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箱庭世界のきぃと僕  作者: 越波
金猿明星国・砂漠奪還行編
114/116

第113話 星母と鍵音

■金猿明星国・ムルグ・アイ近郊■


 鍵音は辺り一面を怒りのままに氷の槍で掃射し尽くすと、眼下に陣取る()()にはまるで痛痒を感じさせていない事に舌打ちした。


 腹立たしくも克也に膝枕で密着するその贅肉だらけのだらしない体型の女は、魔術防御で言えばそれなりの力を持っているようだった。


「ローズマリーは、逃げた‥‥ね」


 あわよくば氷の槍で串刺しにしてやろうかと思ったが、想定以上に逃げ足が早い。既に彼女達の姿は砂漠の西へと消えてしまっていた。


 ふと地表に動く物を見つける。何か大仰な手振りでこちらに呼び掛けを行っているように見えた。


「‥‥?」


 しかし、残念な事にジェスチャーとしては全く意図が伝わってこない。


(まあ、別に障壁解かなければ大丈夫、かな)


 そう結論づけて、高度を落とす。


 砂漠の日差しは肌を灼く程の強さを誇るのが常であるが、この時ばかりは鍵音の「眩しい」の一言で百年ぶりに真っ暗な雨雲に閉ざされようとしていた。






(うわぁ、これはまた聞きしに勝る‥‥)


 青年枢機卿、テオドール・ジャン・モーリスは見る間に空を暗雲に包み込み、嵐を伴いながら地上へと降り立つ幼い少女の立ち姿に全身が震えるのを抑えきれずにいた。


 具体的に言えばすぐさまに五体投地の上で心向くままに礼拝したい気分だった。


(何と言う神々しさ。神々しいとは、これこの方の為にある言葉に違いない)


 普段の軽薄さを知る者からすれば正気を疑いかねない豹変ぶりだったが、これこそがテオドールの枢機卿としての本質はむしろこのなりふり構わない信仰心にこそあった。


 誰よりも信仰に真摯であり、正しい星辰信仰の為なら資金も権力も全てを度外視する狂信者――それが、テオドールだった。


 だが、今は自分の信仰の赴くままに振る舞うべき時でない。彼のなけなしの自制心がギリギリで理性を働かせて、まともな僧侶らしい礼を取らせた。


「お初にお目にかかります、瀬埜宮鍵音様。お待ちしておりました。私はテオドール、星辰教会の司祭を務めております。あちらは同じく教会の尼僧で――マザー、と」


 星母(マザー)については、言い方をボカして説明せざるを得なかった。教会内の位階の事を説明しても意味はないだろうし、年長の尼僧がマザーと呼ばれる事も珍しくはない。


 案の定、鍵音は星辰教会と聞いて眉根をしかめたが、それ以上の疑念を抱いた様子は見られなかった。


「教会の人が何の用? 後、かっくんを放して」


「勿論、克也様はすぐに。星母聖下(マザー)? もう克也様をお返ししませんと」


 テオドールはそう言って星母(マザー)に克也を解放するように促すが、返事はなかった。


 おかしい。


 ローズマリーの強行から克也を助けた後は、やってきた迎えに丁重に引き渡す、というのは事前に打ち合わせておいた決めごとのはずだ。


星母聖下(マザー)?」


 しかし、振り向いた先では白い法衣の尼僧――星母聖下(マザー)が我関せずと克也の髪を愛おしげに(くしけず)っている。


 完全に二人の世界といった風情に、背後の鍵音の圧が堰を切ったように数倍に膨れ上がる。


「駄肉、それ以上かっくんに触ったら、潰してミンチに、する‥‥!」


「お、お待ちを! 我々に鍵音様に害をなす意図は‥‥!」


 慌てて取りなしを申し出るも、金色に輝く瞳に射竦められて呼吸すら満足に行えなくなる。


(これが、“龍眼“‥‥)


 蛇に睨まれた蛙とでも言うか、自分が喰われる側の存在なのだと、この強大な圧力が否が応でも思い知らせてくる。


 そして恐ろしい事に、敬愛する星母(マザー)もまた鍵音の敵意に呼応して魔力を練り上げている。


 あ、これはもう自分の手には負えないな、とテオドールは早々に見切りをつけて巻き込まれない位置に身を隠した。


 想定とは違うが、己の信仰に基づき奇蹟の体現者であるところの2人が力比べする光景など、この先二度とあるかどうかわからない貴重な代物である。


 そんなテオドールを後目に、鍵音と星母(マザー)は高めた魔力を焔のように吹き上げて激突した。






(なに、コイツ‥‥!)


