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捨てられた契約監査官は、辺境領主と水路をひらく  作者: 銀細工ナギ


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18/20

共同運営者になりませんか

 王都から領地へ戻る道は、行きよりも短く感じられた。


 馬車の窓から見える畑は、ところどころ土がひび割れている。水路の分岐には枯れ草が絡まり、崩れた石積みが道を塞いでいた。けれど、村の入り口に近づくにつれ、道端に立つ人の数が増えていった。


「おかえりなさい!」


 誰かが叫ぶと、子どもたちが駆け出し、荷台の脇を追いかけた。マルタは馬車を降りるなり、集まった人々に手を振った。


「審理はどうだったんだい」


「水路の権利は、領民全体にあると認められました」


 リゼルが答えると、歓声が上がった。


 その声を聞きながら、彼女は胸の奥に残っていた緊張が、少しずつほどけていくのを感じた。王都で判定が下された。偽造契約は無効になり、土地を奪う計画も止まった。


 だが、権利が戻っただけでは、畑に水は流れない。


 翌朝、領主館の広間に、村の代表者たちが集まった。農家の者、石工、水車小屋の管理人、商人、そして水路沿いの土地を持たない耕作者たちもいる。ユアンは長机の端に座り、リゼルはその隣に資料を並べた。


「まず、今ある水路の状態を確認します」


 リゼルは地図を広げた。


「本流から三つの分水路が伸びています。しかし、管理を担う人が決まっておらず、修繕費も記録されていません。これまでは、一部の地主が自分の畑を優先して水門を開けていました」


「それなら、今まで通り地主に任せればいいのでは?」


 年配の男が口を挟んだ。


「今まで通りでは、また同じことが起きます」


 リゼルは静かに言った。


「誰がどの水門を、いつ開けたのか。修繕にいくらかかり、誰が負担したのか。すべて記録に残す必要があります。水は、声の大きい人のところへ流れるものではありません」


 男は不満そうに眉を寄せたが、マルタが腕を組んで彼を見た。


「水が来なかった畑の中には、あんたの甥の畑もあっただろう。忘れたのかい」


 男は口を閉じた。


 ユアンが立ち上がった。


「私は領主として、水路の修繕を命じることはできる。だが、運営まで領主館だけで決めれば、また誰かの都合で記録が書き換えられるかもしれない」


 彼は広間を見渡した。


「水を使う者自身が、管理し、監査し、決める仕組みが必要だ」


 リゼルは彼の言葉を受けて、別の書類を取り出した。


「そこで、水路組合を設立します」


 紙の上には、すでに組合規約の草案が書かれていた。


 組合員は、水路から水を受けるすべての耕作者と土地所有者。議決権は土地の広さではなく、一人一票。水門の開閉記録は公開し、修繕費は収穫量に応じて負担する。ただし、災害や凶作の年には、組合の合議で減免を認める。


「水路のことを、土地を持つ者だけで決めないのですね」


 若い耕作者が尋ねた。


「水を使い、手入れをする人にも決める権利があります」


「では、領主様は?」


「ユアン様には、組合の一員として参加していただきます。ただし、領主だからといって、議決をひとりで覆すことはできません」


 リゼルがそう告げると、ユアンはうなずいた。


「異議はない。領主の権限を使うより、領民と責任を分け合う方が、この水路にはふさわしい」


 広間の空気が少し変わった。


 人々は互いの顔を見ながら、慎重に、しかし確かに前を向き始めていた。


 その日の午後、リゼルは水路沿いを歩いた。崩れた石を拾い上げ、詰まった土を取り除く村人たちの間を、ユアンが袖をまくって進んでいる。領主の服を汚すことなど気にせず、重い石を抱えていた。


「あなたが自分で働く必要はありません」


「君に言われると、少し耳が痛いな」


「領主として、指示を出す仕事もあるでしょう」


「それだけでは足りないと分かった」


 ユアンは石を置き、リゼルを見た。


「君が王都で、記録の一行に込められた意味を守ったように、ここでは水路の一つひとつを守らなければならない」


 彼はしばらく言葉を探していた。


「リゼル。君に頼みたいことがある」


「組合規約の修正ですか」


「それも頼みたい。だが、それだけではない」


 ユアンはまっすぐに彼女を見た。


「水路組合の共同運営者になりませんか」


 風が水路跡の枯れ草を揺らした。


「私は領主だ。君は記録監査役として、すでに多くのことを担っている。けれど、君を雇われた監査役のままにしておきたくない。組合の財務、記録、交渉を、私と対等な立場で任せたい」


 リゼルは規約の草案へ目を落とした。


「報酬は?」


「組合の会計から、明記した額を支払う」


「裁量は?」


「組合の議決に従う限り、君が必要と判断した調査と交渉を任せる」


「私があなたの判断に反対した場合は?」


「反対理由を記録し、組合で話し合う。君を黙らせる権限は、私にはない」


 リゼルは顔を上げた。


「ずいぶん、まともな契約になりましたね」


「君に何度も教えられたからな」


 彼女は笑った。王都で失ったものを数えていた頃には、こんなふうに誰かと未来の条文を作る日が来るとは思わなかった。


「分かりました」


 リゼルは言った。


「共同運営者になります。ただし、私の名前と仕事を、領主様の付属物にはしないでください」


「約束する」


「約束ではなく、規約に書きましょう」


「もちろんだ」


 二人は館へ戻り、規約の最後に新しい条文を加えた。


 水路組合は、身分や財産の大小にかかわらず、構成員の知識と労働を尊重する。共同運営者は、それぞれの名において責任を負い、互いの同意なく職務や報酬を奪われない。


 リゼルはその文を読み返し、ゆっくりとペンを置いた。


 まだ水は流れていない。崩れた水路も、空の倉庫も、越えなければならない問題は多い。


 それでも、今度の仕事には、誰かに捨てられないための証明ではなく、自分たちで選び取った明日があった。

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