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初星  作者: 音音


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6/7

暇人ではなく……

 



「みてみてぇ。おほしさまつかまえた!」



 そう言って、七歳年下の従姉妹が駆け寄ってきたのは、もう十年前のこと。





 従姉妹が、というより叔母家族がコロナが理由で夏に帰省しなくなったのは五年前からだ。


 でも、実際は年に一度の帰省だから最後に来たのは六年前の夏になる。




 そして、今。


 もうすぐ夏休みだが、まだ夏休みにはならない七月の頭。


 い草の座布団に座り、目の前に置かれた麦茶を眺めているのは、十年ぶりに再会した従姉妹だ。


 さっきから出した麦茶に手を伸ばそうとしては止めるのを繰り返している中学三年生の従姉妹は、学校に通えなくなってしまったらしい。




 ◇◇◇◇◇◇




 従姉妹が学校へ行くことができなくなった前日。

 担任から昼すぎに叔母に連絡があったという。


 叔母は、体調を崩したのか、ケガでもしたのかと学校からの電話に身構えたが、担任から伝えられたのは、給食の時間にいきなり泣き出してしまったという出来事だった。


 軽いパニックを起こしている様にも見えたといい、家庭でも様子を見てほしいとの言葉に頷き、何があったのか確認したが、担任にも、これといった心当たりがないという。


 担任が従姉妹に理由を確認しても首を振って、大丈夫です、何でもないです。と繰り返すだけ。



 給食の時間に、いきなり泣き出したことに周りは困惑したし、仲のいい友達が集まって給食そっちのけで従姉妹に寄り添ったが落ち着くことなく、一旦保健室へと移動させることにしたらしい。


 普段から仲良くしている友人の一人が保健室まで給食を運ぶのを手伝うことを申し出て、担任と一緒に保健室まで付き添ってくれたという担任からの説明を聞いて、従姉妹を心配して動いてくれる友人の存在が居た部分に関しては、叔母は話を聞いたときは安心したのだという。



 ただし、従姉妹は保健室に行くのを最初は拒否したらしい。


 食べ終わっていないのに付き合わせるのは無理、大丈夫。

 保健室には一人で行くといった内容を途切れ途切れになりながらも伝えてきたが、こんな状態で一人保健室に向かわせるのは危ないと、担任は急いで食べ終わらせ、付き添った友人も急いで食べ終えて従姉妹に保健室へと付き添うことを納得させたという。


 担任からは、従姉妹が慕っている親族が(やまい)で倒れたり不幸があったのだろうかと確認されたが、親である自分たちはともかく、従姉妹はコロナ禍があったことで親戚づきあいが浅くなっていて、

 直接交流があるのは父親の祖父母だけであり健在。


 そのような事実がないとなると、こんどは、可愛がっているペットが居るとは聞いたことがないが、親族やご近所て従姉妹が可愛がっているペットが旅立たれたりなどはと確認されたらしい。


 そちらに関しても叔母夫婦は記憶になく、前日までは楽しく学校生活を送っていたことから、担任共々泣き出した理由に関して手詰まりとなった。



 帰って様子を見てみるが、普段より暗いような気がするかなといった程度で、酷く落ち込んでいる様子はない。


 ただ、給食を食べていないから、お腹が空いたのだろう。

 ストックしているお菓子が普段食べる以上に減っていたこと。

 レンジで温めるだけのパスタも食べていたことに、妙に安堵したのだと、叔母が涙ながらに話してくれたことも母が教えてくれた。


 食欲があることが確認できると、安心するのは私も一緒なので、話を聞いたときには、私もホッとしてしまった。


 叔母は、給食の時間に泣き出したことを確認すべきか、確認するにしても嫌いなものがあって泣いたの? と冗談交じりに聞くべきか。

 それとも、その件には触れることなく、そっと見守るべきか。


 悩んだ末、叔母夫妻は夫婦で共有した後、見守る選択をしたらしい。



 その翌朝から、『怖い、気持ち悪い』と学校に通うことを従姉妹は拒否したそうだ。




 ◇◇◇◇◇◇




「怖い、気持ち悪い」



 そう言って学校に通うことを拒否した彼女を、叔母夫婦は気持ちが落ち着くまで学校を休むのも必要なことだと、今までとは違う娘の様子に戸惑いながらも受け入れた。



 学校で何かがあったのだろう。と叔母夫婦が考えるのは当然のこと。

 夫婦で話し合った末、同性である叔母が聞いたほうが良いだろうと決まり、理由を聞こうと試みたが首を横に振るばかり。

 首を振って答えるのを嫌がる様子に、話したくないなら話さなくても良いと(こた)えるしかなかった。


 (こた)えるしかなかったと見せかけて、叔母はそこで引き下がらなかったらしい。

 何も聞かず見守りたいけれど、色々と嫌な可能性が過ったため、身体に危害を加えられるようなことをされたのかといったことだけはA4の紙一枚に5段階評価のチェックリストにしてまとめて解答制限時間付きで確認したという。 


 ・教えられない

 ・された

 ・たぶんされた

 ・されたかも

 ・絶対されていない


 の五つのチェックで確認したらしい。

 お母さんから内容を聞いたとき、微妙に逃げ場がないといとも感じたし、5段階評価か? と疑問は過ぎったが、叔母が従姉妹の性格を考えて選んだ項目なのだろう。


 お母さんが言うには、どの項目を選ぶかより、質問を読んでから項目をチェックするまでの様子を見るほうが重要だったらしい。

 質問の全てに絶対されていないにチェックが付いていたこと、そして回答している様子に少しだけ安心したというから、従姉妹の為というよりも、叔母夫妻のためのチェックだったのだろう。



