の点検窓へ目をやる。


「一人なら、ってどういうことだ。ほかは?」


『ここにはいない。板が、同時だと――』


 低い音に語尾が沈んだ。尚匡はもう一度訊いたが、相手は足元を気にしているらしく、待て、と言った。次の返事より先に、三十秒が終わった。

 友乃葉が、一人なら渡れた、ほかの人は見ていない、と読み上げた。尚匡は頷いた。自分が渡ったと聞いた右端の扉は、ほかの五つより近く感じられた。

 九時二十一分。穂奈実が隣の電話を使った。


「志摩野です。そちら、どこ?」


『荷物、下ろしてから来て。肩に掛けないで』


「私は渡れてる?」


『今、下にいる。引っ掛けて――』


 ガン、と大きな音がした。穂奈実が受話器を少し離す。尚匡は口を挟みかけ、止まった。


「怪我は。ほかの人は見える?」


 相手の返事は途切れた。通話が終わったあと、穂奈実は友乃葉に、荷物への警告は聞けたが全員の居場所は分からない、と言った。自分の肩の小さな鞄を外し、持ち手と紐を確かめている。

 九時二十二分。友乃葉が三つ目に掛けた。

 受話器の先の声を聞いたとき、彼女は一度目を閉じた。空調室で聞いた自分の声を思い出したように見えた。尚匡は時計を見る係へ回った。


『待って。勝手に進まないで。誰か来るまで』


「誰を待てばいいの」


『まだ分からない。でも、一人で――』


 友乃葉は名前を訊いた。返ってきたのは水音と、自分の声で言う待って、だった。切れたあとも、受話器を置くまでに少し時間が掛かった。

 待つ相手の欄は空いたままになった。

 九時二十三分。榎坂が四つ目を使った。


『皆、下へ集めてくれ』


 向こうの榎坂は、こちらが名乗るのを待たずにそう言った。


「お前も下にいるのか。何人いる」


『途中だ。上に残すな。ばらけると――』


 榎坂は一人ずつ名前を呼んで確かめようとした。その途中で三十秒が尽きた。受話器を戻す手に、強く力が入っていた。


「全員、集めたほうがいいらしい」


 彼が言うと、友乃葉が画面を見せた。


「集めて、とは言ってた。でも、集まった、ではなかったですよね」


 榎坂は友乃葉を見た。尚匡は二人の間で言葉を探したが、榎坂のほうが先に頷いた。


「そうだな。そこは、そのとおりに書いてくれ」


 九時二十四分。笹倉が五つ目の電話へ立った。

 尚匡は彼の肩越しに扉を見た。ここから先は短い下りで、水面に近い。笹倉は掌の位置を何度も合わせ、照合の文字が出てからも一拍置いて発信した。


『六人で来るな』


「なんでだ」


『少なくしろ。ここは――』


 笹倉が質問を重ねる。相手も何か言ったが、二つの声が重なった。穂奈実が手を少し上げて待つよう合図した。笹倉は気づかなかった。切れてから、何て言ってた、と尚匡を振り返った。


「六人では来るな。その先は、重なって聞き取れませんでした」


「人数を減らせってことだろ」


 榎坂が地図へ目をやった。自分の電話で集めろと言われた道と、笹倉が少なくしろと言われた道は、別の線だった。

 九時二十五分。最後に御厨が左端の電話を取った。

 彼は名前を名乗らなかった。


「残りは、何秒だ」


 尚匡は顔を上げた。まだ始まったばかりなのに、何の残りを訊いているのだろう。通話なら表示を見れば分かる。十三時までは、三時間半以上ある。

 受話器から男の声がした。御厨は身体を壁へ寄せ、口を受話器へ近づけた。声は低くなったが、自分たちの立つ場所から消えたわけではなかった。


「そちらの、経過は」


 御厨が訊いた。返事は壁に反射して、言葉までは拾えない。

 尚匡が一歩近づくと、御厨は首を振った。


「繋がりが悪い。聞こえません」


 相手の声は、そのときも僅かに聞こえていた。尚匡には内容が分からず、嘘だとまでは言えなかった。御厨は残り時間を見て、短く指を折った。三十秒が尽きると、その手をポケットへ入れた。

 六つの白い光が、すべて灰色になった。

 尚匡は御厨へ、聞き取れた範囲だけでも伝えてほしいと言った。御厨は目を伏せ、もう一度、よく聞こえなかったと答えた。友乃葉はその行を空白にせず、本人申告、聞き取れず、と記した。御厨は画面を覗き、それでいい、と言った。否定する材料も、信用する材料も、尚匡の手元にはなかった。

 友乃葉がメモを踊り場の真ん中で見せた。右端の尚匡、一人なら渡れる。穂奈実、荷物を下ろす。友乃葉、誰かを待つ。榎坂、皆を集める。笹倉、六人で来るな。御厨、内容不明。


「どれが正しいんだよ」


 笹倉が言った。

 尚匡は答えられなかった。

 地図には六本の道がある。電話を使った時刻も違う。向こうで誰と一緒にいたか、分かった者はいない。それぞれが聞いて来たものを、一つの場所の一枚の風景へ重ねることはできなかった。


「私、誰を待てばいいか、聞けなかった」


 友乃葉が言った。メモの空欄を指で押さえている。


「質問はしてたよ」


 穂奈実が答えた。


「答えがなかった。そこは分けておこう」


 友乃葉が小さく頷いた。尚匡は自分の行を見た。右、一人なら渡れた。その短い返事だけは、手触りがあった。自分が歩く場面なら思い浮かぶ。ほかの五人を加えると、途端に想像の足元が暗くなる。

 九時二十六分になった。

 少し前の電話で、向こうの自分がいると言った時刻だった。今の自分は、その自分に言われた柵を押さずにここまで来た。六人とも踊り場にいる。しかし、その事実だけでは、この先の一歩は決まらなかった。

 榎坂が扉の窓へ光を当てる。水面に、細い足場の影が見えた。

 尚匡は携帯をしまった。自分の声で渡れたと聞いた右端から、どうしても目を離せなかった。

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