公開審理、水路を奪った者たち
翌朝、公証院の大広間は、前日より多くの人で埋まっていた。
傍聴席には領地から来た村人だけでなく、王都の商人や記録官、公証院の職員まで集まっている。水路の権利をめぐる審理が、ひとつの辺境領の問題ではなく、契約と記録を扱う者すべてに関わる事件だと知れ渡ったためだった。
リゼルは証拠箱の封蝋を確認し、審理官の前に立った。隣にはユアンがいる。彼は領主の礼装を身につけていたが、その表情には威厳を飾る硬さより、今日ここで責任を引き受ける者の静かな覚悟があった。
「本日は、偽造契約がどのように作られ、誰に利益をもたらしたのかを確認する」
審理官が宣言すると、開発会社の代理人が立ち上がった。
「我々は正規の契約に基づき、領主から水路周辺の開発権を得ただけです。書類に不備があったとしても、当社が作成したものではありません」
「では、契約書を作成した公証院の記録官を呼びます」
審理官の合図で、ひとりの若い記録官が証言台へ進んだ。顔色は悪く、何度も指を組み替えている。
「提出された契約書は、院長の指示で作成しました。元になったのは、古い水路契約の写しです」
「写しのどの部分を使ったのですか」
「水路の管理権を、土地の所有者へ移すという部分です」
「最後の頁にあった領民全体の権利については?」
記録官は唇を震わせた。
「その部分は、使わないように言われました」
広間の空気が変わった。
院長はそれまで、腕を組んで黙っていた。だが、記録官の言葉を聞くと、杖をついて立ち上がった。
「私は、誤解を招く古い条文を整理しただけだ。領地の発展のためには、権利関係を明確にする必要があった」
「整理ではありません」
リゼルが証拠箱から数枚の文書を取り出した。
「こちらは改ざん前の下書きです。水利権を持つ者の欄には、当初、村ごとの耕作者が記されていました。それが途中で削られ、土地所有者だけに置き換えられている。さらに、削除された箇所と新しい文言では、筆圧もインクの濃さも違います」
彼女は文書を審理官へ渡した。
「この書き換えは一度ではありません。院長の指示書、記録官の下書き、公証院の控えを照合すれば、三段階に分かれていることが分かります。最初に権利者の範囲が変えられ、次に領民の同意を示す署名が抜かれ、最後に日付が古い契約とつながるよう調整されています」
リゼルは一枚ずつ並べた。
改ざんは偶然ではなかった。誰かが一度筆を滑らせたのではない。水を受ける人々を減らし、奪った権利を正当な契約に見せるため、複数の手が順番に動かされていた。
審理官が院長を見た。
「指示を出したのはあなたか」
「記録官が勝手に判断した可能性もある」
「では、この封書について説明してください」
審理官が示したのは、開発会社から院長宛てに送られた書面だった。封筒には王都の商印が押され、開発許可が下りた場合の報酬と、院長の退任後の役職が記されている。
傍聴席から、低いどよめきが起こった。
院長は顔をこわばらせた。
「それは、単なる提案だ」
「提案にしては、支払いの日付が改ざん契約の作成日と一致しています」
リゼルは別の帳簿を開いた。
「開発会社から院長へ支払われた金額は、院長個人の口座だけではありません。公証院の修繕費、記録整理費、臨時職員の給与という名目で、いくつもの口座に分けられています。しかし実際には、その金の一部がセドの商会へ流れている」
セドの商会の使者が立ち上がった。
「我々は契約の紹介料を受け取っただけだ!」
「紹介料なら、なぜ解雇された私の過去の記録を集め、審理へ提出する必要があったのですか」
リゼルは問い返した。
「あなたの商会は、私が帳簿の不正を指摘した直後から、私の失敗記録を作り始めています。けれど、その中には私がまだ商会に雇われていない日の報告書まで含まれている。つまり、後から作られた記録です」
セドの使者は黙り込んだ。
審理官は書類を読み、ひとつずつ確認した。
「開発会社は、領民の水利権を狭めた契約を利用して土地の買収を進めようとした。公証院長はその契約が正当なものに見えるよう記録を改ざんし、セドの商会は領主と開発会社の間を取り持ちながら、異議を唱える者の信用を失わせようとした。そういうことだな」
誰も答えなかった。
沈黙が、何より明確な返事になった。
ユアンが証言台へ進んだ。
「開発会社から私にも、計画への協力を求める申し入れがありました。私は以前、領地の財政を立て直すため、一部の条件に同意しました。ですが、領民の権利を奪う内容まで確認せず、相手を信じた責任があります」
彼は開発会社の代理人を見た。
「あなた方は、私が困窮していることを知っていた。だからこそ、領民の権利を隠した契約を差し出したのでしょう」
代理人は反論しなかった。
審理官は長く息を吐き、判定文を読み上げた。
「提出された契約は、古い水路契約の一部を意図的に削除し、偽造と改ざんによって成立したものと認める。開発会社が求めた水路周辺の取得権および独占的管理権は無効とする」
村人たちの間から、押し殺していた息が一斉に漏れた。
「公証院長は記録改ざんと利益供与への関与を認められ、職務を解かれた上で、正式な調査を受ける。開発会社は当該契約に基づく事業許可を失い、今後の申請について厳正な審査を受けるものとする」
院長の杖が床を打った。
「こんな判定をして、公証院が無事で済むと思うのか!」
「無事で済まないのは、公証院ではなく、真実を隠した者です」
審理官は冷たく答えた。
最後に、セドの商会についても言い渡された。
「虚偽記録の提出と、不正な仲介利益の受領が確認された。公証院および王都の主要商会との取引を停止し、関係帳簿を提出せよ」
使者の顔から血の気が引いた。
リゼルは判定を聞きながら、胸の奥に不思議な静けさを感じていた。勝利の歓びよりも、ようやく書類に書かれた事実と、人々が知っていた真実が同じ場所に並んだことへの安堵が大きかった。
審理官が席を立つ。
「以上をもって、公開審理を終える」
扉の外では、領地から来た村人たちが待っていた。マルタが最初にリゼルの手を握り、次にユアンの肩を叩いた。
「水が戻るよ」
「戻します」
リゼルは答えた。
「今度は、誰かの約束だけに頼らず、みんなで管理できる水路にします」
ユアンが彼女を見る。
「その仕事を、君に頼みたい」
「正式な契約書を作るなら、条件を確認します」
「もちろんだ」
彼は少しだけ笑った。
「報酬も、裁量も、君が納得する形で」
大広間の窓から、朝の光が差し込んでいた。石碑の条文を写した拓本は、証拠箱の中で静かに眠っている。
けれど、今日守られたのは紙や石だけではない。
水路を奪おうとした者たちの名が明らかになり、奪われかけた人々の声が、記録として残った。
リゼルは証拠箱を抱え直した。
次に向かう場所は、王都ではない。
水の止まった畑と、修繕を待つ水路のある領地だ。
真実を明らかにした仕事は終わった。これからは、明らかになった権利を、暮らしの中へ流していく仕事が始まる。