 ただ、その答えを受けて、ならば娘が学校に行けなくなった理由は何なのだろうと叔母夫婦は考え込むことになった。



 叔母は、教師の見えない所で何かがあったのかもしれないと、同じ小学校だった同級生の親を通して確認もしたが、友人とケンカしたとか、揉めていたという情報もなく、いきなり給食の時間に泣き出してしまって、周りは困惑していたということしかわからなかった。


 叔母は高校受験を控えて、不安定になっているのかしらと、と私のときはどうだったか聞いてきたが、

 我が母は『うちの子、繊細とは対極の性格よ』と返したらしい。


 失礼な。私にも繊細な部分はたくさんある。

 キノコは好きだし、美味しい。

 だが植物ではなく菌類であることを食べた後に思い出すくらいには繊細である。



 登校できず、叔母夫婦は共働きで日中は留守。

 もともと小学四年生の頃から長期休みは一人で留守番状態ではあったが、今の不安定な従姉妹を日中一人にしてしまうのが不安でしかたがない。

 だからといって、住宅ローンを考えると家計を維持するために、どちらかが仕事を辞めるのも、パートに切り替えるのも経済的に現実的な選択ではないという吐露に、私の母親が一言。


「うちに暇人(ひまじん)いるから、当分、こっちに来てみる?」と声をかけたのだという。


 一つ訂正させていただけるなら、暇人ではなく、浪人である。





 ◇◇◇◇◇◇




 従姉妹が使う部屋は、私が一人で使っている母屋と渡り廊下で繋がっている離れの部屋の一つだ。

 もっとも、離れといっても曾祖父の時代に帰省してきた家族を泊めるためにという理由で増築したので、浴室はあるものの、部屋は続きの和室三部屋が襖で仕切れらているだけである。


 母屋に一番近いのが今いる部屋。

 真ん中が私の寝室。

 一番奥が従姉妹の部屋となる。


 プライバシーを考えれば母屋に空いている鍵のかかる部屋があるのだから、そこを使えば良いと思うのだが、それは速攻で却下された。


 お母さん曰く

『年頃の娘さんを、風呂上がりにパンツ一丁で出歩くお父さんと鉢合わせしたらどうするの』である。


 どうするではなく、お父さんに風呂上りにパンツ一丁でふらふらするなと言い聞かせればいいのにという、私の意見は取り合ってもらえなかった。


 従姉妹のことをお願いね。と念を押して、わざとらしいくらいにバタバタと予定を繰り上げて出て行ったお母さんは自分が帰ってくるまでの間に私と従姉妹の交流を望んでいるのだろう。

 私も、それなりに常識をもっているので、部屋に案内して放置なんてことはしないし、従姉妹が使う部屋に冷蔵庫はないのだから、自分のテリトリーに招いてお茶ぐらい出す。




 ◇◇◇◇◇◇



 コクリと動く喉。

 伸ばそうとしては止まる手。

 額から頬に滲む汗。


 夏の日差しは痛いくらいで、風の通り道にあるこの部屋は、他の部屋と比べれば窓を開けて換気するだけで涼しいのだが、エアコンで冷やしてある部屋と比べれば暑いだろう。


 大きな荷物を手に新幹線と電車でやってきた従姉妹。

 駅まで迎えに行った私の母に付き添われ車で来たとはいえ夏である。

 車から、室内に入るまでの暑さも相当だ。


(喉。渇いてると思うんだけどなぁ)


 従姉妹を連れてきたお母さんは、お昼は新幹線の中で食べてきたという彼女の言葉に『あなただけなら何か適当に食べてちょうだいね』と言って出かけていった。

 お母さんが従姉妹の言葉をそのまま深く考えずに受け取ったのか、嘘だとわかっていて受け入れたのか、どちらなのかは、私にはちょっとわからなかった。


 もともと、友達と午後の無料配布の集まりに行く予定だったのを、従姉妹がお昼を済ませているのなら、友人からも了承を得られたので、早めに出てランチをしてから行くことに予定を変更したのだと話していたが、まさか、その為に従姉妹の言葉を受け入れたとも思えない。


 私に従姉妹を任せてルンルンと出かけようとするお母さんに、詐欺じゃないの? と言葉をかけたのだが、友達が何度も行っているし、タダでお菓子もらってくるだけで何も買ってくるつもりは無いわよぉ。夕飯の準備はお願いねと笑って出ていった。


 まぁ…… 今日が仕事が休みなだけだから、大丈夫か?

 仕事をしているわけでもなく、学生でも何でもない私としては、あまり強く出れない。


 大丈夫だと良いなぁ……。


「ごめんね~。この部屋暑くて」


 部屋に置いてある小型冷蔵庫から、缶のコーラとオレンジジュースを取り出してテーブルの上に置いたあと、缶の緑茶も念の為に置いた。


「麦茶温くなっちゃったね〜。こっちの缶のから好きなの選んで。開ける前に飲み口を、そこのウエットティッシュで拭いてね」


 そう言って、従姉妹のために用意した麦茶を、私は一気に飲む。

 最後に、カランと残った氷を口の中に含んで溶かしていく。

 氷を口の中に入れたまま口呼吸をすると、冷たい空気が肺にまで届いているような気がして気持ち良い。


 あきらかに、ホッとした表情の従姉妹の様子に、問題はここらへんなのかなぁ~ とぼんやりと思った。

 もしかすると、意外と人の機微に聡い母はなにか気がついて、従姉妹の新幹線の中でお昼を食べてきたという無理がある言葉を受け入れたのかもしれない。


 緑茶の缶を選んだあたり、麦茶が駄目だった理由じゃないと分かるからだ。

 それに、六年前までは、夏に訪れたときには麦茶が普通に出されていたし、飲んでいたと思う。


 私が小学生の時には、夏も冬も冷蔵庫には、いつも水出しの麦茶が入っていたのだから、冬はともかく夏の来客には麦茶を出していたはずである。

 まぁ、お茶といっても材料が違うんだから、緑茶は良いけど麦茶はダメって人も居るだろうし、昔は飲めたけど今はダメってこともあるだろうけど。


「中三だっけ? 最後に会った記憶が幼稚園のときだから、小さい頃のイメージが強くて、すごい違和感。大きくなったね〜」


 従姉妹は、私の言葉に困ったように目尻を下げた。


 彼女としても、今の状況は困惑してるんだろうなぁと手に取るように分かる。

 母親の実家とはいえ、コロナ禍で七年間交流が途絶えていたようなところへ、いきなり行ってこいと送り出されたのだから。


 私としても、久しぶり過ぎて、どう対応すれば良いのか悩むし、良く来ることを承諾したなぁと思う。

 私が同じ立場なら拒否してる。




 ◇◇◇◇◇◇




(もしかすると叔母夫婦の心配する様子に行くという選択肢しか選べなかったのかな)


