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捨てられた契約監査官は、辺境領主と水路をひらく  作者: 銀細工ナギ


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13/20

偽証人と入退室記録

 審理の初日、開発公社側は、予定より早く新たな証人を呼び出した。


 証人席に立ったのは、灰色の外套を着た細身の男だった。年齢は四十ほど。公社の記録係だと名乗り、リゼルをまっすぐ見た。


「私は三年前、辺境領の廃資料庫で彼女を見ました」


 男が指したのは、リゼルだった。


「彼女は夜更けに資料庫へ入り、古い契約書を持ち出していました。原本を盗み、都合のよい部分だけを残したのです」


 傍聴席にざわめきが広がった。


 リゼルは男の顔を見た。目は落ち着いている。声にも震えがない。だが、証言の内容に触れた瞬間、指先に紙をめくるような違和感が伝わった。


 あの男は、記憶を語っていない。


 誰かに渡された文章を、口から読み上げている。


「あなたは、私が資料庫へ入った日時を覚えていますか」


「三年前の春、雨の降る夜です」


「正確な日付は?」


「五月十二日」


「何時ですか」


「夜の十時過ぎでした」


「それを、なぜ覚えているのです」


 男は一瞬だけ黙った。


「不審な人物を見たからです」


「では、あなたはそのとき資料庫にいたのですね」


「はい。記録係として、整理作業をしていました」


 リゼルは机上の書類に目を落とした。


「資料庫の入退室記録を提出します」


 彼女が差し出した帳面を、書記官が受け取る。古い革表紙の記録簿だった。資料庫の鍵を管理していた村の役人から、昨日借り受けたものだ。


 公社側の代理人が立ち上がった。


「その記録簿が真正だという保証はありません。彼女が後から作った可能性もある」


「触れれば分かります」


 思わずそう言いかけて、リゼルは口を閉じた。ここでは特技を根拠にしてはならない。誰もが検証できる証拠で示す必要がある。


「表紙の綴じ糸は、資料庫の記録簿に使われていたものです。記録簿を保管していた村役場の印もあります。しかし、私が示したいのはそこではありません」


 リゼルは帳面を開いた。


「五月十二日の頁です」


 その頁には、入室者の名と時刻が並んでいた。朝に村役人が一人。昼に修繕業者が二人。そして、夕方に公社の使者が一人。


 夜の記録はない。


「資料庫は日没後に施錠されます。鍵を持っていた役人は、夜明けまで自宅にいました。その確認書も提出します」


 書記官が別の書類を広げる。


「証人は、夜十時過ぎに資料庫へ入ったと述べました。しかし、入退室記録には彼の名がありません」


 公社側の代理人が声を荒げた。


「記録から漏れただけでしょう!」


「では、証人に鍵を見せてください」


 リゼルは証人へ向き直った。


「あなたは記録係だった。資料庫の鍵の形を覚えていますね」


「もちろんです」


 リゼルは小箱から、村役場で保管されていた鍵の写しを取り出した。古い鉄の鍵で、先端に三本の溝がある。


「この鍵を使って、夜に資料庫へ入ったのですか」


「そうです」


「では、なぜ入室記録に名前を書かなかったのです」


 男の喉が動いた。


「急いでいたからです」


「夜十時に、記録係が急いで整理作業をする理由は?」


「それは……」


「もう一つ。あなたは資料庫の扉が内側からしか開かないことをご存じですか」


 男の顔から血の気が引いた。


 リゼルは続けた。


「資料庫の扉は、閉めると自動で施錠されます。夜に外から入るには、管理人の鍵が必要です。けれど、あなたは当時、鍵を持つ役職ではなかった」


「私は……」


「そして、あなたが提出した供述書の日付は、五月十二日ではありません。五月十四日です」


 彼女は二枚の紙を並べた。


「あなたは五月十四日に、五月十二日の出来事を書いた。記憶に基づく証言なら、それ自体はおかしくありません。しかし、供述書に書かれた資料庫の机の配置は、五月十五日に行われた修繕後のものです。修繕前には存在しなかった棚が、証言の中に描かれている」


 傍聴席のざわめきが大きくなる。


「あなたはその夜、資料庫にいなかった。後から誰かに見せられた内部の様子を、見たことのように語ったのです」


 男は何も答えなかった。


 ユアンが静かに立ち上がる。


「その証人を、誰が雇った」


 問いかけは男に向けられていた。だが、公社側の代理人が遮る。


「証人の雇用関係は、本件とは無関係です」


「偽証の動機に関わります」


 リゼルは帳面の最後の頁を開いた。資料庫の入退室記録には、鍵の返却欄もある。五月十四日、公社の代理人が資料庫の鍵を受け取り、三時間後に返却した記録が残っていた。


「証人が供述書を書いた日、公社の代理人は資料庫へ入っています」


 書記官が記録を読み上げた。


「入室、午後二時。退室、午後五時十二分」


「その三時間の間に、記録簿を見て、資料庫の内部を確認し、証人へ内容を渡したのでしょう」


 リゼルは男から目を逸らさなかった。


「あなたは原本を盗んだ私を見たのではない。公社が作った話を証言するために、ここへ来たのですね」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて男は、かすれた声で言った。


「私は……金を受け取った」


 代理人が怒鳴った。


「証人!」


「資料庫に入ったことはない。リゼルという女が盗んだと証言すれば、借金を帳消しにすると言われた」


 審理の場が凍りついた。


 リゼルは胸の奥で息を吐いた。偽証人の言葉は、彼女の潔白を完全に証明するものではない。だが、少なくとも公社が証拠を作り、誰かの記憶を買ったことは示せる。


 ユアンが隣で拳を握った。


 リゼルは小さく首を振った。怒りに任せてはならない。真実は、怒鳴り声より記録のほうが強い。


「記録官殿」


 リゼルは審理を見守る役人へ向き直った。


「入退室記録の原本と、鍵の貸し出し記録を正式な証拠として受理してください。私が原本を盗んだという証言は、記録によって成り立たないことが明らかです」


 記録官は両方の帳面を慎重に確認し、頷いた。


「受理する」


 その一言が響いた瞬間、リゼルはユアンの横顔を見た。


 彼は彼女を守ろうとして前へ出るのではなく、同じ証拠を見つめ、同じ責任を負う者として立っていた。


 審理はまだ終わっていない。院長も、公社も、次の手を隠している。


 それでも、リゼルは確信していた。


 閉ざされた扉の向こうに残された記録は、誰かが消そうとしても、入った者と入らなかった者を、決して取り違えない。

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