第17話:江戸・大坂、経済パニックの連鎖
稲葉正邦、板倉 勝静、酒井 忠惇目線です。
江戸城・老中部屋。
普段は厳粛な空気に包まれるはずのこの場所が、今は怒号と悲鳴に満ちていた。
「どういうことだ! 大坂の商人が、皆こぞって『海援隊との契約が最優先である』と申し立ててきたぞ!」
老中首座・板倉勝静が、真っ赤な顔で書類を床に叩きつけた。
彼の震える手は、幕府の威厳がもはや紙屑同然であることを物語っていた。
隣では、老中・稲葉正邦が顔面蒼白で立ち尽くしている。
「我が備中成羽藩の御用達商人も同様です……。海援隊が発行した『社債』を換金できねば、藩の食料調達が完全に滞ると。坂本龍馬という男、いつの間にこれほどまでに我が国の経済を掌中に収めていたのですか」
部屋の隅で、老中・酒井忠惇が冷や汗を流しながら、報告書を読み上げていた。
「……さらに悪い報告です。米、塩、そして武器弾薬の流通網が、海援隊の指示一つで完全に遮断されました。今や、江戸の市場で海援隊の名刺を持たぬ者は、まともな商売すらできぬ状況にあります」
三人の老中たちは、互いの顔を見合わせた。
そこにあるのは、強大な徳川幕府を担う者としての矜持ではなく、見えない鎖に首を締め上げられた「無力な操り人形」としての恐怖だった。
海援隊が提示した『海援隊債』は、今や幕府の金貨よりも信用がある。
商売において、幕府の許可など最早不要。海援隊の「システム」こそが、この国の新たな法律となってしまったのだ。
「彼を…坂本龍馬を捕らえれば、すべては元に戻るのではないか?」
板倉の問いかけに、酒井が首を横に振る。
「無駄です……。彼は襲撃されることすら見越して、全国の支店に『ワシが二日連絡を絶てば、全取引を永久凍結せよ』と命じていた。今、彼を害せば、徳川幕府は翌日から物資供給を絶たれ、飢えと暴動で自壊する……!」
江戸と大坂の街は、龍馬という「時代の支配者」の一挙手一投足に振り回され、パニックの極みにあった。
かつて日本を統治していたはずの徳川幕府は、今や、龍馬が引いた路線の外側では何も決定できない、形だけの抜け殻と化していた。
俺は、屋敷の屋根の上から、パニックに陥る江戸の灯を冷ややかに見下ろした。
「パニックは十分や。さて、この混乱をどう『経営』してやろうか。……新国家の設立、そろそろ最終決裁の時間や」




