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保健室には秘密がある  作者: 熊猫ぱんだ


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10/11

卒業式

卒業式当日。

朝から空気が冷たかった。


校庭の桜はまだ咲いていない。

灰色の空の下で、体育館へ向かう生徒たちの笑い声だけがやけに明るく響いていた。


「結衣ー! 写真撮ろ!」

「あとでー!」

クラスメイトに手を振り返しながら、結衣はスマホを握り締める。


昨日ほとんど眠れなかった。

今日で終わる。

いや、終わらせたくない。

そんな気持ちばかりが胸の中を回っていた。


式が始まる。

校長の長い話。

卒業証書授与。

すすり泣く声。

でも結衣は、ほとんど覚えていなかった。


頭の中にあるのは、高瀬のことだけだった。


保健室。

雨音。

ココア。

「偉いな」って言ってくれた声。

全部が浮かぶ。



式が終わると、校舎は一気に騒がしくなった。


「第二ボタンもらえた!」

「写真撮ってー!」

「卒業したくないー!」

あちこちで笑い声が飛び交う。

結衣も友達と写真を撮った。


笑った。

泣いた。

「また遊ぼうね」と言い合った。

でも、どこかずっと落ち着かなかった。


気づけば足は、自然と保健室へ向かっていた。


廊下は静かだった。

卒業生はみんな校庭や教室へ行っている。

保健室の前で立ち止まる。

心臓がうるさい。


コンコン。

「失礼します」

扉を開ける。

高瀬はいつもの席に座っていた。

白衣姿。

その姿を見た瞬間、胸がぎゅっと締めつけられる。


「……卒業、おめでとう」

優しい声。

結衣は小さく笑う。

「ありがとうございます」

少し沈黙が落ちる。


保健室の匂い。

白いカーテン。

窓際の観葉植物。


全部、今日で最後かもしれない。

そう思った瞬間、急に泣きそうになる。

高瀬は立ち上がり、棚から小さな紙袋を取り出した。


「これ」

「え?」

「卒業祝い」

結衣は目を丸くする。

「開けていいですか」

「ああ」

中には、シンプルな万年筆が入っていた。

白と銀の細いデザイン。


結衣は息を呑む。

「……綺麗」

「大学で使え」

結衣は万年筆をそっと撫でる。

たぶん高い物じゃない。

でも、高瀬が自分のために選んでくれた。

それだけで胸がいっぱいだった。


「先生」

「ん?」

「私、ちゃんと変われましたか」

高瀬が静かに結衣を見る。

その目が、少しだけ優しい。


「変わったよ」

結衣の喉が熱くなる。

高瀬は続けた。

「最初のお前、自分のこと雑に扱いすぎだった」

結衣は苦笑いする。

否定できない。


「でも今は、自分でちゃんと選ぼうとしてる」

静かな声だった。

「それだけで十分すごい」

涙が滲む。

結衣は慌てて笑った。


「卒業式なのに泣きすぎですよね」

「お前は昔から泣き虫だろ」

「先生のせいです」

高瀬は少し笑った。


その笑顔を見るだけで、また泣きそうになる。



窓の外では、風が吹いていた。

カーテンが小さく揺れる。

結衣は万年筆の入った紙袋を抱き締めたまま、小さく言う。


「先生」

「ん?」

「私、大人になったらまた来ます」


高瀬は少し黙る。

それから困ったように笑った。

「……その時、お前に恋人いたらどうする」

結衣は即答した。

「いないです」

「なんで言い切れる」

「先生より好きになる人いないので」


高瀬は呆れたように息を吐く。

でも耳が少し赤い。

結衣は小さく笑った。


「照れてる」

「照れてない」

「嘘」

高瀬は視線を逸らしたまま、小さく言った。


「……反則だろ、そういうの」

胸が熱い。

好きだ。

本当に。


結衣はゆっくり立ち上がる。

「先生」

「ん?」

「最後に、一回だけお願いしていいですか」

高瀬が眉を寄せる。

「内容による」

結衣は少しだけ緊張しながら笑った。

「卒業祝いで」


そして、小さく両腕を広げた。

高瀬は数秒固まった。

困ったように目を閉じる。

「お前な……」

呆れた声。


でも次の瞬間、高瀬は静かに結衣を抱き寄せた。

白衣の匂い。

温かい腕。

結衣は目を閉じる。

安心する。

初めてだった。


誰かに抱き締められて、こんなに安心したのは。


高瀬は結衣の髪へそっと触れながら、小さく呟く。

「……頑張ったな」

その瞬間、涙が零れた。

高瀬は何も言わなかった。

ただ静かに背中を撫でてくれる。

結衣は白衣を掴みながら思う。

この人に会えてよかった。

本当に。


やがて高瀬はゆっくり身体を離した。

「もう行け」

「冷たい」

「これ以上いると帰したくなくなる」

その言葉に、結衣の呼吸が止まる。


高瀬は少し困ったように笑った。

「だから行け」

結衣は涙を拭いながら笑う。

「……はい」

扉の前で立ち止まる。


振り返る。

高瀬はいつもの場所に立っていた。

でもその表情は、いつもより少しだけ寂しそうだった。


結衣は小さく頭を下げる。

「ありがとうございました」

高瀬は何も言わなかった。

ただ、穏やかに笑っていた。


結衣は保健室を出る。

廊下の先。

窓から春の光が差し込んでいる。

まだ少し冷たい風。

でも、その光は確かに春の匂いがした。


結衣は前を向いて歩き出す。

もう、自分を雑に扱わないように。

いつか本当に大人になった時、

ちゃんとこの人の隣に立てるように。


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