 記憶の中の従姉妹を探すと、出てくるのは幼稚園の年長さんだか年中さんだった頃の彼女が最後だ。

 蛍をお星さま捕まえたと可愛らしい笑顔を浮かべ、喜びを伝えに来てくれたあと、手の中のお星さまを私に見せてくれようとして、()がいたことで笑顔一転ギャン泣きした印象が強い。


 叔母夫婦が帰省してくるのは毎年お盆を外した時期のため、その年以降の夏は、中学生でありながらサマーキャンプ参加だ部活の合宿だと留守にしていた時期に帰省が重なっていたのだと思う。

 今になると良く動けたなと思うぐらい、昔の私は活発だった。


 高校もコロナ禍になるまでは部活の合宿や遠征があって中学の時より忙しくしていた記憶がある。

 合宿などから戻ってくると置いてあるお土産のお菓子を見て思わずこぼした、お盆の時期に来てくれればいいのに。という私の言葉に『お盆は叔父さんのほうに顔を出さなきゃいけないから仕方ないのよ。色々あるの。年に一回親に顔を見せに来てくれてるんだもの、来てくれることに感謝しないと』とお母さんは苦笑いをしていた。


 確かに、簡単に行き来できない距離にいるのだから、祖父(じい)ちゃん祖母(ばあ)ちゃんも、娘である叔母さんと孫の従姉妹と会えるのは嬉しいだろう。

 コロナ禍が落ち着いてからの帰省がないのは、祖父(じい)ちゃん祖母(ばあ)ちゃんが亡くなってしまっていることもあるのだとおもう。


 めずらしく祖母(ばあ)ちゃんが起きてこなかった冬の日。

 寒くて布団から出たくないのかもね~。

 たまには祖父(じい)ちゃんが祖母(ばあ)ちゃんを起こしてあげればいいのにね。なんて家族で軽口をたたいて、母親の朝ご飯もあるし、もし体調悪いなら悪いで大変だからという言葉に、私が祖母(ばあ)ちゃんたちを起こしに行った。


 一応襖越しに声をかけてから開けてみれば、目を真っ赤にして泣いている祖父(じい)ちゃん。


 祖母(ばあ)ちゃんがいくら声かけても起きない、冷たい。

 こんなに冷たくちゃ寒いだろうとさすってるけど、ちっともあたたかくならないとぼろぼろと涙をこぼしながら伝えてくる祖父(じい)ちゃんは、いつもより小さく見えた。


 祖母(ばあ)ちゃんがぽっくり旅立った後、元気だけが取り柄のような祖父(じい)ちゃんが目に見えて弱っていって、半年後には祖母(ばあ)ちゃんを追うように旅立っていった。


 祖父()ちゃんは祖母ちゃん(嫁さん)にベタ惚れだったからなぁと祖父(じい)ちゃんの弟は葬儀の席でいつもの昔話を繰り返す。


 祖父(じい)ちゃんの弟は、自分たちの母親の兄が惚れた女のために連れ戻されても出奔を繰り返して一緒になった話を持ち出して、祖父()ちゃんは祖母ちゃん(嫁さん)にベタ惚れだったように、孫のお前たちも大恋愛するかもしれないなぁと笑うのがいつものセットだが、今日はぐずぐずと泣きながら語るものだから、所々何を言っているのかわからなかった。

 コロナ禍の影響が色濃くまだ残る時期だったので、葬儀は叔母だけが参加して叔父と従姉妹は参列を見送るしかなかったので、このときも従姉妹に会っていない。


 幼稚園児だった従姉妹が中学生となっているのを目にすると、私も年取ったなと実感する。

 もし、就職することなく大学に行っていれば、高校を卒業するまで手にしていた万能感を今も手にしていられたのだろうかと気になって、今度、進学を選んだ友人たちに聞いてみようと、心の中にメモをした。



「中三ってことは、受験仲間だね〜。今になって、私は受験って大変なものなんだって気がついたんだよね」


「そうなんですか?」


「高校卒業後に、一回就職したんだけど、美大に行きたくなって、去年の冬にボーナスもらってから会社辞めて。受かる自信ありまくりだったんだけど、なぜか落ちたから現在は浪人中」


 窓際に置かれた描きかけの油絵や、壁に貼られた水彩画。棚に詰め込まれた何冊ものスケッチブックやノート。筆や絵の具などの画材が置かれた部屋の中をぐるりと見回して、従姉妹はポツリと呟いた。

「プロの画家さんなんだと思ってました」 


「やった。そう見える? 美大に落ちたあと、気合入れようと思って、まずは形から入ってみたんだよね」

「かたちから……」

「そう。高校はさ、安全圏の私立を専願で行ったから受験勉強とかしないで合格貰えたのよ。

 なにかやりたいものも、なりたいものも決まってなかったから、別に普通科ならどこも一緒じゃん。と思って、通学ルートだけで選んだんだ。

 そこで受験って簡単みたいな成功体験が、無意識に私の中に刷り込まれちゃってたんだろうね。周りの無謀だという声には耳も貸さず会社辞めて受験して、落ちた。何人もの人間に、もっと準備してからのが良いって言ったじゃんってツッコミ入れられたわ」


