↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられた契約監査官は、辺境領主と水路をひらく  作者: 銀細工ナギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/20

復縁の申し出を公衆の前で断る

 偽証人の告白が審理の場に落とした波紋は、翌朝になっても収まらなかった。


 王都の公証院前には、審理の行方を見守ろうとする人々が集まっていた。商人、記者、領地から来た使者。昨日までリゼルを知らなかった者たちまで、彼女の名を口にしている。


 その人垣を割って、見覚えのある馬車が現れた。


 扉に刻まれた紋章を見た瞬間、リゼルの足が止まる。


 セドの商会の紋章だった。


「リゼル」


 馬車から降りたセドは、かつて婚約していた頃と変わらぬ仕立ての外套を着ていた。ただし、その顔には余裕がない。商会の評判が落ち、取引先が次々と距離を置いていることは、彼の目の下の隈からも明らかだった。


 ユアンが一歩前へ出る。


「何の用だ」


「君には関係ない」


 セドはそう言ってから、周囲の視線を意識したように声を整えた。


「リゼル、話をしたい。二人きりで」


「話す必要はありません」


 リゼルははっきりと言った。


 その声が届いたのか、人々のざわめきが少し静まった。


「僕たちは婚約者だった。君が商会を出たのは、あの時の行き違いだ。僕は君の力を正当に評価できていなかった」


「行き違いではありません。あなたは、私を役立たずだと言って解雇しました」


「それは感情的になっていた。だが、今なら分かる。君がいなければ、商会は立ち行かない」


 セドは一歩近づいた。


「戻ってきてほしい。婚約も、もう一度結び直そう」


 誰かが息を呑んだ。


 リゼルの胸に、過去の光景がよみがえる。帳簿を抱えて立っていた自分。皆の前で、余計な口を挟むなと言われたこと。積み上げた記録を見向きもされず、机の外へ追いやられたこと。


 けれど、今の彼女はあの時のリゼルではない。


「お断りします」


 セドの眉が動いた。


「聞き間違いか?」


「いいえ。復縁の申し出を、お断りします」


 人々の間から、小さなどよめきが起きた。


 セドは笑顔を作ろうとしたが、頬が引きつった。


「こんな場所で意地を張るな。君の功績は、もともと商会で学んだものだろう。水路契約の調査も、商会で扱った資料があったからできた。君が名を上げるなら、商会の協力があったと認めるべきだ」


「商会の協力?」


 リゼルは持っていた書類袋から一枚の紙を取り出した。


「これは、私の解雇通知です。理由は、帳簿の誤りを指摘したため。署名はあなたのものです」


 セドの顔から血の気が引いた。


「それは昔の話だ」


「昔の話だから、なかったことにはなりません」


 リゼルは書類を広げた。風に煽られないよう、ユアンが端を押さえる。


「ここには、私が商会の業務から外され、作成した帳簿も商会の正式な成果として扱わない、と明記されています。あなたは私を商会の人間ではないと判断した。ならば今になって、私の功績だけを商会の名に戻すことはできません」


「君は僕の婚約者だった!」


「婚約者であったことと、あなたの所有物であることは違います」


 その言葉に、周囲がざわついた。


 セドは苛立ちを隠せなくなった。


「僕と結婚すれば、君は王都で安定した生活ができる。辺境領主の手伝いなど、いつまでも続けられるものではない。君の立場を考えて言っているんだ」


「私の立場は、私が決めます」


 リゼルはセドを見た。


「私は誰かの商会名を借りて働くつもりはありません。誰かの婚約者として価値を認められる必要もない。私は、自分で調べ、自分の名で証拠を提出し、自分の判断で契約を結びます」


 セドの視線がユアンへ移った。


「君は、この男に利用されているだけだ。辺境の領主が、都合よく君の力を使っている」


「その点については、私も何度も確認しました」


 リゼルは淡々と答えた。


「ユアンは過去の便宜を隠していました。私はそれを責め、今後は隠し事をしないと約束させた。彼が私を利用しているなら、私は契約を破棄します」


 ユアンは口を挟まず、ただ頷いた。


「彼は私を守るだけの人ではありません。私の判断に異議を唱え、私も彼の判断を問いただす。私たちは対等に仕事をしています」


「そんなものは、恋愛ではない」


「あなたに決められることではありません」


 リゼルは書類をしまった。


「セド。私たちの婚約は、あなたが解雇を告げた時に終わりました。今日ここで、私の功績を商会へ戻すことも、関係を結び直すことも拒みます。今後、私の名や調査結果を商会の宣伝に使うなら、正式に抗議します」


 公証院の門前には、多くの人がいる。彼らは証人だった。


 セドは何か言おうとしたが、言葉が続かなかった。


「リゼル……僕は、本当に君を」


「もう聞きません」


 静かな声だった。


「あなたの後悔を、私が受け止める義務はありません」


 沈黙の中で、遠くの鐘が鳴った。


 やがてセドは顔を歪め、馬車へ戻っていった。扉が閉まり、車輪が石畳を軋ませる。人々は道を開けたが、誰も彼に声をかけなかった。


 姿が見えなくなってから、ユアンが言った。


「よく言ったな」


「言うべきことを言っただけです」


「それでも、簡単ではなかっただろう」


 リゼルは公証院の門を見上げた。


「簡単ではありませんでした。でも、戻る理由はもうありません」


 その時、審理を見ていた若い書記官が近づいてきた。


「リゼルさん。今の話を、証人として記録に残す必要はありますか」


 リゼルは少し考えた。


「いいえ。あれは私自身の問題です。ただし、商会が私の功績を自分たちのものとして提出した場合は、解雇通知を正式な証拠として出してください」


「分かりました」


 書記官が去ったあと、ユアンが尋ねた。


「君は、これからどうする」


 リゼルは朝の光を見た。


「まず審理を終わらせます。それから領地へ戻って、水路の記録を整理する。村ごとの権利を、誰にも奪われない形にするために」


「その仕事に、私も加わっていいか」


「あなたが隠し事をしないなら」


「約束する」


 リゼルは初めて、わずかに笑った。


「では、共同作業者として認めます」


 公証院の扉が開く。


 二人は並んで中へ入った。もう誰かの後ろに隠れる必要はない。彼女の名も、彼の責任も、それぞれの場所に立っていた。


 そしてその日、リゼルははっきりと知った。


 過去へ戻らないと決めることは、何かを失うことではない。


 自分で選んだ未来へ、ようやく歩き出すことなのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。