第115話 箱庭の聖母2
■金猿明星国 ムルグ・アイ市中 星辰教会■
鍵音の放った一言に欣喜雀躍しているテオドールをよそに、克也は頭が真っ白になっていた。
「‥‥きぃが、神様?」
「次の、ね。その為に、来た」
思考がまとまらない。自分はどうやってこの世界にやって来た?
学校ごとまとめて転移させられたからだ。鍵音もその中にいた。自分で望んで来た訳がない。
そんな克也の疑念を察したように、鍵音が幼さの残る美貌をふっと緩ませる。
「覚えてない? かっくんも、その為に転校したんだから」
(‥‥そうだ。確かに、転校してる)
何故気付かなかったのか。
転移後に能天気にしていられたのも、学校組と袂を分かって平気でいられたのも、転校したばかりで馴染みのある知り合いがいなかったからだ。
「あれ‥‥何で、僕はこんな事を‥‥」
「仕方ないよ。お母さんの安全装置、効いてたんだし」
もう大丈夫、と鍵音が指先で文字を書くような仕草をした途端、違和感のあった過去の記憶がはっきりと思い出せるようになる。
それだけではない。思い出す事そのものを避けていた鍵音の家族の事も普通に思い起こせるようになっていた。
今の様子からすると、精神的なロックがかけられていたという事なのだろう。それも鍵音の両親の事を思い出せるようになった事で納得した。
瀬埜宮鍵音の母親は、元の世界でも有数の魔女なのだから。
「ちゃんと迎えの人に会えるまでは、何が起こるか、わからなかったし、ね」
そう言って、鍵音はじっとりした流し目を星母にくれる。受けた彼女は軽く頭を振る事で答えた。
『こちらも確信が得られるまで動けなかった。■□&#□――前任者から、この世界の事はどの程度説明を――?』
ノイズが耳をつんざいた。恐らく、人名なのだろう。克也とテオドールの様子に、星母が話を中断する。
「いや、この世紀の会見に立ち会えないのは悔しい‥‥んですが、やむを得ません。克也さん、私らは外で待ちましょう」
情けなさそうに苦笑するテオドールの申し出に乗るべきかどうか。克也は一瞬葛藤する。
(‥‥でも、この先機密に触れる事が増えればまともに会話を聞く事も出来ないかもしれないしな)
それなら、テオドールの立場を慮って自分も退席するのが筋だろう。そう考えて――『必要ない』星母にそれを遮られた。
星母は鍵音を見やると、端末を取り出すように促した。
『鍵音:有資格者/アカウントの権限管理も可能と推定』
「かっくんに、きぃの補佐権限を付与、だね」
何やら端末を操作した鍵音が、克也に真顔で頷き返す。これで大丈夫、という事なのだろう。
『――テスト。瀬埜宮鍵音は、前任者:ネメシスの後任として本エリア/【ステラガーデン】に赴任した次代の管理者候補である』
普通に思念波が会話として聞こえる。ふと視線をやると、テオドールは相変わらず眉を――と言うより頭痛を抑えるようにこめかみに手を当てていた。ノイズでマスキングされた単語が多かったせいだろう。
「どうやら、うまくいったみたいですね。その権限管理とやらは、私には‥‥」
テオドールの微かな期待の籠もった目は、鍵音には素気なく、星母にはすまなさそうに頭を振って否定される。
「まあ、仕方ないですね‥‥では、私はその間に溜まった用事を済ませて来ますか!」
名残惜しさを隠すように努めて明るく振る舞いながら、テオドールは席を立って部屋を後にしていく。
克也が身内贔屓されてしまったような後ろめたい気分でいると、両脇から鍵音と星母にそっと手を握られる。
「気に、しない。かっくんは、きぃの大切な人だから」
『同意。管理補佐者は、克也であるべき』
慰めの言葉はそれぞれ優しく克也に届いたが、2人の間に見えない火花が飛び交ったのを克也は見逃さなかった。
「‥‥何でこの世界の人が、かっくんにベタベタするの。て言うか、駄肉。お前、何なの」
鍵音に半眼で見据えられた星母がはたと動きを止める。それは問を投げかけられて考え込んでいるだけではなく、何かに気付かされたようにも見えた。
『‥‥私は、前任者の管理補佐‥‥の、成れの果て。かつての神代を識る者。そして――“病の王“』
最後に告げられた言葉に、克也と鍵音が絶句する。
「“病の王“‥‥? あの、天馬白月国で猛威を奮ってる、古代遺物の?」
確認の為に呟いた克也に、星母はハッキリと頷いた。
「その、関係者という事ですか‥‥」
今度は首が横に振られる。
『関係者ではない/当事者』
「は?」
飛躍した回答に克也の頭が混乱する。
一方で星母も伝わらない事にもどかしさを感じているようだった。少しの間逡巡すると、彼女はずっと被り続けていたヴェールを背後へと捲り上げる。
そこには、星母と慕われるには若い、やや痩けた女性の顔があった。
「‥‥これは」
『見覚えがあるはず』
確かに、勝也はその顔に見覚えがあった。
と言うよりも、その顔に施された意匠に見覚えがあった、と言うべきか。
それは酷いミスマッチだった。まるで化粧を施すように、両目蓋と唇を朱色の糸が鮮やかに縫い止めているのである。
布地に行えば華やかな刺繍とステッチも、皮膚を幾度も貫いて留め置いているとなると途端にグロテスクさが際立つ。手術の縫合がいずれ快復の後に抜糸されるのとは反対に、この手跡には今この状態が完成なのだという誇らしげな自負さえ垣間見えた。
そして、それは確かに“病の王“に関連した一つの記憶にも符合していた。
「‥‥白き月の遺跡の、黒いミイラ‥‥」
『正。“病の王“の端末と克也達は遭遇している。あの端末も私の本体の一部』
またわからない単語が出て来た。“本体“に、“一部“だ。
しかし、星母の対面で話を聞いていた鍵音は、それとは別の部分に疑問を覚えたらしい。克也の袖を引いて、星母の顔を指差して見せる。
「‥‥かっくん、きぃの気のせいかも、だけど」
「似てない?」と鍵音は眉根を寄せながら小首を傾げた。
(似ている‥‥? 誰に‥‥)
そう言われて、克也もまじまじと星母の顔を凝視する。
先程は痛々しい縫い取りに気を取られていたので、今度は顔立ちに意識を集中する。
そして、不意に1人の名前が脳裏を過る。
それは随分前の記憶。
地底湖――それに、岐路の町。メタリックブルーの騎鎧。サラサラとした短めの髪。
「湖沼‥‥?」
星母は頷いた。
『正。この肉体は、湖沼なつめの肉体で、間違いない』
「‥‥湖沼なつめの肉体に、管理補佐の精神が乗ってる、って事?」
鍵音の問いに、星母が『正』と首肯する。
「じゃあ‥‥湖沼の精神は何処に‥‥?」
呆然と呟いた克也の言葉に、星母は虚空の一点を指さした。
遅れて、それが北東に向いている事に思い至る。
『天馬白月国の“病の王“。湖沼なつめの精神は、その中核にある私の本体に乗っている』