「…… 後悔してるとか?」


「会社辞めて美大の受験したこと? 後悔してないかなぁ。なんでって聞かれても答えに困るけど」

「高校は?」

「うーん。そこは難しいかも。私にとって、高校の時の友達って特別なんだよね。選んだ高校否定したら、友達とも出逢えなかったわけじゃん。

 それを考えると、あの高校で良かったとも思うし、でも、もっと高校生らしい勉強をしてみたかったかなとも思う」

「え?」

 私の言葉に、従姉妹は思わず声を出してしまったらしく、口もとをおさえて、少しだけ俯いた。

 それに、私は気にしないでと笑う。


「たぶん、高校生になれば習うと思うんだけど、私、関数とか、微分・積分とかやった記憶がないんだよね。高校時代、中学の同級生と会って勉強の話になると、たいてい数学の話題が出るのよ。だけど私は知らない単語ばかりでさ〜。1年の時は数学は中学の復習だったし、3年の時は就職対策の数学だった」


「…… 関数。中学で習います」


「まじか。唐突に私が授業を聞いていなかった疑惑が出てきちゃった」


 従姉妹が、そこで笑うなりツッコミ入れてくれるのを期待したが、そんな反応もなく、そこで話題が途切れてしまった。


 ざー と夏の風が部屋の中に入って戻っていく。

 ここは新たな話題作りのためにと、私はコーラを飲むことを決める。


 選ばれなかった缶のオレンジジュースを冷蔵庫に戻し、毎回探すのが面倒だからと、冷蔵庫の中に常備している安全ピンを手に取った。


「小学生の時、こうやって飲まなかった?」


 安全ピンをプルタブがある缶の中心に刺す。

 飛び出すコーラを受け止めるべく、刺し空けた穴の上で口を開けて安全ピンを抜いた。

 そのまま口を缶につけて噴き出してくるコーラを飲んでいると、徐々に勢いが弱まり噴き出してこなくなったところで、口を離して従姉妹を見た。


 明らかに、ドン引きしていた。


 えーっ。7歳差でジェネレーションギャップ?

 同じ平成生まれなのに……

 っていうか、これ教えてくれたのお父さんだったな。

 ジェネレーションギャップ致し方無し。





 ◇◇◇◇◇◇




 コーラで腹は膨れない。

 従姉妹は早めにお昼を新幹線の中で食べてきたということになっているけれど、私はお昼を食べていないのでお腹が空くのは当たり前だし、従姉妹もお腹が空いているとみた。

 私のとは別の可愛らしい腹の虫が鳴いてるのが聞こえて、鳴るたびに従姉妹が身を縮めるような動きをする。


 従姉妹の存在に、お母さんがお昼を作ってくれると期待してたので、今から自分で料理をする気にもなれない。

 それに麦茶の件を考えると従姉妹が手作りを食べられない疑惑があるため、遠方から来た久し振りにきた従姉妹(来客)に最初に出す料理ではないのをわかってはいるが、私は堂々と従姉妹に確認することにした。


「ねぇ、カップ麺食べない?」




 ◇◇◇◇◇◇



「カップ麺ってさ、見ると買いたくなるよね」

 従姉妹から同意は返ってこないが、社会人で給料を稼いでいた大人の私と、お小遣い生活の中学生とでは感覚が違うのは当たり前である。


 私のカップ麺を食べようの誘いに、従姉妹から返事は返ってこなかったが、腹の虫からは同意の返事をいただいた。と思っている。


 こっちが、御当地カップ麺。

 これが大手メーカーカップ麺。

 ここはマイナーメーカーカップ麺。

 説明しながら衣装ケースの蓋を開ける。


 選ぼうとしない従姉妹に、私はハズレがない一回ぐらいは食べたことがあるだろう有名どころの醤油味とカレー味をチョイスした。

 え? 食べたことあるよね。

 叔母さんカップ麺とかにうるさい人だっけ?


「そっちの棚を開けると、ペットボトルの水あるから取ってもらってもいいかな。開いてる段ボールのはないと思うから、新しく開けちゃって良いよ」


「あ… はい」


 箱で買い溜めしている、災害時の備蓄品であり、部屋の外まで水を取りに行くのが面倒なときに利用する2リットルペットボトルの水を1本取ってもらう。

「あと、その棚の上の電気ケトルをペットボトルの水で軽くすすいでから、お湯を沸かして貰っても良い? コンセントはそこね。割り箸切らしてるからちょっと持ってくる。お湯が沸いたら二つとも注いどいて。ぎり足りると思う」




 ◇◇◇◇◇◇




「どっち食べる? 私はどっちも好きな味だから、どっちでも大丈夫だよ」


 個包装された割り箸を自分の分として一膳抜き取ると、残りの割り箸を袋ごと渡しながら、従姉妹に問いかける。


 差し出された割り箸に従姉妹の肩の力が抜けたように感じた。


「……醤油味で」

 選択を告げる言葉は呟きのような小さなものだけど、とてもはっきりと聞こえた。

「では、私はカレー味で。タイマーも鳴ったし、食べよう」

 以前は〆にご飯を投入してガッツリいっていたが、最近は残りはスープとして最後まで楽しむようになった。

 これが大人になったっていうことかな? と以前親友に言ったとき、親友は本能だと思うと真顔で答えて笑ってしまったことがある。

 その親友も、私と同じように私と食べるときはスープ派になった。


「これ、カップ麺のお供のブッセね。おすすめはレモン味だけど、好みで選んで。麺を食べ終わった後にスープと交互にいくと止まらなくなるの。あと、私のことは昔みたいにお姉ちゃんと呼んでね」


