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出口の向こうから、俺の悲鳴が聞こえる  作者: 雨宮 弦


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第15話 かかっていない電話

 電話が鳴った。

 尚匡は足を止めた。中央連絡廊下の角で、黒い受話器が短く震えている。五人とも照合板に触れていない。白い発信ボタンは、そのまま点いていた。

 十時四十分。

 尚匡が前へ出ると、表示に自分の名前が出た。着信、とある。その脇に、返送受信の小さな文字が点滅していた。

 排水槽へ下る前に見た、赤いボタンを思い出した。ここの電話にも蓋があり、封印は切れていない。

 榎坂が受けるかと訊いた。尚匡は頷き、受話器を取った。


『赤い封印は、そっちで壊すな。向こう側から使う』


 自分の声だった。


「今、どこだ」


『十分先の連絡廊下。同じ電話の、元の発信直前に返してる』


「何を返した」


『この通話。外周へ戻るなら、閉鎖表示も確認しろ』


 尚匡は目の前の扉を見た。通路の上に、戻り方向の小さな表示器がある。今は通行可と出ていた。


「もっと前には」


『選べない。この電話の直前だけだ』


 相手の後ろで、三度の低い音が鳴った。尚匡が耳を澄ませている間、穂奈実が電話の下の小さな案内札を持ち上げた。透明な蓋は開けず、脇の細い札だけをこちらへ向ける。


「接続先から一度。同じ本人、同じ電話、元発信直前です」


 尚匡はその三つを目で追った。状態欄には、基準分岐は当該往復の助言を受け取っていない、とある。先ほどの観測卓と同じ基準分岐の文字だった。

 白い発信ボタンは、まだ点いていた。自分はここから発信していない。いまの相手は、その発信から返したと言った。尚匡は受話器を持ったまま、一つだけ声に出した。


「こっちで封印は、切らない」


 三十秒が終わり、着信の文字が消えた。尚匡は受話器を持ったまま、発信ボタンへ指を移した。

 十時四十分三十一秒。

 尚匡は掌を載せ、発信した。

 接続先の表示は、十時五十分三十一秒だった。


「赤いボタンがあるか」


『ある。今、札を見つけた』


「こっちは、もう受け取った。封印を壊すなって。外周の閉鎖表示を確認しろとも」


『俺が言ったのか』


「同じ声だった。案内には、そっちから元発信直前へ返す、と」


 向こうで小さな音がした。紙を動かすような音だった。


『読めた。こっちから返す』


 切替音が鳴った。

 相手の声が途切れ、表示が返送済みに変わった。新しい着信は来なかった。尚匡は灰色になった発信ボタンを見たまま、しばらく動けなかった。

 自分は今の通話を、まだ始める前に受けていた。

 友乃葉が録音を止めた。時刻を二つ残し、画面を尚匡へ向ける。先に受信。その次に元の発信。向こう側が返送を使う。指で順に追っても、頭の中では最後が最初へ戻ってしまう。

 戻っているのは身体ではない。

 右手の傷は痛む。さっき読んだ警備記録も、友乃葉の携帯から消えていない。五人は廊下で同じ位置に立ったまま、電話の声だけを先に受け取った。

 穂奈実が案内札を撮った。尚匡も受話器を戻し、読めるところからゆっくり読んだ。

 返送は一度だけ。接続先側から使用。返送されるのは同一の通話者へ向けた三十秒の音声。同一電話の元発信直前以外は指定できない。物品、別人への転送不可。

 排水槽の手前で笹倉が、やり直せるのかと口にした赤い色だった。

 笹倉へ、あの棒を挿すなと送ることはできない。

 尚匡が今、時刻を選べる場所も、相手の名前を入力できる場所もなかった。案内を読み直すほど、できないことの輪郭が増えた。


「いまの相手は、先に着信が来たのを知らなかった」


 尚匡が言った。

 穂奈実は状態欄を指した。


「この往復で受け取る助言は、基準分岐の相手にはない、と書いてあります。私たちは先に聞いた。向こうは、その助言を聞く前の条件のまま、ここまで来ている」


「でも、青い服とか、前の電話は」


「ほかの過去まで全部なくなるとは、書いてないです。札のときと同じ。今回の通話で知ったことを、最初から知っていた相手へ掛けてるわけじゃない」


 尚匡は頷きかけ、途中で止めた。


「今の説明で、全部分かったとは言えません」


「私も。でも、どこを読んでそう考えたかは、残せます」


 友乃葉が案内札と時刻の写真を並べた。二人の説明を聞いたあとで、通話の内容を先に書くと言った。分かったことだけを選んで残すと、後で違ったと気づけなくなる。

 榎坂が閉鎖表示へ光を向けた。戻り方向、一定条件で閉鎖、と小さく書かれている。中央の状態と連動するらしい。今すぐ閉まるという表示は出ていない。


「戻るなら、ここを確認してからだな」


 尚匡は頷いた。未来の相手は、何の条件で閉じるかまでは言っていない。通行可の文字を撮り、表示器の位置も覚えた。声の言葉を、今確認できる行動へ移す。それなら一つずつできた。

 御厨が赤いボタンの蓋へ顔を寄せた。


「起点を、変更する方法は」


 小さな声だった。

 尚匡は彼を見た。御厨は案内の下を見ている。何年も前へ戻りたいと言ったわけではない。笹倉の事故より前へ送れないか、誰でも一度は考える。それだけの質問なのかもしれなかった。


「ここでは、選べません」


 尚匡は答えた。


「同じ電話の、元発信直前だけです」


 御厨は、分かっています、と言った。質問をしたのに、もう知っていたような返事だった。彼は蓋には触れず、ゆっくり顔を離した。

 友乃葉が着信時刻の横に、十時四十分〇〇秒、と足した。次の欄は十時四十分三十一秒。相手側の十時五十分三十一秒も別に置いた。

 尚匡は数字を見ながら、同じ出来事を二つの側から追った。

 向こう側の自分は、赤い封印を切った。それを使って、今ここへ声を返した。こちらの封印はそのまま残っている。だから、こちらが勝手にもう一回押していいという意味ではない。白い発信の権利は、既に使い終えていた。

 榎坂が、使う前の電話へ戻ればもう一度返せるのかと訊いた。尚匡は今いる電話の表示を指した。返送済み。ここにいる自分が未使用の赤い蓋を持っていても、同じ往復を増やしてよいとは書かれていない。


「それに、受ける人は俺です。笹倉さんには繋がらない」


 榎坂は頷いた。知っている、と言いながら、もう一度だけ案内を読んだ。尚匡も同じことをしていた。できないと読んだところに、読み落とした一行がないか探している。

 なかった。

 尚匡は蓋を開けずに離れ、手をポケットへ入れた。意味を知れば、触って確かめたくなる。今はその癖を止めるほうが大事だった。

 友乃葉が、ここまで、と言って記録を保存した。

 受信、発信、返送。五人の前で起きた順序のまま、書かれている。未来の自分が実際に何を見て閉鎖に気づいたかは、そこにない。

 外周の扉が今後閉まるのか、閉まるのを見越して相手が注意したのかも、まだ分からなかった。尚匡は確認した表示の写真へ現在時刻を添えた。

 友乃葉が写真を受け取り、閉鎖時刻の欄を空けたまま保存した。

 尚匡は最後に、閉鎖表示を見上げた。通行可。

 その二文字が今の状態だと確かめ、五人で廊下の先へ進んだ。

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