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『まもなく~、三番線に電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください』
ホームを吹き抜ける澄んだ風が、俺の髪をさらりとなびかせる。
「陰浦さん? 眠たいのですか?」
「……ん? あぁ、風が気持ちよくてな。……眠ってしまいそうだ」
やっぱり、この時期の気候と風が一番気持ちいい。一生この風に当たりながら眠っていたい。
「陰浦さん、陰浦さん。もう電車が来るみたいですよ」
「……あと五時間……」
「それだと、真夜中になってしまいますよ。ほら、起きてください」
「ふぁーーあ。わかったよ……起きるよ」
定刻通り到着した電車に二人で乗り込み、いつもの席でたわいのない話をする。
「それにしても、まさか陰浦さんの成績が良かったとは思いませんでした」
「またその話か……。もういいよ」
「でも、本当に驚いたんですよ」
「そんなに俺がバカに見えたのか?」
「い、いえ、そういう訳ではなくて、毎日ずっと寝ていらっしゃるのにすごいなぁと、思いまして」
「あのなぁ、俺だって家ではちゃんと勉――!?」
「どうかしましたか?」
突然視線を逸らし、言葉を切った俺を不思議に思った優等生が首をかしげる。
「なぁ、最近、身の回りで困ったことはないか?」
「急にどうしたのですか?」
俺の唐突な質問に、優等生が再度首をかしげる。
「いや、なんとなくだ。それで、どうなんだ?」
「? いえ……特にはないですね」
「友達もか?」
「はい……。私のお友達からも、今のところそのような相談はないですね」
「そうか」
俺は、スクールバッグの陰からスマホを取り出し、そっと写真を撮る。
「?」
「なぁ、コイツに見覚えはあるか?」
「どなたですか?」
撮ったばかりの写真をズームし、優等生に見せる。
背が高く、細身で顔色が悪い。グレーのスーツに重たげなメガネをかけた、三十代か四十代くらいの男だ。
「このオッサンだ」
その男は、同じ車両の遠くから優等生を凝視し、時折、俺を睨んでいた。
「え? えーっと……うーん……」
優等生が俺のスマホを覗き込み、自分の記憶を探る。
「どうだ?」
「……あっ!」
「思い出したか?」
「はい。以前、この方が落としたお財布を拾って、お渡ししたことがありました」
優等生は少し可笑しそうに笑った。
「そのとき、泣くほど感謝されました。おそらくその方だと……」
ゴリラにボコられそうになったときとは違う種類の警鐘が、胸の奥で小さく鳴った。
財布を拾っただけで……か。
今まで優等生と一緒に帰っているときも、嫉妬や敵意、時には殺気じみた視線はいくらでも浴びてきた。
だが、今回のは違う。嫌な感じがする。
念のため忠告をしておいた方がいいだろうな。
「なぁ、これからは一人で帰るのはやめといたほうがいいと思うぞ」
「あの……もしかしてですけど、あの方が私を付け回す可能性があると、おっしゃりたいのですか?」
「さぁな。だけど、警戒しておくに越したことはないからな」
「うふふふ。考えすぎですよ、陰浦さん。差し詰め、お財布を拾ったお礼を言いたいとかですよ。えぇ、なんですかぁ? 私のことを心配してくださるのですかぁ?」
「ありえませんよぉ」という調子で笑いながら、意地の悪い笑みを浮かべ始めた。
「はぁ……勘違いしているところ悪いが、人の親切な忠告を聞かないやつがどうなろうと知ったこっちゃない」
冷たく突き放すが、優等生は変わらずニヤニヤしている。
「はいはい。陰浦さんってばー、ツンデレなんですからぁー。そこまで私を心配してくださるなんて、嬉しいです。あ、ほら、もう着きましたよ」
やはり取り合わない優等生が、背中を押して俺を下車させた。
振り返ると、電車のドアが「プシューッ」と音を立てて閉まり、ゆっくり発進していく。
あの男が座っていた座席の窓が俺の前を通り過ぎた。
窓越しに男と目が合った。次の瞬間、男は今にも人を殺しそうな目で俺を睨んでいた。
「はぁ……さて、どうしたもんか……」
俺は、加速して遠ざかる電車を眺めながら呟いた。