 戸惑ったように、カップ麺とブッセを見比べていた従姉妹が私を見る。

「お… お姉ちゃん? ですか?」


「是非とも、お姉ちゃんって呼んでもらいたい。お姉ちゃんって呼ばれるの好きだったんだよね。そして、私は親愛を込めて従姉妹ちゃんと呼ぶ」


「いとこちゃん?」


「だって、そう呼べるのって私だけだから特別感があっていいかなって。まぁ、弟も従姉妹ちゃんと呼べる権利はあるけど、大学行くのに家でてるから権利はあるけど呼べないし、呼ばせない。やっぱり私だけの特別な呼び方だわ。兄貴は昔から、従姉妹ちゃんのこと名前で呼んでるし ―― ん? この前、呼び捨てで名前出してた。今度呼び捨てにしてるの聞いたらシメとく? さん付けしろって?」


「呼び捨てで大丈夫です」

 今までで一番大きな声で返事が返ってきた。




 ◇◇◇◇◇◇




「いえーい。本日は唐揚げでーす」


 カップ麺を食べ終わったばかりだが、夕飯は待ったなしである。


 時間は止められない。

 なんと不便なことだろう。



 従姉妹ちゃんを連れて台所。

 コミュニケーションを取るなら、共同作業が一番。

 キッチンっていうより、台所というほうがしっくりするのが我が家のキッチンである。


「モモ肉より、ムネ肉のが安いので〜」


 リズムに乗せて話しながら冷蔵庫から肉を取り出す。


「叩く」

 ムネ肉を指差し、従姉妹ちゃんにも包丁を渡す。


「切れ味悪い包丁なら刃の方で。切れ味が良い包丁なら背の方で」


 皮のついている面上にして、毛が残っていないか確認したら、ダンダンダンと叩いてひっくり返してダンダンダン。

 従姉妹ちゃんも、私の動きを真似してダンダンダン。

 今度は横の部分を上にしてダンダンダン。ひっくり返してダンダンダン。


「オッケー。次は[[rb:二口 > ふたくち]]サイズに切り分けます」

「[[rb:二口 > ふたくち]]サイズ……」

 戸惑う従姉妹ちゃんに私は胸を張る。


「一口で終わる唐揚げって寂しいじゃん。二口目の美味しさがあるから。一口目で唐揚げを半分。御飯の上に残り半分の唐揚げをいったん置いて、ご飯を食べて、残りの唐揚げも口へ。

 とっても幸せを感じるマリアージュ。でも、どんなに手をかけてもモモ肉には適わない不思議。

 あのジューシーさはムネ肉には真似できない」

「わたし、サッパリした胸肉の唐揚げのが好きです」

「従姉妹ちゃん可愛い。でも、うちの可愛くない兄貴が胸唐揚げを出すとぶーぶー文句を言うので、後でタルタルも作ります」


 キッチンペーパーで余分な水分を拭き取って、切り分け終わった鳥のムネ肉をポリ袋に入れる。

 一つの袋に入りきらないのは毎回のこと。

 二つに分けた袋に目分量で調味料を入れていく。


「砂糖を少し。お酒は多め。醤油は少なめ。めんつゆ多め。チューブのニンニクにしょうがをびゅーんって出して、塩こしょう。そして揉み込む。こっちは従姉妹ちゃん頼んだ」

「どれくらい揉みこむんですか?」

「ん ――。30秒くらい? 適当でいいよぉ。混ざったなぁってところで袋の口縛って、こっちの袋に入れて冷蔵庫で冷やしとこう」

 私が差し出した、大きめのビニール袋に従姉妹ちゃんは頷く。

「冷蔵庫の中で漏れると大変ですよね」

「わかってるねぇ~」


 鶏肉を冷蔵庫に入れた流れで、玉子を五個取り出すのを見た従姉妹ちゃんが不思議そうに声をかけてくる。

「タルタルソース大量に作るんですか?」

 やっぱり共同作業って偉大。少しだけ従姉妹ちゃんが私に話しかけるハードルが下がった気がする。


「大量に作る。余ればサラダにリメイクしてみたいけど、いまだにできたことないんだよね。」

 鍋に水を張って玉子を茹で始める。どうせ潰すのだから黄身が偏っても構わないだろう。

 タイマーをセットして、茹で上がるまでに洗い物を片付ける。

 セットしたタイマーは固ゆで玉子を目指している。

 ゆで卵として食べるなら半熟が好きだし、目玉焼きもすぐに食べるなら半熟派だ。

 だがしかし! タルタルソースにするなら断然固ゆで派である。

 このこだわりは譲れないので、誰の意見も聞く気はない。

 水切りヨーグルトは朝のうちに仕込んであるので、タルタルソース作りの準備に死角はない。




 ◇◇◇◇◇◇




 たかが屋根一枚。されど屋根一枚。

 外に出ると、むわりとした夏の空気に身体が包まれる。

 ちょっとだけ、くらりとした感覚に思わず玄関の柱に手をついた。


 タルタルソースに使う胡瓜を収穫しに、従姉妹ちゃんと外に出る。


 タルタルソースに使うのはピクルスだというご意見はごもっとも。しかし、よく考えてほしい。この日本にピクルスを常備している家庭がどの程度あるのかを。

 夏野菜がとれるのなら、要は酢漬けでしょ? 自家製ピクルス作ればいいというご意見もごもっとも。

 ただ、残念ながら、そこまでの熱意が私にはない。正直めんどくさいの一言である。


「すごいですね」

 一番手前に枝豆。胡瓜と茄子と一番奥に野生化しつつあるミニトマトが小さなジャングルのように広がる敷地内の畑。

 従姉妹ちゃんの目が捉えているのは、好き勝手に伸びている奥のミニトマトの集団だ。

 放置されているようなその場所は、ミニトマトを三年前に植えたあと新しく苗を植えていないのに毎年勢いよく育ち実を結んでいる。

 越冬しているのか、収穫しきれずにこぼれたミニトマトが新しく芽吹いているのかはわからない。

 去年は経済的だと喜んでいたが、今年はかなり広がってきているので来年のことを考えると、実がならなくなったら刈り取ってとお父さんと兄貴にお母さんから指示が出ていたが、来年もこのままな気がする。


