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俺に青春は向いていない  作者: 真面堂 九世
第7章

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48/61

5

 優等生は、電車を降りてからずっと黙ったまま、俺の手を引いて早足で自分の家に向かっていた。


「おい、引っ張らなくても付いて行くから……。お、おいって」

「……」


 俺はもともと無口だから沈黙には慣れているが、さすがにこの状況は落ち着かない。

 今、優等生はどんな表情をしているのだろうか?

 怒っているのか、悲しんでいるのか、後ろをついていく俺にはそれすらわからない。


「……」

「……」


 ただ靴音だけが並んで響く。

 やがて住宅街に入り、ひときわ大きな家の前で優等生が足を止めた。


 で、でけぇ……。

 なんというか、簡潔に言うとおしゃれででけぇ家だ。

 昔ながらの三角屋根ではなく、立方体が幾つも重なったようなモダンなデザインの豪邸で、外壁は白とグレーのコントラストで、無駄がなく、それでいて存在感がある。

 それに、天井まで届きそうな大きな窓が塀の外からでも見えた。


「まさか、ここが家か?」

「……」


 やっぱり喋らない。


 門の前で優等生がなにかをかざすと、機械音とともに門扉が開いた。

 玄関扉では電子ロックに数字を入力し、人差し指を指紋認証の機械にあてると、ピッと扉が音を鳴らした。

 そのまま、優等生に手を引かれて家の中へ入った。


「お、お邪魔します……」


 す、すげぇ……。とんでもねーな、コイツの家。

 広い玄関で靴を脱ぎ、手を引かれたまま洗面所に連れていかれた。

 若干顔を伏せがちな優等生は、俺に向かって鏡越しに静かに口を開く。


「左腕を見せてください」


 ようやく口を開いたと思えば、普段より声は低く、少し震えていた。

 優等生に言われるまま腕を出すと、皮膚にこびりついた血を洗い流してくれる。

 幸い傷は深くないようだ。だが、思った以上に長く傷が走っていた。


 固まった血がはがれ、再び赤がにじみ出てくる。

 優等生は俺の腕が痛まないよう、優しく、繊細に洗ってくれた。


 腕を洗い終わると、ふわふわのタオルで水気をそっとふき取ってくれる。

 その高そうなタオルが、じわりと傷口から流れる血も吸い取り、赤く染まっていく。


 それからまた手を引かれ、リビングへ。

 広いリビング、高い天井、デカいテレビ、おしゃれなテーブル、座り心地のよさそうなソファ、よくわからないが高価そうな絵画が壁に掛けられていて、ザ、金持ちの家って感じだ。


「ホントすげぇな」

「……座ってください」


 やはり、いつもより元気のない優等生がふかふかの本革ソファを指さす。


「あ、はい……」


 優等生はどこかに行ったかと思いきや、すぐ戻ってきた。

 救急箱を取りに行っていたみたいだ。


 俺の隣に座り、黙ったまま消毒液やガーゼを取り出す。

 なんのためらいもなく、まだ血がにじみ出ている俺の腕を自分に寄せて、手当てを始めてくれた。

 シュッ、と消毒液の冷たい感触が、じわりと傷に滲みる。


「……どうして」

「?」

「どうして、あんなことをしたんですか?」


 低く、押し殺した声。


「あんなこと?」

「ナイフを持っている相手に立ち向かったことです……」


 んなこと言われてもな……。


「守るためだ」


 短く答える。


「……」


 優等生はなにも言わずに包帯を巻き始めた。

 細くきれいな指先が過剰なほどにぐるぐると包帯を重ねていく。

 広いリビングに響くのは、布のこすれる音だけ。


「ありがとな」

「……」


 手当てをしてくれた腕を引こうとするが、俯いた優等生に両手で掴まれ、腕を放してくれない。


「?」


 優等生の顔を覗き込もうとした瞬間、ぽたりと左腕の包帯に一滴の水滴が落ち、すぐさま包帯に吸収される。


「……っ、…うぅ…………」


 優等生の手がかすかに震えているのが腕に伝わる。

 !? 泣いているのか?

