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時間は、数分前に遡る。
(やっぱり、瑞希ちゃんと一緒に学校に戻ればよかった……)
瑞希と別れ、一人で電車に乗った美緑は、後悔していた。
「ねぇねぇ、美緑ちゃーん。今日こそご飯に行こーよー」
美緑に声をかけたのは、電車の中でだけとはいえ、ここ数日、美緑への執着を見せていたストーカー男だった。
ストーカー男は、自分が美緑を付け回すような人間ではないと思っていた。
漫画やドラマのように、美緑との出会いこそが運命だと、本気で信じていた。
今までは、明が抑止力となって近づけなかったストーカー男は、明がいないことを確認した途端、美緑に言い寄っていた。
会話とは言えない、たった数回の応答だけで、ストーカー男は砕けた話し口調となり、一気に距離を縮めていた。
「い、いえ、ごめんなさい。母がご飯を作ってくれますので……」
「そう言わずにいいじゃーん。行こーよー。安心して、ご飯に行く『だけ』だから……ね?」
美緑に断られたストーカー男は、食い下がりながら美緑の肩に触れる。
男の視線はいやらしく、美緑の胸元を泳いでいた。
すると――。
ガンッ!!
と車両の貫通扉が乱暴に開かれる音がした。
「!!」
「!」
美緑とストーカー男に限らず、その車両に乗っている乗客全員が肩を跳ねさせ、音のした方向へと視線を向けた。
「あ、アイツは……」
「え? 陰浦さん……。どうして…?」
イキった不良だと乗客全員が思ったその高校生は、明だった。
そして、注目を浴びる中、明は一直線に美緑のもとへ歩き出した。
「ごめんな。……ちょっと遅れた」
美緑の前まで歩いてきた明の首筋には、ほんのりと汗がにじんでおり、呼吸を必死に抑えていた。
驚きで言葉を失う美緑の前に立ち、スカートの裾を握りしめて震える手を、明はそっと片手で取った。
そして、安心させるように、痛くない程度の力でギュッと握った。
手を握られた瞬間、美緑の中で張りつめていた恐怖が消え去り、ドクン、と自分の鼓動を感じるとともに、ある記憶がフラッシュバックした。
それは、とある休日。
明とたまたまショッピングモールで出会い、そのまま成り行きで買い物をしたときのことだった。
『私の身の危険に、颯爽と助けに来てくれる王子様みたいな男性が現れたら、私、絶対に好きになってしまいます』
いつかのインテリアショップの、変わり者の店員と共に共感したときのことを思い出した。
そして今、恐怖で動けなかった美緑の目には、明がまさにその王子様として映った。
「なんでこんなに注目を浴びているんだ? さすがに居心地が悪いから別の車両に行こうぜ」
「は、はい」
わざとらしくとぼけた明は、周囲の視線をものともせず、美緑の手を軽く引いて立たせ、そのまま手を繋いで別の車両に移動しようとした。
「……て。……まて!」
ストーカー男は明たちを引き留めようとしたが、明は無視して立ち去ろうとした。
「待てって言っているだろうが!!」
ストーカー男は、目の前で美緑と一緒にどこかへ移動する明に向かって、車両内に響き渡る怒声を上げた。
しかし、相手は年上で、まともに話すのはこれが初めてだというのに、明は敬語どころか、あからさまな敵意を向けた。
「なんだオッサン? 悪いけど、俺はコイツに用があるから、行っていいか?」
「ダメだ! 美緑ちゃんは僕と話していたんだ!!」
「へぇー、そうなのか?」
明に聞かれた美緑は、首を横に振って否定した。
「違うみたいだが?」
「そんなことはない!! 美緑ちゃーん、さっきまで仲良く話をしていたじゃないかぁ」
ストーカー男は気持ちの悪い笑みを浮かべて美緑を見るが、明が美緑を背中に隠した。
「はぁ……。なぁ、そろそろ諦めたらどうだ? アンタのやっていることはストーカーだぞ?」
明の言葉に、ストーカー男は顔を真っ赤にして激昂した。
「すっ、ストーカーだと!? ストーカーはお前だろ!! ぼ、僕の美緑ちゃんに付きまとうな!! 美緑ちゃんは僕と付き合っているんだ! 美緑ちゃんは僕と結婚するんだぁ!!」
「へぇー、そうなのか。あのストーカーと結婚するのか?」
「け、結婚しません!!」
公衆の面前で、世界一嬉しくないプロポーズを受けた美緑は、明の後ろでさっきより強く首を振って否定した。
「だよな。だって、俺と結婚するんだもんな?」
「「!?」」
明の爆弾発言でストーカー男と美緑が驚愕した。
「なんだよ、その顔は? そっちからプロポーズしてきたんだろ? 家事もスポーツも勉強もできる俺が将来有望だと……」
「た、確かに言いましたけど……あれは……」
明の言葉が事実であるだけに、美緑がたじたじになった。
「え、まさか冗談だったのか?」
明が胸を押さえた。
「あ、俺の心が傷ついた。あーあ、俺の純粋な心が……もう立ち直れる気がしないわ……」
「あ、いや、その……」
口ごもっている美緑をよそに、明はストーカー男を見据えた。
「冗談はともかく、悪いなオッサン。コイツは俺の……」
その言葉を聞いた瞬間、ストーカー男は怒りで震える手をスーツの内ポケットへ突っ込んだ。
胸の奥で鳴り続けていた警鐘が、一気にけたたましく鳴り響いた。
(! まずいっ!!)
次の瞬間、車内の蛍光灯を反射した銀色の光が、明の視界を走った。
取り出されたのは、刃渡り十二センチの果物ナイフだった。




