第114話 箱庭の聖母1
■金猿明星国 ムルグ・アイ市中■
テオドールに案内されたのは、市中にある星辰教会の建物だった。
周囲の建物と比べても各段に規模が大きく、大理石が使われた美しい白亜の建物はわかりやすい権力の象徴とも言えた。
「趣味、悪」
「あっはっは、同感ですねぇ。教義から言えば干し煉瓦のあばら屋で十分なんですが。ま、見栄の産物ですね」
聞こえよがしに悪態をつく鍵音に通りすがる信者達が剣呑な視線を向けるものの、テオドールが下にも置かない態度で接する様子にどれも熱を失って次々と逸れていった。
(枢機卿と星母‥‥嘘じゃ、なさそう)
顔パスで建物の奥深くへ入れてしまう事や、すれ違う信者達が軒並み深々と頭を下げて礼を取る事からも、彼らが自称した地位は伊達ではないらしい、と鍵音は見当をつける。
やがて、建物のかなり奥まった貴賓室のような一室に鍵音達は通された。
満遍なく魔力が通されているのは、部屋の防護だけでなく、恐らく防諜の為なのだろう。
それからしばらく、克也が目を覚ますまで鍵音には軽食と茶が振る舞われた。
古城で家妖精達が出す茶とは異なるものの、質も良く心配りもなされたもてなしは、クサクサしていた鍵音の溜飲を幾ばくかは下げさせるだけの効果があった。
克也が目を覚ましたのは、結局翌日の昼過ぎだった。
「あれ‥‥僕、何でベッドに‥‥」
『脈拍/血圧共に良好。克也、おはよう』
「おはよう‥‥あれ、ベルゼ声変えた?」
『変えてない』
『変えてません、操縦者。それは本機ではありませんので』
思念波のサラウンドを受けて一瞬克也の思考がフリーズする。
片方は、間違えるはずもない。“人機一体“の相棒であるベルゼだ。
だが、もう片方の思念波には覚えがなかった。ゆっくり身を起こし、ベッドの側の椅子に座った見知らぬ法衣の人影に気付く。恐らくこの人物が先程の思念波の主だろう。
その対面に、白銀の少女がいた。
目が合って、人形のような整った容貌が柔らかな笑みを湛える。
「かっくん、おはよう。色々聞きたい事、あると思うけど‥‥」
「きぃが来てくれたのか‥‥助かったよ」
自分の姿を認めて緊張を緩める克也の姿に、何故か胸を張って勝ち誇るようなドヤ顔をする鍵音。その様子に、対面の法衣の人影が無言のままムッとするのがわかった。
法衣の人影――星母は座っていた身を乗り出すと、その白魚のような手で克也の手を取り、法衣の上に押し抱いた。法衣越しに筆舌し難い柔らかさを感じて克也が硬直する。
『運命』
「駄肉、帰れ」
『言語野と大脳辺縁系に障害があるようです。速やかに隔離を』
ヴェール越しに満面の笑みを浮かべて――いる気配がする――星母は克也の手をしっかり握り締める。
『‥‥再会/望外。これだけ、待った甲斐はある』
待っていたのだ、と彼女は機械じみた無機質な思念波で呟く。その余りに切々とした様子に、外野で騒いでいた鍵音とベルゼも押し黙ってしまう。
「あれあれ、何かちょっと見ない間に変な事になってるなぁ」
そんな空気を破ったのは、外から入室してきたテオドールだった。
いかにも年齢相応の気さくな態度と、彼の纏う装飾だらけの重そうな法衣が全くちぐはぐで、何かの仮装をしているようにしか見えない。
テオドールは呼吸するように滑らかな所作で克也に祝福の聖印を切ると、ベッドの枕元に置かれていた銀の呼び鈴を高らかに鳴らした。
「まずは軽く摘みながら情報交換にしません? 克也さんも私らが誰だか気になってるでしょ」
おかしな人物ばかりだが、気を失った自分を鍵音に引き合わせてくれているのは事実だ。差し迫った危険はないのだろう、と克也は判断した。
「お願いします。僕もしばらくまともに食事してないので‥‥」
善は早いとばかりに現れた侍従達によって食事が運び込まれ、克也達はしばらく談笑しながら食事会のような交流を計ることとなった。
食後のお茶もある程度進んだ所で、誰ともなく本題を話す姿勢になる。口火を切ったのは、ホストであるテオドールだった。
「さて、では本題に入りましょうか」
そう言って、姿勢を正した彼は椅子に座ったまま深く頭を下げた。
「克也さん、鍵音様。皆さんには我々の星辰教会の騎士隊が大変ご迷惑をおかけしました」
驚く克也をよそに、鍵音は涼しい顔でテオドールの様子を眺めている。
「言葉、だけ? なら全然足りない。あの女がまた襲って来た時、あなた達はどう、するの?」
「私共星母派全員でお守りします。それでもローズマリーがまだあなた方を害するようであれば、その時は私の進退を賭けましょう」
枢機卿の座を降りる事も辞さない発言に克也が絶句するが、鍵音は眉一つ動かさない。
「かっくんはあの女のせいで、死にかけた。アナタの進退となんかじゃ、全然釣り合わない」
「お前も命を賭けろ」と言わんばかりの凍てついた圧力が白銀の人影から吹き荒れ、テオドールは顔を引き攣らせながらぎこちなく頷いた。
「ええ‥‥もちろん、私も身命を賭してお守りします。それこそ、望む所です」
不思議な事に、テオドールの言葉には真摯さと、切羽詰まった必死さがあった。それは鍵音も克也も望むべき回答だったはずだが、仮にも一大勢力である教会の重鎮が何故ここまでするのか。
自分の知らない内に巨大なクレバスに足を踏み入れてしまっているような。或いは、たまたま運良く不発が続いているだけで、既に四方を地雷原に囲まれてしまっているような。
気付いてしまえば、何もかもが不自然だった。
「‥‥何故、あなた方は、そこまでするんです」
言葉を隠したまま真意を問える程にはまとまらない思考のまま、克也は苦しげにそれだけ呟いた。
相変わらず、テオドールの瞳に嘘や嘲りといった物は見られない。
あるのはただ、強い信念と――好奇に似た明るい気配だけ。
『‥‥テオドール。個人的事情:理解/状況:説明不足。デメリット:協力の不獲得‥‥』
星母の窘める声に、テオドールが少しばつの悪そうな顔で身を引く。そして今度は星母が克也と鍵音に真っ直ぐ向き合った。
『まず/念の為。これは、教会/私が待ち焦がれていた絶好の機会。テオドールの不作法、許してほしい』
彼女の言葉で少しだけ理解出来た。あの青年枢機卿から感じられた浮き立つような好意の正体は、“期待“だ。
彼は――教会は、克也と鍵音に何かを期待している。
(だけど、何故今になって? 岐路の町でも教会とは接触してたはずなのに)
まだ、何かあるのだろう。
その克也の予測を裏付けるように、星母が口を開く。
『■■&#□■%$#□■■?』
耳を刺すようなノイズが響き渡る。
『――■■&#□■%$#□■■?』
確かめるように、二度。テオドールも同じように眉をしかめていると言う事は、自分にだけ起きた現象という訳ではないらしい。
だが。
「何度も言わなくても、聞こえてる」
何事もなかったように、鍵音は小首を傾げて聖母に答えた。
「きぃが、次の神様だよ」