 そう思った瞬間、優等生は堰を切ったように大粒の涙を流し始めた。

 その涙が包帯を濡らし、白い布に赤がじわりと滲んでいく。


「そんなに怖かったのか? 大丈夫だ、あの男はもう――」

「違いますっ!!」


 今までの沈黙が嘘だったかのように、優等生が声を張り上げる。


「っ…うぅ……。わ、わたしのっ、私のせいで……」


 ぽろぽろと涙をこぼしながら、それでも必死に言葉を絞り出す。


「……陰浦さんが……危険な目に遭って、それで、それで……」


 嗚咽が混じり、震える声で続けた。


「グスッ……こんな怪我までさせてしまって……。っ、ぅ、うわーん……」

「……」


 普段大人びた口調の優等生が子供みたいに泣きじゃくりながら、俺の肩に顔を埋めた。

 俺のシャツがじわりと濡れていく。



 * * *



「泣き止んだか?」


 どのくらい時間が経っただろうか? 黙ってハンカチ代わりになっていた俺は、肩の震えが収まってきた優等生に声をかけた。


「……」

「悪いけど、泣き止んだのなら腕を放してくれないか? ちょっと痺れてきた……」


 涙の跡を残したまま、優等生は俺の左腕にぎゅっと抱き着いていた。

 普段、岳に抱き着かれても痺れたことはない。だが、今回は違う。


 泣いている優等生の抱き着く両腕に力が入ることはわかる。

 わかるのだが、問題は両腕ではない。俺の腕を挟んでいる、優等生のとある大きな「もの」だ。

 優等生の体と両腕、「もの」によって俺の腕全体が圧迫され、もうほとんど感覚がない。


 普通の男子高校生なら、柔らかいとか、デカいとか、邪なことを考えてしまうのだろう。

 だが、痺れきってしまっている俺の腕には、そんな感触が全く伝わってこない。


「なぁ、離してくれないか?」

「……嫌です」


 ぎゅう、とさらに締め付けられる。

 痛い痛い痛い……。

 なんなら、姉貴の蹴りによる一瞬の痛みより、じわじわとくるこっちの痛みの方が地味に効く。


「頼む……限界だ」

「じゃあ、私のお願い、聞いてくれますか?」


 今すぐこの痛みから解放されるなら、なんでもいい……。


「なんだ?」

「私のこと、名前で呼んでください」


 肩に顔を埋めたまま、美緑がこもった声で言った。


「は?」

「さっき、電車で私のことを美緑って呼んでくれたじゃないですか」

「いや、まぁ、そうだが……」

「もう、さすがに覚えてもらえたんですよね?」

「そりゃ、あの電車男が名前を連呼するからな」

「じゃあ、呼んでください。でないと、離さないです」


 そう言って、優等生は俺の腕をより締め付けた。

 いてててて……。マジで痛い。


「……美緑。これでいいか?」

「はい!」


 目尻に涙を溜めたまま笑う。その笑顔がやたら眩しい。


「それじゃあ、離してくれるか?」

「もう一つ……お願いを聞いてくれますか?」


 言いにくそうに上目遣いで懇願してくる。


「はぁ……今度はなんだ?」

「頭を撫でてください」

「は?」


 またもや美緑がなにを言っているのかわからず聞き返した。


「なんでもお願いを聞いてくれるのですよね?」

「いや、なんでもとは言っていないぞ」

「いいじゃないですか。黄倉先輩だけズルいです」


 以前、頭を撫でた猫先輩に対して羨ましがる。


「この前言ってたじゃねーか。女って気軽に頭を触られたくな――」

「いいですよ、触って」


 不意に左腕が解放され、代わりに右手を美緑の両手に包まれた。


「私、陰浦さんになら、触られてもいいです。それに……」


 ほんの数秒の沈黙。

 美緑はいたずらっ子っぽい笑みを浮かべた。

 耳元に顔を寄せられ、微かな吐息がかかる。


「私、陰浦さんのこと、結構……好きですよ」


 顔を真っ赤にしてなにを言ってんだ?

 ……だけど、少し、ほんの少しだけ、不覚にもドキッとさせられてしまった。


 美緑は俺の膝にそっと頭を預けてくる。

 仕方なく美緑の頭を撫でた。

 美緑のサラサラで艶のある髪が俺の掌をくすぐり、撫でるたびにふわりといい香りが漂った。

 気づけば、美緑の顔を自然と認識できるようになっていた。


「本当だ。なんだか、陰浦さんに頭を撫でられると……安心、しま……す…………」


 その言葉の最後はかすれていた。

 ゆっくりと瞼が閉まり、呼吸が静かに整っていく。

 泣き疲れたのか、あるいは、ようやく安心できたのか。

 美緑は穏やかな寝息を立て始めた。


 美緑の寝顔を眺めながら、張り詰めていた緊張が自然とほどけていく。

 そして、俺も次第に意識が(かす)んでいった。

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