7
始業式で荷物も少なく、帰り支度はすぐに終わった。席を立つと、同じタイミングで立ち上がった隣の優等生と目が合う。
「あ、陰浦さん。もしよろしければ一緒に帰りませんか?」
「別にいいけど、俺なんかと帰っていいのか?」
「? はい。私、陰浦さんとお話してみたかったんです」
ファンクラブなんてものがあるんだ、さっき悪目立ちした俺なんかと一緒に帰ったら、この優等生にまで変な噂が立つかもしれないと思ったんだが、小首をかしげる優等生を見る限り、あまり気にしていないらしい。
「……そうか、なら帰るか」
「はい」
俺たち二年の教室がある三階から下駄箱へ降りて行き、赤色のスリッパから靴に履き替えて優等生と一緒に外に出た。
暖かな日差しに、心地よい風。
その風に身を任せ、まだ残っていた桜の花びらがひらひらと舞う中、俺は学校のアイドルに祭り上げられている優等生と帰り道を歩いている。
周囲の生徒たちから驚いたような視線が突き刺さるが、優等生は一切気にしていない。
「それにしても意外だったよ」
「なにについてですか?」
「そっちがどこの部活にも入っていなかったことに」
「え、えぇまぁ……。習い事がありますので……」
「へぇ、なにやってるんだ?」
「えっと……ピアノとか、茶道とか……そんな感じのものです」
「……そうか。悪いな変なこと聞いて」
「い、いえ。咄嗟のことでしたので、名前が浮かんでこなかっただけです」
……まぁいいか。
「そんなことより、私は明日の体力測定が憂鬱なんです。はぁ……」
優等生は、両手で持ったスクールバッグを、わずかに持ち上げては腿に当てる。
どうやら本当に不安らしい。
「俺もだよ」
「……陰浦さんのは、『面倒くさい』とか、『だるい』とかですよね?」
「おぉ、よくわかったな」
「それはわかりますよ。先程の部活決めであのような提案をするほどですから……」
「……」
あのちょっとしたやり取りで俺のことを把握するとは、優等生という名は伊達ではないということか。
「そういうのではなくて、お恥ずかしながら、私、運動音痴なんですよ……」
「へぇ、それも意外だな。てっきり文武両道なのかと思ってたよ」
優等生が両手を全力で振って否定する。
「いえいえ、全く運動できないです。特に球技なんかもう……怖くて怖くて……。なんですか? ボールって私を狙うようにホーミング機能でも付いているのですか?」
どこか恨みがましそうな表情を浮かべた。
「いや、そんな機能はないと思うぞ」
「きっと、明日は皆さんの笑いものになるに決まってます……」
優等生は肩を落とし、「明日なんて来なければいいのに……」と小さな声で呟いた。
「そんなことないと思うぞ。むしろ、ファンからしたら、余計に守ってやりたくなるんじゃないか? 知らんけど……」
「それもそれで複雑な気持ちになりますけど、男性はそのように感じるのですか?」
「さぁ、知らね」
「もう、なんですか、それ」
優等生は口元を押さえて上品に笑う。
「まぁでも、運動音痴なんて男でも割といるし、俺も苦手なスポーツくらい普通にあるから気にしなくてもいいと思うぞ」
俺がなんとか優等生を励まそうとするが、それでも曇った顔は晴れない。
「でも、一生懸命やらないと運動部に入れられると、小林先生がおっしゃっていましたし……」
「それはサボっていたらの話で、明日の体力測定に関しては、精一杯やってるって教師に伝わればいいんじゃないか?」
「! そうですね。精一杯頑張ります」
俺たちが通っている学校の最寄り駅に着き、それほど待たずして到着した電車に二人で乗り込む。
このあたりを走っている電車は大体ロングシートだ。
昼時の電車内には同じ学校の学生、ビジネスマンや主婦など数人がまばらに乗っている。
俺たちは周囲を見渡し、ドアからすぐ近くの空いている座席に座った。
「なぁ、今更なんだが、俺のことは怖くなかったのか? 自分で言うのもなんだけど……」
目つきの悪さと、俺の過去を知ったやつらは大抵、怖がって近寄ろうとしない。
「えっと、実は、最初に話しかけたときはちょっと怖かったです。ですけど、自己紹介のときに、『怒ったら怖い』という話でしたから……。つまり、陰浦さんが怒るに値する理由があったから、そのようなことがあったということですよね?」
「!」
他のやつらとは違って、この優等生は人の外見や噂だけで判断しない人間なんだな。今どき珍しい。
「もちろん暴力は良くないと思いますけど……。でも、隣の席になったときや部活決めのとき……それになにより、朝の電車でのことがありましたので……本当は面白い方なのかなって……」
「ん? 朝の電車? なんのことだ?」
身に覚えのないことを言われ、一応今日のことを遡るがやはり記憶にない。
「陰浦さんのお家の最寄り駅は、樽井駅ですよね?」
「あぁ、そうだけど、なんで知ってんの?」
「私は、その一つ隣の西樽井駅から乗車しているんです」
「へぇ」
優等生は、座っている俺との間の席をポンポンと叩き、それからドアへと視線を送った。
「それで、私がここに座っていると、樽井駅で目がうつろでフラフラの状態の陰浦さんが乗車してきたんです。まるでゾンビのようで、結構周りの方々からも注目を浴びていましたよ」
優等生は口元を押さえて思い出し笑いをする。
「マジかよ……全く覚えてねえ。それ、たぶん寝てたな」
「えぇ! あの時寝ていたのですか⁉ え、ということは……始業式のときもですか?」
「あぁ、寝てたらしいな。陸斗のやつが話しかけてきたらしいけど、全く覚えてねえ」
目を丸くしている優等生は戸惑いを隠しきれない。
「で、でも、登校中、障害物を何度も避けたり、赤信号の際にはピタッと足を止めていましたよ? 私、ずっとハラハラしていたんですから……」
「そりゃ悪かった。てか、ずっと見てたのか? え、そんなにヤバかった?」
「え、あ、いや……」
自分が異性をじっと観察していたことに気付いたのだろう。
優等生は耳まで赤く染めて視線を逸らし、スクールバッグの持ち手をぎゅっと握りしめた。
そこに車内アナウンスが流れた。
『次は~樽井~。樽井~、ご乗車ありがとうございます。お降りの際は~——』
あと数分もすれば俺の降りる駅に着くみたいだ。
「あ! 陰浦さん。次は樽井駅らしいですよ」
「そうだな」
わざとらしく声を張って、恥じらいをごまかすように俺に知らせてくれる。
別に恥ずかしがることはないと思うけどな。普通、不審者がいたら誰でも見るだろうし。




