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俺は猛烈な不快感に襲われ、目を覚ます。
普段セットしないスマホのアラームが、部屋中に大音量で鳴り響いていた。
「クソッ、うっせーなぁ。誰だよ、アラームセットしたのは……」
……俺か。
スマホをベッドから離れた場所に置いておいたため、二度寝が許されず、仕方がなくベッドから立ち上がった。
ベッドから離れた勉強机兼ゲーミングデスクに向かい、今も鳴り響いているアラームを止めた。
「はぁ……ねみぃ」
制服に着替えてスマホとバッグを持ち、寝ぼけ眼を擦りながらリビングへ向かった。
「あら明、おはよう。今日は早いじゃない。天変地異でも起こるのかしら」
食卓で食後のコーヒーを堪能している母さんが、俺に失礼なことを言ってくる。
「まぁ、ちょっとな。用事があるんだ」
「あら、そうなの?」
俺も席につき、母さんが作ってくれていた朝食を食べ始める。
「ん? ゴリラ(姉貴)は?」
「もう、旦那さんの所に帰ったわよ」
「やっとか……。世界が平和になったな」
ようやくゴリラが飼育員のもとに帰った。
「そう言ってあげないの。あの子なりに思うところがあったのよ。きっと、たぶん……。それで、今日、お弁当はどうするの?」
「あー、今日は作ってる暇ないから、学食か購買でパンでも買うわ」
「あらそう」
陰浦家では昔から、「自分のことは自分でやる」がルールだ。
高校生になってからは小遣いも廃止され、交通費や昼飯代も全部自腹。
だから俺はバイトをしている。
「ごちそうさま」
「お粗末様」
食器を食器洗浄機に入れながら思う。
食洗機、マジで神だ。
「んじゃ、行ってくるわ」
「気を付けてね」
扉を開けると、朝日が玄関内に差し込んだ。
「あー、眩しい、眠い、ダルイ、めんどくさい……。はぁ……もう一回寝たい……」
家の前で泣き言を吐き、最寄り駅まで歩いて向かう。
◇ ◇ ◇
「……」
午前七時十八分。電車内。
美緑はいつもの車両、いつもの座席に座っていた。
今、彼女はとてつもなく不快な思いをしている。
それは、体調が悪いわけでも、気分が沈んでいるわけでもない。
原因は、昨日話しかけてきた気味の悪い男が、またジッと美緑を見つめているからだ。
平静を装うため、美緑は目を合わせず、スマホをただただいじり続けていた。
(違う車両に乗るべきでした……。学校近くの駅まで、まだ十五分もある……)
そう後悔しているうちに、男が立ち上がり、美緑に向かって歩く。
(ひっ……)
反射的に肩が跳ね、体が硬直する。
男は昨日と同じように、ねっとりとした笑みを浮かべながらゆっくり近づく。
「や、やぁ、美緑ちゃん」
「……」
近づいた気味の悪い男は美緑に話しかけた。
「あ、あのさ、今日こそ、ご、ごごはんに――」
そこに、「プシューッ」とドアの開く音が会話を断ち切った。
電車がいつの間にか駅に到着していた。
「!」
硬直していた体がほんの少し緩み、そのドアを見ると、ホームから人が次々と乗り込んでくる中、普段この時間帯に絶対に乗車しない人物がいた。
「よう、おはよう」
「陰浦さん……?」
見慣れた顔が視界に入った瞬間、美緑の胸が一気に軽くなった。
◇ ◇ ◇
電車のドアが開き、目の前の人間に続いて俺も乗車する。
乗車すると、その先には、不安と怯えの混じった顔をした優等生が座っていた。
「よう、おはよう」
「陰浦さん……? お、おはようございます」
優等生が怯えている理由はすぐにわかった。
昨日見かけたあの気色の悪い男が、優等生へ手を伸ばそうとしていた。
気色の悪い男と目が合った。
「ひぃぃ……」
気色の悪い男は怯えたように後ずさった。
……この目つきも、たまには役に立つもんだな。ちょっと複雑だけど……。
俺は優等生と気色の悪い男の間に入り、いつもの席に腰を下ろす。
「ど、どうしたのですか? 陰浦さん。今日はずいぶんと早いですね」
優等生の顔から不安が消え、安堵が滲む。
やっぱり、昨日の嫌な感じは当たったみたいだ。
「まぁな。今日はたまたま早く目が覚めてしまったからな」
「そうなのですね。ふふっ、たまたま、なのですね」
俺のついた嘘はすぐにバレたらしい。
気色の悪い男は、いつの間にか別の席に移動し、俺を睨んでいる。
「はぁ……それにしても今日は憂鬱だな」
俺は雰囲気を変えるため、苦手な話題作りをした。
「どうしてですか?」
「ほら、今日は体育があるだろ?」
「あ! 確かに……」
「「はぁ……」」
「うふふふ」
俺と優等生が同時にため息を吐き、互いの顔を見合わせて笑いあう。
ようやく、いつもの優等生に戻った。ほんの少し前までの怯えた顔が嘘みたいだ。
だが、いまだに気色の悪い男は俺を睨み続けていた。
優等生に近づけなかった苛立ちと、歪んだ執着の視線。
はぁ……やっぱり諦めないか……。
仕方ない、優等生には申し訳ないがちょっとだけ我慢してもらおう。
本当はこんな役、俺じゃないほうがよかったんだが……。
「なぁ」
「どうしました?」
「ちょっと、我慢しててくれ」
「えっ?」
驚く優等生を横目に、俺はゆっくり顔を近づけた。
「か、陰浦さん!? え、ちょっ、な、なにを?」
お互いの吐息が触れそうな距離。
手で優等生の頬に軽く触れると、優等生は反射的に目をつむり、頬を染めた。
気色の悪い男から見れば、朝っぱらから電車内という公衆の面前で、俺と優等生はキスをしようとしているように見えるだろう。
周囲の乗客からも視線を感じる。
だが、優等生の艶やかな唇の直前で顔を止める。
「よし、いいぞ」
「……へ?」
優等生から間の抜けた声が漏れる。
「悪い、まつ毛にゴミがついていた」
「……ゴミ?」
優等生は数秒間、ぽかんとしていた。
顔にゴミがついていたことよりも、キスされるかもしれないと思ってしまったことに気づき、優等生が茹蛸のように顔を真っ赤にした。
「も、もぉ~~っ!」
我に返った優等生が頬を膨らませ、俺をポコポコと叩いてくる。
「悪かったって。ほら、もう着いたから、行こう」
優等生の手首を軽く引く。
電車を降りる直前、気色の悪い男のいた場所を見ると、もうその姿はなかった。
これで諦めてくれればいいが……まだ様子見だな。




