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保健室には秘密がある  作者: 熊猫ぱんだ


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7/11

強くなる気持ち

その帰り道だった。

結衣は校門の近くで、以前会っていた男を見つけた。


健司。

スーツ姿のまま、スマホを見て立っている。

結衣の背筋が凍る。

向こうも気づいた。


「あ、結衣ちゃん」

笑いながら近づいてくる。

「久しぶりじゃん」

「……なんでここにいるんですか」

「近く来たついで。最近冷たいじゃん」


結衣は後ずさる。

嫌だった。

前は平気だった顔なのに。

「もう会わないって言いましたよね」

「そんな怒んなって」

男が腕を掴もうとする。


その瞬間。

「何してる」

低い声が割って入った。

振り向く。

高瀬だった。

結衣の顔から血の気が引く。


健司は少し戸惑ったように笑う。

「えっと……知り合い?」

高瀬は結衣を庇うように前へ立つ。

「学校関係者です」

空気が変わる。


健司は気まずそうに手を引っ込めた。

「……あー、先生?」

高瀬は何も答えない。

静かな圧だけがある。


やがて健司は苦笑いを浮かべた。

「すみません、じゃあ俺帰ります」

そのまま去っていく。


結衣は動けなかった。

怖かった。

情けなかった。

終わったと思った。

高瀬に全部見られた。


沈黙。

春前の冷たい風だけが吹く。

やがて高瀬は小さく息を吐いた。


「……怪我ないか」

結衣は俯いたまま頷く。

「すみません」

「なんでお前が謝る」

優しい声だった。

それが逆に苦しい。


「先生、引いたでしょ」

「引いてない」

「嘘」

「嘘じゃない」


高瀬は少しだけ眉を寄せた。

「お前、自分を責める癖やめろ」


結衣は唇を噛む。

すると高瀬は、周囲を確認してから小さく言った。


「送る」

「え?」

「家まで」

結衣は目を見開く。

「でも」

「また来たら面倒だろ」


並んで歩き出す。

夕暮れの住宅街。

少しだけ近い距離。

触れそうで触れない。

その距離が苦しい。


「先生」

「ん?」

「さっき、ちょっと嬉しかったです」

高瀬が眉を寄せる。

「何が」

「庇ってくれたの」

高瀬は少し黙って、それから視線を逸らした。


「……当たり前だ」

結衣は小さく笑う。

胸の奥が温かかった。


もう、“必要とされたい”だけじゃない。

この人の隣にいたい。

そう思ってしまっている自分がいた。


家の近くまで来た頃には、空はもう薄暗くなっていた。

住宅街の街灯がぽつぽつ灯り始めている。

結衣は少し前を歩く高瀬の背中を見つめた。


広い肩。

黒いコート。

歩幅の癖。

こんなふうに学校の外で並んで歩くだけなのに、胸が苦しくなる。


「……ここです」

マンションの前で立ち止まる。

高瀬も足を止めた。

「ちゃんと鍵閉めろよ」

「子供扱い」

「高校生だろ」

結衣は小さく笑う。


でも帰りたくなかった。

ここで終われば、また学校でしか会えない。

そんな当たり前のことが、妙に寂しい。


「先生」

「ん?」

「ちょっとだけ」

結衣はコートの袖を掴む。

「もう少しいてください」


高瀬が黙る。

その沈黙だけで、自分が困らせているのが分かった。

なのに離せなかった。

高瀬は深く息を吐く。


「……五分だけだぞ」

結衣は少し笑った。

「やさしい」

「甘やかしてるだけかもしれない」


マンション脇の自販機の前。

二人で缶コーヒーを買う。

結衣は温かい缶を両手で包み込んだ。


「先生ってブラック飲みそう」

「飲む」

「うわ、大人」

「偏見だな」

そのやり取りが楽しい。

たぶん、こういう時間が欲しかった。


体目当ての言葉じゃなくて。

駆け引きでもなくて。

ただ一緒にいて落ち着く時間。


高瀬は缶コーヒーを見つめたまま、ぽつりと言った。

「……怖かった」

結衣は目を瞬く。

「え?」

「さっきの男」

高瀬は少し眉を寄せる。


「またお前が、無理して笑ってる顔したから」

結衣の胸が締めつけられる。


あの時。

確かに笑おうとしていた。

空気を悪くしないように。

怒らせないように。

昔の癖みたいに。


「先生って、ほんとよく見てますね」

「養護教諭だからな」

「ずるい」

高瀬は小さく笑った。


でも次の瞬間、その笑みが消える。

「……結衣」

「はい」


「卒業したら、お前はちゃんと同年代を好きになれ」


空気が止まる。

結衣はゆっくり顔を上げた。

「なんでそんなこと言うんですか」

「普通の恋愛しろってことだよ」

「普通って何」

少し強い声が出た。


高瀬は黙る。

結衣は唇を噛む。

「先生は、私のこと好きなんじゃないんですか」

「好きだよ」

即答だった。

だから余計につらい。


「じゃあなんで」

「好きだからだ」

高瀬は苦しそうに目を伏せる。

「お前の人生を、俺で狭めたくない」


結衣は何も言えなかった。

風が吹く。

冷たい夜風。


高瀬は続ける。

「今はまだ、世界が狭いだけかもしれない」

「卒業して、大学行って、バイトして、色んな人に会ったら」

「その時、お前が俺なんか忘れる可能性だってある」


結衣は首を横に振る。

「ないです」

「今はそう思ってても、人は変わる」

「先生は変わらないんですか」

高瀬が言葉に詰まる。


その反応だけで、全部分かった。

この人も怖いんだ。

期待してしまうのが。

未来を信じてしまうのが。

結衣はゆっくり高瀬へ近づいた。


「先生」

「……」

「私、変わってもいいです」

高瀬が目を上げる。


「でも、先生を好きだったことは絶対なくならない」


静かな夜だった。

遠くで電車の音が聞こえる。

高瀬はしばらく何も言わなかった。

やがて、堪えるみたいに笑う。


「重いな、お前」

「先生がそうしたんですよ」

「人のせいにするな」

結衣も少し笑った。


でも次の瞬間、不意に涙が溢れそうになる。

好きだった。

苦しいくらい。

高瀬はそんな結衣を見て、小さく息を吐いた。


それから周囲を確認して。

誰もいないことを確かめて。

そっと結衣の頭を撫でた。

一瞬、呼吸が止まる。

優しい手だった。

いやになるくらい。


「……あと少しだから」

低い声。

結衣は唇を噛みながら頷く。

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