三年後
──それから三年後。
四月。
柔らかい春の風が、駅前の桜並木を揺らしていた。
結衣はスマホの画面を閉じ、小さく深呼吸する。
久しぶりだった。
この街も。
この制服だらけの景色も。
大学生になった結衣は、少しだけ変わっていた。
髪は肩まで伸びた。
メイクも前より薄い。
服装も、昔みたいに“可愛く見られるため”だけじゃなくなった。
大学で友達ができて、
バイトをして、
レポートに追われて、
普通に恋愛の話をして。
そうやって毎日を過ごすうちに、少しずつ分かった。
あの頃の自分は、
“愛されたかった”というより、
“自分に価値があると思いたかった”んだと。
そして、それを最初に教えてくれたのが高瀬だった。
結衣は校門の前で立ち止まる。
懐かしい校舎。
放課後なのか、運動部の声が遠くから聞こえる。
スマホを見る。
時間は午後四時半。
少し迷ってから、結衣は校舎へ入った。
廊下を歩く。
懐かしい匂い。
あの頃より廊下が狭く感じる。
保健室の前まで来た瞬間、急に緊張した。
本当にいるのかな。
もう異動していたらどうしよう。
忘れられていたら。
そんなことを考えながら、結衣は小さく息を吸う。
コンコン。
「失礼します」
扉を開ける。
薬品の匂い。
白いカーテン。
窓際の観葉植物。
全部、あの頃のままだった。
そして。
「……来たのか」
聞き慣れた声。
高瀬が、机から顔を上げていた。
白衣姿。
少し伸びた前髪。
相変わらず眠そうな目。
胸が、ぎゅっと熱くなる。
「約束したので」
結衣は笑う。
高瀬は数秒固まったあと、小さく息を吐いた。
「……ほんとに来るやつがあるか」
「先生が待てって言ったんじゃないですか」
高瀬は困ったように笑った。
その顔を見た瞬間、不思議なくらい安心する。
ああ。
ちゃんと会えた。
結衣は保健室の丸椅子へ座った。
昔と同じ場所。
でも、少しだけ違う。
もう制服じゃない。
“生徒”じゃない。
その事実が、妙にくすぐったかった。
「大学は?」
「普通に楽しいです」
「普通か」
「バイトもしてますし」
「ちゃんと寝てるか」
「子供扱いしないでください」
高瀬は少し笑った。
その空気が懐かしい。
沈黙すら落ち着く。
窓の外では、春の光が揺れている。
高瀬はペンを置くと、静かに結衣を見た。
「……変わったな」
結衣は少しだけ目を瞬く。
「そうですか?」
「ああ」
高瀬は穏やかに笑う。
「前より、ちゃんと自分を大事にしてる顔してる」
その言葉に、胸が熱くなる。
たぶん。
一番言ってほしかった人に、一番嬉しいことを言われた。
結衣は俯きながら、小さく笑う。
「先生のおかげです」
「俺はそんな大したことしてない」
「しましたよ」
結衣はゆっくり顔を上げる。
高瀬を見る。
あの頃とは違う。
依存じゃない。
救われたいだけでもない。
それでも、やっぱり好きだった。
三年経っても変わらないくらい。
「先生」
「ん?」
結衣は少しだけ緊張しながら笑う。
「今なら、ちゃんと恋してもいいですか」
空気が止まる。
高瀬は何も言わない。
ただ、少しだけ苦しそうに目を閉じた。
その反応が、昔と変わらなくて。
結衣は思わず笑ってしまう。
「まだ悩むんですね」
「当たり前だろ」
「もう卒業して三年ですよ」
「そういう問題じゃない」
高瀬は深く息を吐く。
それから、観念したみたいに小さく笑った。
「……ずっと好きだったのか」
結衣は即答した。
「はい」
高瀬はしばらく黙っていた。
やがて立ち上がる。
そして、昔みたいに結衣の前まで歩いてくる。
距離が近い。
でも今度は、誰にも後ろめたくない。
高瀬は少し困ったように笑った。
「お前、ほんと真っ直ぐだな」
結衣も笑う。
「先生がそうしたんですよ」
高瀬は小さく息を吐いたあと。
今度は迷わず、結衣を抱き寄せた。
白衣の匂い。
懐かしいのに、あの頃とは違う。
結衣はそっと目を閉じる。
窓の外では、春の風が桜を揺らしていた。