「茄子といえばさぁ」

 私も小学生の頃は合宿とかもなかったので、従姉妹ちゃんが来たときに居たので、それなりに思い出話がある。とはいっても三つだけだが。そこそこ懐いてくれていた記憶があるのにしっかりと思い出せるのが三つだけというのも不思議。


「茄子を育てるようになったのって、従姉妹ちゃんが理由なんだよね」

「わたしですか?」

 戸惑ったように、自分を指さす従姉妹ちゃんの仕草が可愛らしくて、思わず笑みが漏れる。


「従姉妹ちゃんが、たぶん三歳か四歳ぐらいの時かな? 祖母(ばあ)ちゃんと、従姉妹ちゃんの二人で散歩に行ったのよ。

 弟の同級生のばあちゃんとうちの祖母(ばあ)ちゃんが仲が良いから、散歩コースの中でお茶してきてたみたいなんだけど」

 思い出し笑いをする私を、不安そうにみる従姉妹ちゃん。 

「帰ってきた時、従姉妹ちゃん生のナスをしっかりと握って持ってたの。

 しっかりと齧ったあともあって、叔母さん、従姉妹ちゃんのお母さんが、どこの家の茄子!? って凄い慌てちゃって」

 けらけらと笑う私に、困惑する従姉妹ちゃん。


「小学校の時に、野菜育てた記憶ない?

 夏休みには家に持って帰って引き続き育てるやつ。

 弟はピーマン育ててて、祖母(ばあ)ちゃんがお茶してきた友達のとこの孫、弟の同級生は茄子を育ててたのよ。

 で、玄関前で育ててたらしいんだけど、それを見た瞬間もぎってためらいなく齧ったんだって」 

 両の手で従姉妹ちゃんは顔を覆う。

 耳がほんのり赤く見えるのは夏の日差しのせいではないだろう。


「それで弟の友達が、オレが育てた茄子はすごいと弟に自慢したらしいのよね。

 なにがすごいんだって話なんだけど、弟は悔しかったらしくて、翌年から茄子を畑で育てるって言って聞かなかったのよね。

 そこ、ピーマンで張り合うんじゃないんだ。とは思ったけど。

 まぁ、茄子の世話してたの、なぜか兄貴だけどね。


 ――あ、胡瓜だけじゃなく、茄子とミニトマトも収穫していこう。枝豆も、あっちの角の方のは食べ頃だから採っていこう」


 父親が夏の間の晩酌のお供にできるように、わざわざ畝ごとに時期をずらして育てている枝豆は、大豆になることなく酒飲みたちによって夏の間にすべて消費されてしまう。


 収穫時期を迎えた熟れたミニトマトが予想以上に多く、従姉妹ちゃんという人手もあったことから、想定以上に多く収穫できた。


 ザルやボウルに採っていれば一杯になったところで手を止めたのだろうが、持ってきたザルには茄子と胡瓜を最初に収穫して玄関の中だ。


 枝豆も一株抜いたあと根の部分を鎌で切り落として玄関へ。

 新しいザルを台所まで取りに行くのも面倒だと、玄関に小さく畳んでいくつも置いてある、近所の人にお裾分けするとき使う取っ手付きのビニール袋にミニトマトを収穫していたこともあって、止めどきが分からなくなってしまった。


 まぁ、ミニトマトも熟れて食べられずに落ちるより、私や従姉妹ちゃんに食べられたほうが嬉しいだろう。


 それにしても、多く採れすぎた。

「これ、どうしようか?」




 ◇◇◇◇◇◇




 ごはん

 揚げ茄子と油揚げの味噌汁

 鳥胸肉の唐揚げ

 サラダとして山盛りのミニトマト

 タルタルソース

 枝豆

 料理名が未だにわからない、揚げた茄子をポン酢に浸して上からすりおろした生姜と刻んだ大葉を散らしたもの。


 夕飯のメニューとしては十分過ぎるくらいじゃないだろうか。

 茄子は唐揚げを揚げ終った後に揚げている。そこが私の拘りである。

 まっさらな油で揚げるよりも、いろいろと揚げた油で揚げた方が茄子が美味しいような気がするからだ。


「あー。甘酢忘れてた」


「甘酢ですか?」

 従姉妹ちゃんに返事をしながら、冷蔵庫からポン酢を取り出す。

「うん。兄貴が使う」

「お兄さんだけ?」

「だいたいそうかなぁ…… 味変したくなると私とかお父さんも使うけど、基本兄貴だよね。甘酢につけてタルタルかけて南蛮風にして食べてる」

「えっ…… そうなんですね」

「最初に胸唐揚げ出したときにさ、マヨネーズを持ってきてかけて食べ始めたんだよね。

 それから、毎回マヨネーズをかけて食べるから、こう、作り手側としてのプライドが刺激されるじゃん。

 マヨネーズは正義だと思うよ。そこに七味かけたら最高だと思うけど、それとこれとは気分的に別じゃん。だから南蛮風にできるようにして最初から出すことにした。タルタルは私も食べたいし」


 レンジOKの計量カップにポン酢をどぼどぼと注いで、砂糖をいれてレンチンする。

「甘酢?」

 とまどった従姉妹ちゃんの声に親指を立てて返す。

「これで、だいたいいける。ぶっちゃけ、お酢と醤油の分量を覚えなくていいから楽だよ。軽くレンチンして砂糖を溶かした後に、お酢かレモン汁を少し追加でワンランク上の味を目指せる」



