偽証人と入退室記録
審理の初日、開発公社側は、予定より早く新たな証人を呼び出した。
証人席に立ったのは、灰色の外套を着た細身の男だった。年齢は四十ほど。公社の記録係だと名乗り、リゼルをまっすぐ見た。
「私は三年前、辺境領の廃資料庫で彼女を見ました」
男が指したのは、リゼルだった。
「彼女は夜更けに資料庫へ入り、古い契約書を持ち出していました。原本を盗み、都合のよい部分だけを残したのです」
傍聴席にざわめきが広がった。
リゼルは男の顔を見た。目は落ち着いている。声にも震えがない。だが、証言の内容に触れた瞬間、指先に紙をめくるような違和感が伝わった。
あの男は、記憶を語っていない。
誰かに渡された文章を、口から読み上げている。
「あなたは、私が資料庫へ入った日時を覚えていますか」
「三年前の春、雨の降る夜です」
「正確な日付は?」
「五月十二日」
「何時ですか」
「夜の十時過ぎでした」
「それを、なぜ覚えているのです」
男は一瞬だけ黙った。
「不審な人物を見たからです」
「では、あなたはそのとき資料庫にいたのですね」
「はい。記録係として、整理作業をしていました」
リゼルは机上の書類に目を落とした。
「資料庫の入退室記録を提出します」
彼女が差し出した帳面を、書記官が受け取る。古い革表紙の記録簿だった。資料庫の鍵を管理していた村の役人から、昨日借り受けたものだ。
公社側の代理人が立ち上がった。
「その記録簿が真正だという保証はありません。彼女が後から作った可能性もある」
「触れれば分かります」
思わずそう言いかけて、リゼルは口を閉じた。ここでは特技を根拠にしてはならない。誰もが検証できる証拠で示す必要がある。
「表紙の綴じ糸は、資料庫の記録簿に使われていたものです。記録簿を保管していた村役場の印もあります。しかし、私が示したいのはそこではありません」
リゼルは帳面を開いた。
「五月十二日の頁です」
その頁には、入室者の名と時刻が並んでいた。朝に村役人が一人。昼に修繕業者が二人。そして、夕方に公社の使者が一人。
夜の記録はない。
「資料庫は日没後に施錠されます。鍵を持っていた役人は、夜明けまで自宅にいました。その確認書も提出します」
書記官が別の書類を広げる。
「証人は、夜十時過ぎに資料庫へ入ったと述べました。しかし、入退室記録には彼の名がありません」
公社側の代理人が声を荒げた。
「記録から漏れただけでしょう!」
「では、証人に鍵を見せてください」
リゼルは証人へ向き直った。
「あなたは記録係だった。資料庫の鍵の形を覚えていますね」
「もちろんです」
リゼルは小箱から、村役場で保管されていた鍵の写しを取り出した。古い鉄の鍵で、先端に三本の溝がある。
「この鍵を使って、夜に資料庫へ入ったのですか」
「そうです」
「では、なぜ入室記録に名前を書かなかったのです」
男の喉が動いた。
「急いでいたからです」
「夜十時に、記録係が急いで整理作業をする理由は?」
「それは……」
「もう一つ。あなたは資料庫の扉が内側からしか開かないことをご存じですか」
男の顔から血の気が引いた。
リゼルは続けた。
「資料庫の扉は、閉めると自動で施錠されます。夜に外から入るには、管理人の鍵が必要です。けれど、あなたは当時、鍵を持つ役職ではなかった」
「私は……」
「そして、あなたが提出した供述書の日付は、五月十二日ではありません。五月十四日です」
彼女は二枚の紙を並べた。
「あなたは五月十四日に、五月十二日の出来事を書いた。記憶に基づく証言なら、それ自体はおかしくありません。しかし、供述書に書かれた資料庫の机の配置は、五月十五日に行われた修繕後のものです。修繕前には存在しなかった棚が、証言の中に描かれている」
傍聴席のざわめきが大きくなる。
「あなたはその夜、資料庫にいなかった。後から誰かに見せられた内部の様子を、見たことのように語ったのです」
男は何も答えなかった。
ユアンが静かに立ち上がる。
「その証人を、誰が雇った」
問いかけは男に向けられていた。だが、公社側の代理人が遮る。
「証人の雇用関係は、本件とは無関係です」
「偽証の動機に関わります」
リゼルは帳面の最後の頁を開いた。資料庫の入退室記録には、鍵の返却欄もある。五月十四日、公社の代理人が資料庫の鍵を受け取り、三時間後に返却した記録が残っていた。
「証人が供述書を書いた日、公社の代理人は資料庫へ入っています」
書記官が記録を読み上げた。
「入室、午後二時。退室、午後五時十二分」
「その三時間の間に、記録簿を見て、資料庫の内部を確認し、証人へ内容を渡したのでしょう」
リゼルは男から目を逸らさなかった。
「あなたは原本を盗んだ私を見たのではない。公社が作った話を証言するために、ここへ来たのですね」
しばらく沈黙が続いた。
やがて男は、かすれた声で言った。
「私は……金を受け取った」
代理人が怒鳴った。
「証人!」
「資料庫に入ったことはない。リゼルという女が盗んだと証言すれば、借金を帳消しにすると言われた」
審理の場が凍りついた。
リゼルは胸の奥で息を吐いた。偽証人の言葉は、彼女の潔白を完全に証明するものではない。だが、少なくとも公社が証拠を作り、誰かの記憶を買ったことは示せる。
ユアンが隣で拳を握った。
リゼルは小さく首を振った。怒りに任せてはならない。真実は、怒鳴り声より記録のほうが強い。
「記録官殿」
リゼルは審理を見守る役人へ向き直った。
「入退室記録の原本と、鍵の貸し出し記録を正式な証拠として受理してください。私が原本を盗んだという証言は、記録によって成り立たないことが明らかです」
記録官は両方の帳面を慎重に確認し、頷いた。
「受理する」
その一言が響いた瞬間、リゼルはユアンの横顔を見た。
彼は彼女を守ろうとして前へ出るのではなく、同じ証拠を見つめ、同じ責任を負う者として立っていた。
審理はまだ終わっていない。院長も、公社も、次の手を隠している。
それでも、リゼルは確信していた。
閉ざされた扉の向こうに残された記録は、誰かが消そうとしても、入った者と入らなかった者を、決して取り違えない。




