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(陰浦さんにはあのように言いましたけど、どうしましょう。一人になると、なんだか心細いです……)
明を無理やり電車から下した美緑は、さっきまで明と一緒に座っていた席に一人で腰を下ろした。
車両には他の乗客がまばらに乗っている。
(……やっぱり見られている)
男の視線が肌に刺さるように感じる。
美緑は無意識のうちに、隣の席――さっきまで明がいた場所――にそっと手を置いた。
微かに残るぬくもりが手に伝わり、胸のざわめきが少しだけ静まる。
(大丈夫。次の停車駅まで、もう少しの辛抱……)
そう自分に言い聞かせた瞬間だった。
美緑の期待を裏切るように、遠くにいた男が立ち上がる。
視線を外さないまま、ゆっくりと美緑に近寄ってくる。
(っ…!! どうしよう、こっちに来る……怖いっ!!)
電車の揺れに合わせて、体全体がゆらりと揺れる。
その動きが不自然で、ゾッとするほど不気味だった。
「あ、ああああぁ、あの!」
ついに美緑の目の前に来た男は、どもりながら美緑に話しかけてきた。
「は、はい……。な、なにか御用ですか?」
緊張と恐怖で体を強張る美緑は、勇気を振り絞って返事をする。
「ああああ、あの時は、ありがとう、ごごごごございました。財布の中には家の鍵もクレカもキャッシュカードも入っていたんで……ほほほ本当に助かりました」
男は女性に慣れていないのか、緊張した様子で早口に感謝を告げる。
(ほ、ほら、やはり、お礼を言いたかっただけじゃないですか)
美緑はこの場所にはもういない明へ、ほら見たことかと少し思った。
だが、多少の恐怖心は隠しきれず、引きつった笑顔で対応する。
「い、いえ、たまたまですよ。お気になさらず」
「……」
「……」
男が美緑を見下ろし、美緑が男を見上げ、少しの間、二人の間に気まずい沈黙が流れた。
「あ、ああの! おおお御礼がしたいので、も、もしよかったら、ご、ごご飯に行きませんか? も、もちろん僕がおごりますので……」
男の視線が、美緑の顔から体へとゆっくり移っていく。
本人はさわやかに振る舞っているつもりなのだが、美緑には、その口元が不気味に歪んで見えた。
(ヒィィッ……!!)
異性からの視線にある程度は慣れている美緑でさえ、他の視線とは比べ物にならない嫌悪感を抱いてしまう。
明のぬくもりが残る座席に右手を置いたまま、左手で腕をさすった。
その仕草で胸元が強調され、男の口元がいやらしく歪んだ。
他の乗客はスマホを触っている者が多く、美緑たちの様子に気づいていない。
「あ、あの。どうでしょう?」
「……あ、えーっと……申し訳ございません。帰ったら母が夕ご飯を作ってくれていますので……。すみません、お気持ちだけ頂きます。ありがとうございます……」
美緑は震える声でなんとか断った。
ちょうどそのとき、電車が停車する。
「あ、すみません。私、この駅で降りますので……それでは失礼いたします」
男の横を通り抜けて電車から降りようとした瞬間。
「あ! ちょっと待ってください!」
男は手を伸ばし、美緑の腕を掴んだ。
「痛っ!」
「あ、すみません」
口では謝りながらも、腕を放そうとしない。
「あの! せめて、名前でも教えてくれませんか?」
「……み、美緑……です」
咄嗟に、自分の名前を名乗ってしまった。
我に返るより先に、美緑は手を振りほどき、電車を飛び出した。
ホームに出ると、ちょうどドアが閉まり、電車が動き出す。
その場に崩れ落ちるようにベンチに腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「はぁーー。怖かったぁー……」
肩で息をしながら胸を押さえ、震える体をゆっくり落ち着かせていった。
一方そのころ、電車の中では、閉まったドアの前に立つ男が小さく呟いた。
「美緑ちゃん、か……」
口の端を歪め、不気味な笑みを浮かべていた。