「あー だから業務用……」


 従姉妹ちゃんの小さな呟きが聞こえた。




 ◇◇◇◇◇◇ 




「手伝うてくれて、ありがとうね」

「いえ、お姉ちゃんと料理するの楽しかったので」

「お父さんが珍しく、デザート買ってきてくれたけん、ご飯の後に食べましょう」

「珍しゅうは余計じゃろう」

本当(ほんま)のことやない。

 普段から月に二度三度と()うてきてくれるなら、珍しゅうなんて言うたりせんよ。

 それにあんみつじゃのうて、若い子はケーキとかのが喜ぶに決まっとるやない。

 あんみつはうちの好きなものじゃろう。もう、ほんとワンパターンなんやけん」

「あの! わたしあんみつ好きです」

 従姉妹ちゃんのフォローに、両親が可愛いなぁと相好を崩す。

 ここにもかわいい娘がいるのを忘れないでね~ と心の中で呼びかけておく。


 すべての料理を運び終わった後、私と従姉妹ちゃんのご飯やお味噌汁、一人分ずつ小鉢に取り分けた揚げ茄子をポン酢に浸したものや枝豆をお盆にのせて私が運び、すぐ横を従姉妹ちゃんが唐揚げとミニトマト、アルミカップにタルタルソースを入れてのせた皿を二人分、私と従姉妹ちゃんの分を運んでくる。

 普段は全てを大皿よそって適当に食べてもらうのだが、今日は一人分ごとに皿に盛った。


 余った分は別に皿によそって足りない分はそこからとってもらう形にした。

 普段と違うテーブルの上の食器の並びも、事前に従姉妹ちゃんのことは任せてほしいとメッセージを送っておいたこともあって、両親はなにか感じるものがあったのか触れることはなかったが、メッセージを送っていたにも関わらず兄貴がガッツリ来た。


「なんか、今日の飯は定食屋みたいやな」

 一人分ずつ盛っているのが定食みたいに感じたようだ。褒め言葉として受け取っておこう。


「大皿に全部よそったら、従姉妹ちゃんが遠慮して食べられないうちに兄貴が全部たべちゃううじゃん」

「そんなわけないじゃろ」

「木の芽の天ぷら」 

 食べようと思って箸を伸ばしたら、すでに無くなっていた悔しさを忘れていない。


「あれは ―― まじですまん」

 翌日仕事に出かける前に兄貴は木の芽を採ってきていた。夕飯にお母さんに揚げてもらうつもりでいたようだが、夕飯前に台所で兄貴がお母さんの指導のもと揚げていたのは家族内の笑い話である。



 従姉妹ちゃんは終始控えめに笑って会話に相づちをうっていた。

 食事もしっかりと食べることができていたが、大皿に手を伸ばすことはなかった。





 ◇◇◇◇◇◇




 食器洗いはお母さんにまかせて、私は従姉妹ちゃんを連れて外に出た。

 少し離れた後ろには、お母さんに言われてボディーガードのつもりでいる兄貴がスマホを見ながらぶらぶらとついてくる。



「蛍を見に行こう」


 左手には懐中電灯。

 右手は従姉妹ちゃんと手を繋ぐ。

 恥ずかしがっていたけれど、手を繋ぐことに抵抗は無いようだ。


 夜に頬を撫でていく風は、昼間とは違い涼しく気持ちよい。

 新月が近いから月明かりは乏しい。

 夜空を見上げれば、輝く星がいくつも見えるが、夏の大三角形ぐらいしか星座のことはわからない。


「前にも一度、一緒に蛍を見に行ったの覚えてる?」

「………… 覚えていないです」


 子供の時は外灯に虫が沢山寄ってきていたが、今は街灯の電球がLEDになったことでほとんど集まってこない。


 弟が中学に上がるまでは早朝に外灯の下をカブトムシやクワガタがいないかを見て回ったりしたことを思い出す。

 兄貴は未だに癖が抜けていないのか、それともカブトムシやクワガタを従姉妹ちゃんが喜ぶと思っているのか、外灯のところで立ち止まって上と下を確認して進んでくる。


「お星様つかまえたーって。覚えてない? 幼稚園の頃だもんね。覚えてないかぁ。めちゃくちゃ可愛かったよ」

「えっ…… と…… ありがとうございます」

 なんて返したら良いのか悩んでのしただろうとわかる従姉妹ちゃんの返事に、どーいたしまして。と答える。ギャン泣きした顔もセットで可愛かったよという言葉は飲み込んだ。


 家から少し歩いた用水路。

 蛍を見るには時期としては少し遅いが、数は少ないがまだ飛んでいるはずである。


 外灯から届く明かりより、近くの民家から漏れ出る明かりのが近い。

 真っ暗というわけにはいかないが、蛍を探すには十分な暗さがある。

 懐中電灯の明かりを消した。


 微かな風で揺れる木々や草が擦れ合う音の隙間から聞こえる虫の鳴き声。

 流れる水の音に合わせるように響く蛙の鳴き声。

 口を開くことなく、静かに動かないでいれば、虫と蛙の鳴き声が増えて大きくなる。



「あ」

 思わず声を出した従姉妹ちゃんにニンマリする。

 飛んでいる蛍は数匹。

 それでも、蛍が飛んでいる姿は綺麗だ。


「蛍は亡くなった人の魂って知ってる?」

「京都の宇治川の話ですよね」


「え?」

「え? ち、違うんですか?」

「いや、なんで知ってるのかなって。祖母(ばあ)ちゃんに子供のころ蛍は亡くなった人の魂だから粗末に扱うなって言われたの思い出して、最近調べて宇治川の話を知ったから」

「修学旅行が京都で、宇治川周辺を事前学習で担当したんです」

「へぇー。凄いね」

 今の中学生って、そんなことするんだ。

 それとも数学と一緒で私が記憶してないだけかな?

