空蝉の寒柝(2)
自室にて。
古びた紙の匂いが香る埃臭い部屋はどこか安堵が生まれる。
日記を綴るのは毎日のこと。文字になっていない歪んだ文字列は、自己否定まみれのセンテンスは、決して誰にも見られないように。こんなんやっていかないと劣等感とコンプレックスで死んでいってしまう。ご飯すらまともに食えない、こんな世界で人を殺していくことすらにも引け目を感じてしまう。
自己嫌悪を縷々と続けていると、思考回路が毛細血管の3倍ぐらい張り巡らされ、根本に辿り着こうとしたら、頭がオーバーヒートして失神するようにベッドに倒れ込んで眠った。
夜明けの鳥鳴く声で目を覚ます。
眠気はないものの記憶もない。おそらく失神したのだろう。どんな状況でも漠然とした希死念慮は、「殺人」という罪悪感はいつも心に蔓延っている。
それが異常なんていう世界が異常だ。そんなもう、意味のない常識だけが、僕の罪悪感すべてを引っ張ってくる。捨てたら楽なのに。ゆっくり、居間に足を運んだ。
みんな起きているので僕は僕の仕事をまっとうしなければならない。現実に引き戻される。
豆を挽く。苦みを纏う香りが優しく包み込む。お湯がうまく入れられなかった。
「はい、どーぞ。」
「ありがとうね、黎明」
別に朝ごはんが食べれるわけではないので、家族と、一応自分用に珈琲を作るのが僕の日課になっていた。席について、家族を眺めている。つかの間の平和だ。
「黎明、地球って知っているか? 」
ふと、父親が話しかける。
「知っている、奇跡の星だっけ? そして僕らが大昔のご先祖様が住んでいた場所だよね。楽園だっけ。」
「そうだな、技術が私達以上に発展していて、いまでは、スマートフォン、なんか画面一つで何でもできるらしい。」
「そうだね、あとアーティフィシャル、インテリジェンス、AIだっけ?なんかそういうのもあるんだよね。」
「ああ、なによりも、殺人がだめらしい。罰が科せられるらしい。考えられないが平和だよな。戦争はあるらしいけど、此処よりはだいぶマシだろう、多分。」
ああ、なんて素晴らしいのだろう。まさに僕の楽園で理想郷であった。人を殺さずに生きていく。なんでこの星でも出来ないのだろうか。
「途中まで私達は同じ道を辿っていたのに、星が隔離されただけでなぜこんなに変わってしまったんだろうね? 」
「わかんないや。それこそ、人間の欲求が、圧力が足りなかったのかな。」
「支配的なもんがあったからだろう、能力が、ヒエラルキーを形成してしまったからな。」
「でも、地球も此処を、彼らから見た”異星”を知りたがっているのだっけ? 」
「そうだな。一体何が良いのだろうか。夢なのか、幻想なのか。」
「わからないものは、どこかしら惹かれるんだ。僕だって、僕らだって魔術のすべてについて探求して、わかりきっていることをもう一回、調べて新しいことを見つけたじゃないか。さもなければ此処まで進歩しなかっただろう、お互いに。人というものは好奇心がなければそれは退廃的な蛋白質になるだろう?それは父だってわかりきっているだろう。当事者じゃないか。」
「そうだな、そしてそれは私達にもいえる。夢を見すぎているのかもな、私達は。」
「そうなのかもね、地球も案外そんな感じだったり」
「そうだったら絶望だな」
お互いに笑う。
「時間だな、行ってくるぞ黎明。」
「いってらっしゃい。」
それからは烏帽がくるまで、ずっと炬燵でぬくぬくしながらちょっとだけ、数学を嗜んでいた。学校に行けばよかったなと少しだけアンニュイな黒さが心を引っ張る。
いや、きっとどうせ陰口を言われて終わるだけだ。一応学校にも行っていることにゃ行っているし。選択したものを後悔したってもうどうしようもないのだ。引き摺ってはいけない。ただでさえ引き摺っているものはたくさんあるのだ、こんなものは序の口に過ぎない程度の悩みだ。
「おーけーれいめい、行くよ? 」
来やがった。インターホンぐらい押せ。そして鍵を勝手に開けるな。
「はいはい、ちょっと待ってろ。」
あいかわらずの寒さだ。世界は今、寒気を纏っているからしょうがないのかもしれない。
雪は少しだけ積もっていた。きっとこれからもっと積もるだろう。ここら辺じゃ傘だって当てにならないほどだから別に持っていかなくてもよいだろう。上着を羽織って外に出た。
「それじゃあ、いってきます。」
「いってらっしゃい、黎明」
決して振り向かないように。
道中。
「そういえば今日どこに行くのさ」
「母親の召使さんの出身地、孤児院みたいなところさ」
「なにゆえに? 」
「僕の家系の使いはそこ出身が多いんだよ」
「そっかー」
人が少ない。閑散とした通りはアニメや絵に書いたような町並みをしている。雲に覆われた空は暗く、街灯が輪郭をなさない光を放ち、陰を、視界を作る。