 鍵音はいつまで経っても克也を解放しない目の前の女に我慢ならず、懲らしめてやろうという程度の気分だったが、思いの外に強い抵抗にあって困惑していた。


 天馬白月国でも力の配分がわからなかった当初は誘拐されたり追い詰められたりしたが、勝手がわかってからは力任せでねじ伏せて来た。


 それが、通じない。


 上空から氷の槍を使って射撃した際には「固いな」ぐらいにしか思わなかったが、実際にお互い白兵戦の距離で向き合ってみると固いどころの話ではない。


(嘘‥‥! 貫けない!?)


 どれだけ魔力を注ぎ込んでも、目の前の女の障壁は揺るがない。余りの鉄壁さに背筋がぞっと凍える。


 それは鍵音がこの世界に来て初めて味わう無力感だった。


『全能――無敵。そう、思った?』


「‥‥!」


 ヴェールの向こうから、穏やかに微笑むような思念が伝わってくる。ハクやベルゼの使う指向性の思念波だった。


 人間が何故こんな方法で、と一瞬疑念が湧くが、繰り出される攻撃を防ぐのに精一杯で気にする余裕もなくなってしまう。


 軽い魔術は弾かれるばかり。発動に時間のかかる大規模魔術は構築中に潰される。


 手がなくなった鍵音は、岐路の町で“怠惰の欠片“の瘴気を浄化したように魔力を凝縮させた“魔力腕“で動きを止めようとするが、憎らしい事に目の前の女は全く同じ“魔力腕“でこれを迎え撃った。


「この‥‥ッッ!!」


『癇癪/視野狭窄/経験不足‥‥今のアナタは、この程度』


「何、をッッ!!」


 怒りに燃える龍眼が金色の光を放ち、鍵音の全身から噴き出る魔力光が更に勢いを増して女をねじ伏せようと前に出る――が、涼しげな佇まいを崩す事は叶わなかった。


 鍵音の表情が怒りと苦悶に歪む。全力を振り絞っているのは傍目にも明らかであり、それは完全に星母(マザー)に対して力負けしている事を示していた。


『未熟/無知。どれだけ底無しの魔力があろうと、使い方を知らなければ瞬間的な最大出力で押し負ける』


 ぐぐ、っと魔力腕の組み合いの均衡が崩れる。


 星母(マザー)の魔力腕が自分を圧倒していると悟って、鍵音は悔しげに顔を伏せた。


「‥‥わかった、認める。きぃは、アナタより、弱い」


 鍵音の魔力腕が霧散し、星母(マザー)の魔力腕もまた同様に消えてなくなる。最後まで星母(マザー)は克也を庇って膝枕した姿勢のまま立たせる事すら叶わなかったと気付いて、鍵音は歯を食いしばった。この女の前で泣いてやるのは死んでもごめんだ、という意地だったかもしれない。


「やれやれ、肝を冷やしました。お二人とも何事もないご様子、安心しましたよ」


 いつの間にか安全圏に逃げ隠れていた蜂蜜色の髪をした法衣の青年が調子のいい事を言いながら現れ、やり場のない鍵音の怒りに満ちた視線で射抜かれる。


「おっとっと、そう怖い顔をなさらず。我々もこんな接触になったのは甚だ本意ではないのです」


 そう言えば最初からこの男はそう言って(へりくだ)っていたし、暴力に訴えたのは鍵音が先だった。


 苦々しい思いで、鍵音は2人の僧侶に話の続きを促した。


「‥‥待ってた、って言ってた。もう一度聞く。きぃに、何の用?」


 テオドールは心底安堵したように深く胸を撫で下ろすと、穏やかな表情で克也に視線をやった。


「お二人の今後に関わるお話です。克也様が目覚められてからとさせて頂きましょう」


 鍵音は渋々ながらこれを了承し、一行はムルグ・アイの市中へ馬車で移動する事となった。

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