 よく考えれば他の班が事前学習に何をしたか覚えていない。


「私も中学で京都に修学旅行行ったけど、事前学習でしたの事件マップ作りだった。他の班は、もしかして従姉妹ちゃんみたいに歴史とかそういうこと調べたのかもだけど覚えてないからなぁ」

 驚いたように従姉妹ちゃんが私の顔を見た気がした。

「事件マップ? 自由行動の防犯のためですか?

 わたしたちのときは京都での自由行動がなかったので、注意喚起なかったんですけど……」

 既に六月上旬に修学旅行を済ませている従姉妹ちゃんは、なにか物騒な事件でもあったのだろうかと顔を曇らせる。

 それを考えると、学校に行けなくなる前に修学旅行が済んでて良かったなと思う。

 良いことも嫌なことも、修学旅行の思い出は忘れられない。


「現実のじゃなくて、小説の事件。京都と言えば、ミステリーの女王ってことになって、事件が起きた現場マップをみんなで作った。

 ネタバレ防止の理由から被害者と犯人の名前は書けないから、事件現場の場所に作品名と被害者の性別と年齢を書く感じ」

「…… すごいですね」

「ミステリー好きの子が班の中に居て、その内容に決まったんだけど、面白かったよ。一枚の模造紙に最終的にはまとめて展示したんだけど、最後は誰が持ち帰ったんだろう? そこは記憶にないなぁ。学校に残したのか、ミステリー好きの子が持ち帰ったのか……

 でも、学校に残っていて、毎年、過去の事前学習の一つとして展示されてたら面白いよね」


「そうですね」

 少し間を置いて、力ない笑顔で従姉妹ちゃんは答えた。



「そろそろ帰ろうや」


 少しだけ離れた場所にいる兄貴の声かけに、クイッと繋いだままの従姉妹ちゃんの手を引いた。

「行こっか」

「はい。―― 高校は修学旅行どこに行かれたんですか?」

 従姉妹ちゃんが話を繋いでくれたことに嬉しくなる。

「堅い堅い。もっと友達と話すときみたいに砕けた感じでいいよ」

「えっ…と、高校の修学旅行はどこ行ったの?」

 律儀に言い直す従姉妹ちゃんが可愛い。

「わたしは中学の時はユニバと京都で… だった… ん… だけど、小学校の時は、日光でし… 日光だった」

 一生懸命砕けた口調を目指す従姉妹ちゃんは所々たどたどしくなる。

「日光っていったら東照宮? あとはどこ行ったの?」

「滝とか…… 日光江戸村です」

「いいなぁ。行ったことないんだよね。後で写真とか見せて」

「はい。あっと、うん。ママに頼めばスマホに送ってくれる…… です?」

 砕けた口調を意識するあまりに、語尾がぐだぐだになっている従姉妹ちゃん。二歩先を歩いている兄貴の肩が小刻みに揺れる。

 すぐ前を歩いていたならふくらはぎを蹴っていた所である。


「私の時はコロナ禍ってこともあって、いくつかのコースに分かれて近隣の県にいく形で実施されたの。それで、私はアンパンマンコースだった」

「はい?」

 従姉妹ちゃんが足を止めたので、先に進もうとしていた従姉妹ちゃんと繋いでいた私の手がくいっと後ろに引かれ足を止める。

「あ、ごめんなさい」

 足下を照らす懐中電灯で従姉妹ちゃんが大きく一歩を踏み出したのが見え、私も再び歩き始める。

 前を照らした懐中電灯の明かりは、大きく揺れる兄貴の肩をしっかりと私に確認させてくれた。


「えっと…… 高校ですよね?」

 聞き間違いと思ったのか、聞き間違いだと思いたいのか、従姉妹ちゃんが確認してくる。

「高知県にアンパンマンの作者の記念館があるのって知ってる?」

「知らないです。横浜のミュージアムには家族で幼稚園の時に遊びに行ったことは覚えています。写真もアルバムに沢山あったので……」

「知らないかぁ。

 うん。高知県に記念館とミュージアムがあるのね。そことアンパンマンのトロッコ列車が旅行の最初に組み込まれているからアンパンマンコース。永遠のヒーローだよね。めちゃくちゃ盛り上がったし、写真撮りまくった。後で見せるね。で、そのあと岡山城を見て二日目が姫路城からの淡路島で泊まって、三日目に勇者パーティー組んで軽めの冒険したあと美術館寄って帰ってきたって感じ。ほとんど移動時間って感じだけどめちゃくちゃ楽しかったよ」

「トロッコ…… 勇者……」

「勇者と忍者満喫コースは三日間淡路島だし」

「満喫コース……」

「あとはユニバコースで、ここが一番希望者が多かったよね二日間ユニバだから。部活で全日程参加ができない人も途中参加や日帰りとかで参加しやすいし、一泊で参加して、二日目は宿泊先から大会会場入りとかも居たって聞いたよ」

 私の言葉に従姉妹ちゃんは更に戸惑った様子を見せる。

「部活で修学旅行行けない……えぇぇ……」

「公式戦は日程を学校都合で変えられないからね」

「高校生って、大変なんですね……。

 コースって、先生方が決めたんですか?」

「生徒会を中心に立候補した修学旅行先決定員会で生徒が決めたよ。

 前の年は修学旅行実施できなかったから、三年生も同じ年に行くことになるし、遠くに行けないなら旅行先を決めさせてくれって、生徒会が理事長に直談判したんだって」


「すごいですね……じゃなくて、すごい」

 砕けた口調で話すことを思い出して、従姉妹ちゃんは言い直した。

 ちょうど家の敷地内に入った。

 窓から漏れ出る明かりと、点けられている玄関灯に、足元を照らす明かりはもう良いかと懐中電灯を消した。


「そういえば、夏の大三角形って星座で良いんだよね?」

 私は空を指差した。


「お姉ちゃん…… 夏の大三角は星座じゃないです」


「まじか」





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