「烏帽、」
「何さ」
「お前学校通っていたんだよな。」
「まあね」
烏帽はがっつり目を合わせにきてるが、僕は一切目を合わせない。
「でも結局僕らの方に戻ってきたよな、何故だ? 」
彼女は、少しだけ言葉選びに迷った後に、
「フレネミーって知っているかい? 」
と明快に聞いてきた。
「フレンドとエネミーを足して作られた言葉だよな、慥か。」
「意味だよ意味」
「友人を装った敵、友好関係を築いているはずなのに、嫉妬、陰口、嫌なことをする人だっけ? 」
「少々噛み砕かれていてよろしいね」
先生か、お前は。
「それが、どうしたんだ? 」
「言われたんだよ、あんたフレネミーだったんだねって。」
「なしてそうなる」
「嫉妬してるとか陰口言ってんだろって言われてさ、」
「被害妄想……。」
「まあ身分も身分だからね、言われてもしょうがないよ。んで疲れてこっちに戻ってきたわけ。人外の集団って楽だし」
そう言ってローブのフードを被った。怪しい商人過ぎる。毒リンゴ売ってそう。若いが。
「学校にも居るだろ、そいつらとは? 」
「思考が人間の同調圧力に洗練されているのさ、如何せん人間だもの。」
「そうか、で、僕は人間だけど? 」
「嘘つかないでもらっても良いかな? 」
更に目をそらす、そらしようはないけど。
「自滅したわね」
悪魔のようにニヒルに笑った。
「うるせえ」
溜息をついて、目を閉じる。
「目閉じても歩けるのは感心するわね、流石」
「そうか、あまり変わらないと思うけどな」
「それあんただけな」
呆れたように返された。いや、実際呆れているのだろう。会話が途切れた。そして幾分後。
「もう着くわよいい加減目を開けなさい」
「知ってるから絶対母親が言わないようなことをいい加減起きなさいみたいな感じで言わないでもらっても? 」
「わかったわよ」
そこは、少しだけ古びたような校舎のような印象を受ける。広い校庭のようなところには雪が積もっていた。
広いな、それだけ人がいるのかなというぼんやりとした感覚だった。
「嫌なもの思い出すわね」
学校とやはり似ているのかな、と思う
「それはごめん」
「あんたが謝ることじゃない。」
足を踏み入れる。
「……すごい関係ないんだけどさ、」
「何」
「ずっと思っていたんだけどね、わざわざ歩かなくても、あんた、転移魔術使えばよかったんじゃない? 」
「……」
「ただでさえ歩きたがらないのに何故そんなことした? 」
「……」
言うのが遅いだろ。もう着いたんですけど。
「こんにちは、黎明様」
案内してくれる人が施設長さんなのは本当に長年僕の家系が此処を利用してきたからだろう。
「…どうも、こちらこそ? であってますかね……」
「キョドるな」
「一回黙って」
「まあ、とりあえず回ってもらいますね」
「お願いします」
高校生に近い子から小学生や幼稚園児までいた。
それぞれが思い思いになにかに没頭していたり、交流していたりする。中にはうずくまっている子や僕らに興味を持つ子もいて本当に様々なんだな、と思う。
この中から一人。
なんとも残酷な気がしてきて罪悪感がまた僕を引っ張っている。
にしても本当に視線がすごい。
やっぱり、来客って珍しいし、人の不信だってあるのだろう。怯えるものだってあるはずだ。
ふと思い立ったように烏帽が施設長に話しかけた。
「ねーねー、館長」
「敬語使えよ」
「どうしましたか? 」
「マジック、してもいい? 」
「良いですが、大丈夫ですか? 削られるものがあると思いますけど。」
「全然、むしろ本業なのでご安心を、あと、一応こいつと一緒なんで」
「といいますと? 」
「『強欲』…これでわかりますよね? 」
「ああ、そうでしたか、なら安心です、どうぞ、寧ろお願いしますね。」
「そんじゃ黎明、出る時言ってね〜」
自由すぎるだろ。
…まあ触れ合いも重要だし僕も行うしかないのかな。
不意に風が横切る。室内のはずだ。
不思議に思っているとどうやら女性の職員が来たので脱走か何かだろうと思った。
というか施設長との話的にそうだ。
にしてもすごく速かった。並の人間では出ないスピードだった。
曇らせた顔を上げてわざとらしく施設長は僕の方へ話しかける。焦りと助けを求めているような戸惑う、泳いだ目だった。
「申し訳ないね、最近来た子で、よくあるんだ。」
よくあるんだ…? その子はよく脱走を試みているの…?
「とりあえず、追いますね」
職員が息切れしながらも追うつもりなのだろう。そんなスピードじゃ多分本当に逃げられるぞ。すぐ近くにまた別の職員がいるはずなのに。今彼女には足にくっついている女児男児がいるっていうのに。
違和感を覚えた。




