表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
6/10

第6話 風の兆し

翌朝。

 七夕まで、あと二日。

 窓を開けた瞬間、湿った風が部屋に流れ込んだ。

 林田凛は、その風の冷たさに思わず目を細める。

 昨日までとは違う――空の匂いが変わっていた。

 どこか遠くから、見えない何かが近づいてくるような気配。


 机の上には、一冊のノートが開かれていた。

 ページの端がふわりと浮き、風がめくったように一枚だけ裏返る。

 白いページの中央に、細い線で文字が滲んでいた。

 《また風が吹いたら、そこにいる》

 昴の筆跡。

 まるで、昨夜夢の中で聞いた声が、そのまま紙に残ったみたいだった。


   ◇ ◇ ◇


 学校では、七夕の飾り付けが少しずつ形を成していた。

 笹の数が増え、短冊の色が増え、廊下を歩くたびに風の音が変わる。

 「おはよ、リンリン!」

 森永が弾む声で駆け寄ってくる。

 「聞いてよ、昨日の夜、うちのベランダの短冊が勝手に鳴ったの! 風も吹いてないのに!」

 「……本当に?」

 「うん、まるで誰かが触ったみたいに。お母さん、びっくりしてた」

 凛は小さく息をのむ。

 昨日の観測所で見た光。

 それが、この風を伝って街まで降りてきたのかもしれない。


 日浦も加わり、三人で笹を運ぶ。

 「なんかさ、この学校、風通し良すぎない? ずっと吹いてる気がする」

 「七夕が近いからかな」

 凛は微笑む。

 でも、その笑みの奥に、ほんの少しの不安が混じっていた。

 ――風が強くなるたびに、昴の声が遠ざかる気がする。


   ◇ ◇ ◇


 放課後。

 昴の席に座り、凛はそっとノートを開いた。

 ページの端に、うっすらと新しい文字が浮かんでいた。

 《願いの風は、まだ途中》

 ペン跡ではない。

 まるで光が文字の形をとっているようだった。

 「昴……」

 呼びかけても、返事はない。

 けれど、窓の外で風鈴がひとつ鳴る。

 その音が、まるで彼の返事のように感じられた。


 凛はペンを取り、ノートの隣に小さく書き足した。

 > 「どこにいるの?」

 書いた瞬間、紙が淡く光る。

 だが、その答えは現れない。

 ただ、風がふわりと吹き抜けた。

 髪を揺らし、ページを一枚だけめくって去っていく。

 その動きが、まるで誰かの手のようで――

 凛は思わず胸に手を当てた。


   ◇ ◇ ◇


 帰り道。

 商店街の笹が夕陽を受けて揺れている。

 短冊の音が風に混ざり、耳の奥でかすかに重なる。

 その中に、聞き覚えのある声が混ざった気がした。

 ――凛。

 ほんの一瞬。

 足が止まる。

 周囲には誰もいない。

ただ風だけが、前から後ろへと抜けていった。

 「……幻聴、じゃないよね」

 凛は自分に言い聞かせるように呟く。

 風の中に、あの透明な温度を感じた気がした。

 ――まだ、いる。

 その確信だけが、彼女を前へと歩かせた。


   ◇ ◇ ◇


 夜。

 机の上のノートが、静かに開かれていた。

 ページの隅に、見覚えのない印がある。

 小さな星のマーク。

 その印が風を受けてかすかに光った瞬間、

 窓の外で短冊が一斉に鳴った。

 まるで、街全体が呼吸を合わせたかのように。

 凛は立ち上がり、窓を開けた。

 風が頬を撫で、髪をなで、部屋の中を巡る。

 その風の中で、確かに誰かが囁いた。


 ――もうすぐ、願いが動く。


 声は優しく、遠くから届いた。

 凛は目を閉じて、その言葉を胸の奥に刻んだ。

 まだ終わっていない。

 彼の願いも、自分の願いも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